山中にて




赤いオーガの討伐からおよそ三十分前ーー。


天狗はオーガの拠点とされる山中にいた。


山に入ってからと言うもの、明らかに魔物との遭遇率は上がっている。ダンジョンの管理者たるオーガの拠点だと言う人々の話は信憑性があると、彼は魔物を斬り捨てる道中で感じていた。


そして、事実として、その山は赤いオーガと青いオーガが住んでいる根城に違いなかった。


 魔物の多くはこの山で産み落とされ、このダンジョンの人々を食らうために平野へと走る。


本来、赤いオーガはこの山の奥にある洞穴で営みを続けている。


しかし、この日だけは違った。


既に赤いオーガは平地へと下りていた。滅多に山からは出ないとされる赤いオーガだったが、青いオーガの討伐により、本来とは異なる行動パターンを取っていた。


集落に対する報復。


青いオーガの仇のために、赤いオーガは動いていた。そして、両者にとって不幸にも、赤いオーガの下山ルートの中には、天狗はいなかった。


代わりに、赤いオーガが住んでいた洞穴の前に辿り着いた天狗の目の前には、別の刺客がいた。


「お主は何者じゃ」


一人の少年。

天狗には、彼が高校生に見えた。


さらりとした銀髪に最初は外国人かと見間違えたが、その目鼻立ちは日本人そのもので、鋭い目つきと耳のピアスは不良少年を思わせる。派手なスカジャンと黒いスキニーパンツは擦り切れていて、いくつかの戦いを乗り越えてきたような歴戦の跡が見受けられた。


天狗は一瞬戸惑った。


ここにいるはずのない第三者、それも、齢にして十五、六に見える幼い少年の存在に。


そして、その戸惑いを少年はしっかりと捉えていた。


「ーー!!」


その隙を、少年は見逃してはくれない。

初手は少年の手から放たれた雷撃だった。


本来、Aちゃんねるにおける魔法ーースペルの発動には、二通りの方法がある。


一つが、詠唱による発動。


迷宮街セントラルでクロエがしたように、スペル名を唱えることで発動する方法。


そして、もう一つは魔導書による発動。


魔導書のスペルページと呼ばれる頁に刻まれたスペルの刻印に触れることで自動発動される方法。


天狗はこのどちらにも当てはまらないスペルの発動に、ほんの僅かに反応が遅れた。そして、その僅かな遅れは、天狗の元に雷撃が届くには十分すぎるほどの遅れだった。


雷撃が天狗を容赦無く叩く。


「子供だからって油断しすぎじゃない? 仮にも、こんなところにいる子供なんだけど、オレ」


少年は雷撃に焼かれる天狗を冷たい目線で見つめながら言った。


子供とは思えない冷酷さを天狗は全身を貫く痛みに耐えながら感じていた。


「敵、と認識して良いのじゃな」


「おお、喋れるんだ。でも、甘えたこと言ってるね」


雷撃は致命傷には至らなかった。


天狗の愛用する炎を纏う刀、“炎帝”は使用者に対して炎の耐性を付加する。この耐性により、天狗は自身の纏う炎に焼かれることなく、自由自在に炎を操ることができる。


この耐性が雷撃を緩和させていた。


生身の人間であれば、少年の放った雷撃により身を焦がし、そう少なくはないダメージを与えつつも、全身の自由を奪う。


一撃で勝負を決するほどの雷撃を天狗は辛くも凌いでいた。


それでも、愛刀を握る手の力は弱まり、全身に微かな麻痺が波及していた。“炎帝”の能力で身を焼かれることこそ無いが、何度も受けていい攻撃ではなかった。


「ダンジョンで他人に遭ったら、まずは敵視すんのが基本じゃないの? それとも何? 子供は例外だとでも思った訳?」


「よく喋るわっぱじゃ」


「天下に名高い天狗さんも、耄碌もうろくしたんじゃないの?」


天狗はこのやりとりの間も思考を止めなかった。


少年が放った雷撃の正体を探り続けていた。

そして、ある仮説に辿り着く。


「名は?」


天木あまぎリュウ」


「リュウ。もう一度問うぞ、お主は何者じゃ? 何故ここにいる」


「質問が多いな。答えはシンプルだ。オレはオレが思う正義を実行している。アンタらと違ってな」


「正義?」


「多分、言っても理解できないだろうけどな。オレは思考することを止めない」


会話にならない。と言うより、こちらと対話することを拒絶しているようなきらいがある。話し合いでの解決の道は望めそうにない。


リュウと名乗る少年の手には、何かが隠し持たれているはずだと、会話の最中に天狗は推測する。


Aちゃんねるの常識を覆す能力ーーつまり、特異点による効果の可能性も捨て去れなかったが、少なくとも、あの雷撃がスペルではないと、天狗は確信していた。


スペルには数多くの種類があるが、その弱点としてクールタイムが挙げられる。


どんなスペルにおいても、一度発動すれば、次に発動できるようになるまである程度の時間を要する。それが強力であればあるほど、その長さはより長くなる。


リュウが放った雷撃は、一言で強力だ。


あの雷撃がスペルであるとすれば、次にもう一度放つまでにクールタイムが必要になるはずだと、多くの人間は考える。


だが、天狗の仮説はそれがスペル以外の何かであることーーつまり、あの雷撃をもう一度、それこそ連続して放てる可能性を示唆していた。


魔導書も顕現せず、無詠唱で放つスペルは無い。

それは特異点による例外を除いては、絶対の法則だ。


つまり、あの雷撃は特異点、もしくは、なんらかの武器によるものだと、天狗は考えた。


「特異点、【剣聖】発動」


故に、次の攻撃に備える必要があった。


神速とも呼べる雷撃に反応するほどのカードを切る必要が。



「ーーアクティブスキル『剣翼十刃けんよくじっぱ』」



天狗の体を囲う十の剣。


光を纏ったそれは、神々しさすらあった。

異界からの来訪者、“潜者”にのみ許された権能。


時に、この世界の根本を揺るがすほどの力を発揮するその力を、人は“特異点”と呼ぶ。


「特異点【剣聖】。噂では聞いたことがあるけど、実際に見ると凄いな」


リュウの手から再び雷撃が放たれる。

天狗の読みは見事に的中していた。


秒速で迫る雷撃に、天狗を囲う剣のうちの一つが反応する。

雷撃が弾かれ、宙で飛散する。


「間合いに入ったあらゆる物に反応し、全てを切り裂く。“三王”と“三傑”を差し置いて、接近最強と噂されるだけのことはある」


「いつまで解説をしておるつもりじゃ。言ったはずじゃぞ、敵として認識すると」


天狗が地面を蹴った。


【剣聖】のスキルーー『剣翼十刃』は、十の剣を召喚し、自在に操ることだけではなく、その身体能力を飛躍的に向上させる能力も備える。


『剣翼十刃』を発動した天狗は別次元のスピードを誇る。つまり、さっきまでの天狗とは別人と言っても過言ではなかった。


結果、リュウは一瞬にして天狗の姿を見失うこととなる。ようやくその表情に焦燥が垣間見えた。


その権能ひとつで、大戦の戦局を覆したことさえある絶対的な力、“特異点”に対して、彼はたった一人で向かい合わなければならなかった。


しかし、同時にーーリュウもまた“潜者”の一人であった。


つまり、彼にも天狗と同様に、その圧倒的な力を振るう資格があった。


「特異点、【革命者】発動」


リュウは口にする。

その力の名を。



「アクティブスキル『革命の旗』」



リュウの右手に現れる大きな旗。

彼はその旗を頭上に掲げる。


まさに目にも留まらぬ速さで接近を試みていた天狗は、リュウの“特異点”の発動と同時に即座に踵を返し、後退した。


それは防衛本能だった。


力の大小や相性はあれど、“特異点”の殆どは強力にして唯一無二。得体の知れない強大な力を前に、不用意に接近するのはあまりにも危険すぎた。


現に、リュウの表情に浮かんでいた焦りはもう見る影も無い。天狗の高速移動を目にしても、この旗が一つあれば対応できるとでも言いたげな表情だった。


「名が売れているってのは、それだけでデメリットだな。情報量が違う」


「否めんな。名を売ってきたつもりは無いが……」


天狗は“炎帝”を正眼に構える。

その刀身に炎が宿る。灼熱が空気を歪める。


「ふんぬ……ッ!!!」


天狗が刀を振り下ろした。


その刀身から溢れ出す烈火。

膨大な量の業火が意思を持ったかのようにリュウの元へ押し寄せる。


リュウは押し寄せる炎に対しても微動だにしなかった。


「ーー!」


彼は炎が到達するタイミングで、右手に握る旗を大きく振り下ろす。


青い閃光が走ったかと思うと、次の瞬間には溢れんばかりの炎が綺麗さっぱり消滅していた。


「さて、次はオレの番でいいよな?」


リュウが腰を屈める。

そして、攻撃に転じようと身を乗り出す。


直後、リュウと天狗の間に亀裂が走った。地面ではなく、空間そのものに亀裂が走るこの現象を、二人は既に経験していた。


「逝ったか」


「どうやら、オーガを殺ったようじゃな」


それが意味するのは、ダンジョンのクリア。


次第に二人の視界はだんだんと霞みががっていく。


リュウはどこか寂しげな表情を浮かべ、“特異点”を解除する。


「この勝負はお預けじゃ」


「そうみたいだな。まあ、せいぜい長生きしろよ、爺さん」


世界が白に埋め尽くされていく。


二人の視界から対峙する相手のシルエットが消えていく。互いの意識は少しずつ薄れ、やがてそれは虚無の世界へと完全に溶けた。

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