赤頭巾の意地

「どうせ詰みだ。少し質問コーナーでも設けてやろうか」


血と影の鎧を身に纏ったトグサは勝ち誇ったように言った。


ラークは今にも襲い掛かろうとしているが、彼のパワーを前にしても、あの鎧を砕けるとは思えない。それに血装で出来た鎧は、血の棘や触手にも瞬時に変化するから、カウンターも警戒する必要がある。


「アンタが何でここに、管理人としているわけ」


質問を飛ばしたのはマリッサだ。

彼女の言い様から察するに、トグサは上層にいたはずの影鬼族の一人のようだ。


「まあ、その質問になるよな。普通」


トグサは構えを解くと、「教えてやるよ」と上からの物言いで答えた。


「契約書というアイテムがある」


「契約書?」


「そう。入手方法は口外しないことになっていてな。そう易々と手に入るもんじゃ無い……が、俺はそれを手に入れた」


トグサは契約書と呼ばれるアイテムを使って、ダンジョンの管理人となった、ということらしい。


「そんなアイテム、聞いたことない」


今度はクロエ。


この世界の常識を俺は知らないが、上層の人間がダンジョンの管理人になることは本来あり得ないことのようだ。


「何度も言わせるなよ。何だって起こり得るのがAちゃんねるという場所だ。お前らの知らないことなんて、この世界にゃいくらでもある」


トグサは血の剣を手先でクルクルと回しながら答える。


こうしている瞬間も、俺は頭をフル回転させている。きっとマリッサやクロエ、ラークも同じだろう。打開策を閃くだけの時間が欲しい。


だが、タイムリミットは刻一刻と迫っている。時間稼ぎも必要だが、稼げば稼ぐほどに後がなくなる。


すぐ後方にはゾンビの大群が迫っているのだ。


「オレに考えがある」


ラークが小声で言った。

何か閃いたらしい。


「マリッサ、影対策のスペルはまだあるのか」


マリッサが頷く。


「クロエ、いつも使ってる水のスペルは使えるか?」


クロエも続けて頷く。

彼女が多用するスペル、“水竜の戯れ”のことだろう。


「奴の鎧を強引にこじ開ける。鎧を構成している血と影の結束を剥がすんだ」


「そんなこと、できるんですか」


「単純な考えだが、血を水で薄め、影を弱体化させる。あとは力で押し切る」


「無計画もいいとこね。仮に鎧の結束を剥がせたとして、完全に無力化するわけじゃない。迂闊に近付けば血の棘で串刺しよ」


マリッサの指摘にもラークは揺らがない。


「差し出せるもんは何だって差し出す。もう、後がねぇ。ただ一つ分かってんのは、このまま何もしなきゃ、オレらは全滅するってことだ」


出し惜しみはなしだと、ラークは続けた。


「ギヒヒヒヒヒ、その通りだ。手段を選んでいられるほど、オレ様達に猶予は残っちゃいねェ」


チェシャ猫は続ける。


「オレ様とラークで鎧を引き剥がす。誰でもいい。その隙に奴を一撃で仕留めろ。いいか、首だ。首を刎ねろ」


チェシャ猫もいつになく真剣な顔つきに見える。


いつも口の端が大きく吊り上がっていて、笑っているようにしか見えないのがチェシャ猫という生物だが、そんな生物の表情が読めてしまっているのは、自分でも驚きだ。


「オレが先陣を切る。後のタイミングは、任せる」


ラークの全身の毛が逆立つ。

その目には、覚悟が宿る。


彼らが成そうとしているのは、捨て身の特攻に近い。


俺は思わずニーナを見た。


喉元を抑え、口から溢れ出そうとしている叫びを必死に押し殺しているように見えた。


「ギヒ」


チェシャ猫が笑う。

そして、ラークが地面を蹴った。


「スペル、」

「スペル……」


クロエとマリッサの詠唱が始まると、遅れてチェシャ猫が尻尾のバネを使って跳んだ。


「“水竜の戯れ”!」

「“ギンギラギン”!」


水竜が滑空し、辺りが眩い光に包まれる。


ラークの脇を擦り抜けて、数体の水竜がトグサの身体に直撃する。


「こんなもので」


そして、ラークが接敵する。


トグサは血の剣を横一線に振り抜くと、鎧の一部を触手のように変質させる。


「まずはお前から」


触手の先端が鋭い刃のようになると、ラークに一直線に伸びた。


「ギヒヒヒヒヒヒ! 任せろ!」


接敵する二人の間にチェシャ猫が跳び込んできて、血の刃を弾いた。


俺は折れた刀の柄を強く握り締める。


ラークの言葉を思い起こす。

ーー差し出せるものは、全て差し出す。


「出し惜しみは、しない」


俺は死ミットの“蓋”を開ける。

幸い、あの感覚はまだ覚えている。


黒い靄が体中から噴き出す。

少しずつ視界に映る景色がスローモーションになっていく。


やがて、黒い靄は波打ち、揺らぎ、荒れ狂うーー漆黒の炎と化す。


死ミットが急速に擦り減っていく。


視界の先では、ラークとチェシャ猫が今もなお、トグサとの接近戦を繰り広げている。


「ギヒヒッ」


チェシャ猫の尻尾がトグサの右腕に絡み付く。それを拍子に、ラークが背後に回る。


間も無く、だ。


「バカかよ、お前ら!」


ラークがトグサを後ろから羽交い締めにする。当然、トグサは血の鎧に棘を生やした。


狼の巨大に無数の血の棘が突き刺さる。


それでも、ラークは拘束を解かない。それどころか、その野太い両腕で鎧に掴みかかる。


血と影の結合部分に指を突っ込み、強引にそれらを引き剥がす。


チェシャ猫は血の触手を相手取り、ラークにこれ以上の攻撃が及ばないように立ち回っている。見事だ。


「うぉぉおおぉおぉぉぉ!!!」


ラークが雄叫びをあげる。

鎧がゆっくりと引き剥がされていく。


トグサの首筋が、見えた。


「ユズハ……ッ!!!」


死ミットを暴走させた俺にとって、トグサまでの距離はものの一瞬で詰められるものだった。


タイミングは完璧だ。

垣間見えた首筋に刀を振り抜く。


「うぉおぉおおぉおぉおぉおぉ!!!」


確実に、ここで終わらせる。


「ーー!!」


しかし、刃は届かない。

新たな血の触手が俺の刀を阻んだ。


「まだ……!!」


まだだ。


首を刎ねるまでは行かなくとも、まだ打撃がある。黒炎を纏った状態の拳であれば、相当なダメージは期待できるはずだ。


「そんなもん」


血の触手がさらに伸びる。


「ぐっ……!!」


俺の左肩を射抜く血の触手。


「全部、無駄だ」


ラークがこじ開けている鎧の隙間が少しずつ狭まっていく。限界が近い。


「クソ……がっ」


チェシャ猫もトグサの猛攻を防いではいるが、いつになく表情は険しいように見える。


「私が……」


背後から放たれる殺気。


「私が、やらないと……」


後方を一瞥する。

殺気の正体は、ニーナだ。


彼女の肉体が変異しようとしていた。


「パパが」


彼女の全身を、茶色の毛が覆っていく。


ラークとエルザの子。

ニーナは狼男と人間のハーフだ。


つまり、彼女の体にも、ラークと同じ狼男の血が流れている。


「パパを、救うのは、私」


ニーナの姿が、狼のそれとなる。


ラークの狼形態よりも体は小さいが、その手には黒く大きな爪が光る。


彼女が地面を蹴った音がした。


父親譲りの俊足にトグサの顔色が変わるのが見て取れた。奴にとっても、これは想定外のはずだ。


「何したって、無駄なんだよ……ッ」


トグサが声を荒げる。

取り乱してはいる。


だが、奴にもまだ切れるだけのカードがあった。


鎧に再び変異が起こる。


鎧の表面が泡立ったかと思うと、次の瞬間には、新たな血の触手がさらに伸びていた。


「ニーナ!」


ラークが叫ぶ。


まだ血の触手を生み出すだけの余力が奴にはあったのか。


俺はニーナを返り見る。

その手元から何かがばら撒かれた。


彼女の元へ伸びる血の触手が、手から撒かれたいくつもの何かと接触する。


その瞬間、トグサの触手が凍り付く。


「は?」


それが母エルザの氷結弾だと気付いたときには、彼女はトグサを射程圏内に収めていた。


「これで」


鋭く尖った爪が振り抜かれる。


「終わり……っ!!!」


トグサの首筋に突き刺さる黒い爪。


「あ、が……ッ」


血が噴き出す。


「離れろ……!」


チェシャ猫が叫ぶ。


噴き出した血がそのまま凶器になることを懸念したものだったが、トグサはすぐに地面に崩れ落ちた。


トグサを包む影が、そして、血が本来の姿に戻っていく。


「死ぬ、のか」


トグサは首から留めどなく溢れ出る血を手で掬い上げながら、空虚な目で俺を見た。


「かは……っ」


トグサの表情を埋めるのは絶望。


「何も、見えない」


マリッサは憐れむような目でトグサを見つめる。


「なんで、こう、なった」


ラークはトグサから離れると、力が抜けたように腰を下ろした。血の棘を全身に浴び、彼もまた限界を迎えようとしている。


ラークの拘束が解けたことで、トグサが地面に伏した。


「パパ……!」


ニーナが倒れたトグサを飛び越え、ラークに駆け寄る。


「大丈夫だ、死にやしねぇ」


ラークとニーナの獣化が解け、人間の姿へと戻る。死にはしないと語るラークの目は、生死を彷徨っているように見える。


「パパ、嫌だ。死んじゃ嫌だ」


俺は助けを乞うようにクロエ達を見た。


「マリッサ、クロエ、何か……何かないのか!? 方法は!」


しかし、彼女らの表情は曇っている。


「ユズハ、テメェの心配をしろ! その死ミット、どうにかなんねェのか!?」


チェシャ猫が声を荒げる。


言われてから気がつく。黒炎が収まらない。死ミットの急速な消耗が止まらない。


「あ、え、あ……?」


どうにかして、死ミットを抑え込もうと力む。


しかし、黒炎は収まらない。

代わりに視界が霞み始める。


だんだんと世界が輪郭を失っていく。


この感覚は一度経験している。ダンジョンの管理人を倒したことにより、上層へ戻る前の予兆だ。


霞んだ視界の中では、ニーナが氷結弾を使ってラークを止血している。


俺には、いや、俺達には、ラークとニーナの行く末をこれ以上見届けることができない。


ラークの安否も、ニーナの未来も、俺達にはもう知る術がないのだと、消えていく視界の中で俺はようやく思い知る。


もはや、俺達にできるのは祈ることだけだ。


「ラーク、ニーナ!」


自身の声すらも遠くに聴こえる。

そして、視界はホワイトアウトした。



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