吸血鬼トグサ
二階の扉の先には、長い廊下になっている。両脇に鉄格子の扉が並んでいて、牢屋として使われていたのだろうと推測される。
しかし、本来の用途は見る影もない。鉄格子の扉の殆どは開け放たれていて、囚人や看守といった人の姿は無い。
代わりに闊歩するのは、夥しい数のゾンビ。
とんでもない数のゾンビが
チェシャ猫の提案には、まだ一つだけ欠陥がある。
刀をどうやって向こう側まで運ぶか。
そこが大きな問題だった。
「思ったより多いな」
ラークが俺に手を差し出した。
事前の打ち合わせ通り、俺は刀を手渡す。
パワーに自信のあるラークによる投擲。
単純な飛距離の問題はそれで解決する。
だが、行手には無数のゾンビがいる。
「スペル」
詠唱するのは、マリッサ。
「“波動砲”」
彼女の目の前に光の球が現れる。
「進路、確定」
大きな音を立てる光の球。
直後、その球から眩い光の一閃が放たれた。
真っ直ぐに伸びるその一閃は進路を塞ぐゾンビ達の上半身を跡形もなく消滅ーーいや、蒸発させてしまう。
スペル“波動砲”。
破壊力に特化したこのスペルは、発動から放出までに時間が掛かるため、ある程度の俊敏性を持つ相手に対しては殆ど当たらないらしい。加えて、攻撃範囲も狭く、クールタイムも半日近くあるせいで、使い勝手は最悪だというのが、マリッサの談だ。
だが、直撃すれば威力は絶大だ。
あれだけ苦戦していたナイト級もこれを当てられさえすれば、一撃で屠ることができたのでは無いか。
「今よ」
「わかってらぁッ!!」
ラークが刀身を半分失った“王牙二色”を投擲する。
コントロールは抜群だ。"波動砲”が抉った進路を真っ直ぐ、刀が滑空する。
刀は突き当たりの扉に見事に突き刺さった。
「ギヒヒヒヒッ」
そして、チェシャ猫の出番だ。
元の状態に戻っていたチェシャ猫の体がみるみるうちに膨らみ、全員がその体の内部にすっぽりと収まる。風船みたいだ。
「ユズハ!!!」
「【蒼】!!!」
吠えると、前方で刀の折れた刀身が青く光った。
「みんな、掴まれ!」
引き寄せられる。
俺の肉体が、風船のように膨らんだチェシャ猫の肉体が、そして、チェシャ猫に包まれる全員が。
「このまま突破するぞ」
扉にぶつかってチェシャ猫の風船がバウンドする。
「ギヒっ! いるぜ、この先に」
チェシャ猫が元の体に戻っていく。
紫色の体に覆い隠されていた視界が開ける。
扉は目前だ。
後背には、今も無数のゾンビがゆっくりと歩いてきているが、まだ十分な距離がある。
「オラァぁあっ!」
ラークが扉を突き破る。
扉の先には、吸血鬼が一人。
赤いカーペットが広げられた大広間の突き当たりに玉座。
吸血鬼はその玉座に偉そうに座っていた。
今までの吸血鬼とは雰囲気が違う。
ソルジャー級やウイング級は勿論、ナイト級だってここまでの風格は無かった。
直感する。
あれが、このダンジョンの管理人。
影を操る吸血鬼。
「来たか」
吸血鬼はゆっくりと立ち上がる。
それとほぼ同時にラークの体が肥大化し、巨大な狼の姿と化す。
「マリッサ!」
段取りの通り、マリッサによる影封じが肝だ。
どれだけ奴の意表を突けるか。それに懸かっている。
奴の意表を突き、短期での決着を試みる。
それが困難なら一時撤退、というのが筋書きだったが、背後にはゾンビが迫っている。
退路は無い。
だとすれば、もう殺るしか無い。
「何でアイツが……?」
だが、意表を突かれていたのは、むしろマリッサの方だった。
唖然とした顔で吸血鬼の顔を見ている。
釣られるように、俺も吸血鬼を見た。
角だ。
角が生えている。
「影鬼族のアンタが、どうしてダンジョンの管理人になってるわけ? トグサ!」
マリッサからトグサと呼ばれた男は口元に笑みを浮かべた。
彼女の反応から察するに、顔見知りのようだ。
ダンジョンではなく、上層の知り合い。
イレギュラーが起こっている。
本来、起こり得ない何かが。
「上層の人間がダンジョンの管理人になるなんてこと、聞いたこと」
「この世界じゃ、何だって起こりうる。うちを抜けて、そんな常識も忘れたのか、マリッサ」
トグサは背後に影を召喚する。
事前に聞いていた通り、八本の触手のような影だ。
「マリッサ、後にしろッ!」
ラークが前傾姿勢を取る。
一気に仕掛けるつもりだ。
「頼むぞ」
マリッサは動揺を隠しきれないままに、顕現させた魔導書に手を触れる。
「ユズハ、オレ様達もやるぞ」
チェシャ猫が両腕を刃に変形させる。
俺は全身を色装で包み、折れた刀を手に走り出す。
それに遅れて、クロエとニーナも駆け出した。
「死ねよ、ドブカス野郎」
ラークが地面を蹴る。
凄まじい速度でその距離が縮まる。
最後にスタートを切ったにもかかわらず、既にラークは吸血鬼トグサを間合いに収めていた。
八本の黒い触手が文字通り四方八方からラークに襲いかかる。
「スペル」
詠唱するのは、マリッサ。
「“フラッシュ”」
対影鬼族のためだけに単身でダンジョンに潜り、手に入れたというスペルは、言うなれば閃光弾。マリッサの手元から放たれた小さな光の玉が弾けると、強烈な眩い光を生み出し、辺りを光で埋め尽くした。
事前にスペルの名称と内容を聞いていた俺はフラッシュの詠唱と共に目を閉じていた。ラークやクロエ、ニーナも同様だろう。
そして、このスペルの目的は単なる目眩しでは無い。
むしろ、目眩しは一種のおまけに過ぎない。
すぐに目を開けると、想定通りの景色があった。
黒い触手が力無く地面にへたれている。
影鬼族の影は強烈な光に弱い。
光を浴びると、こうして一時的に力を失ったり、影が歪んだりするのだ。
トグサの表情には焦りがあった。
目論見通り、意表を突いた格好だ。
ラークが、クロエが、そして、ニーナが、一斉にトグサに襲いかかる。
勿論、俺とチェシャ猫も一気に距離を詰めていた。
「ちっ」
トグサは自身の両腕を躊躇いもなく爪で引っ掻く。
血飛沫が舞った。
空気が触れるよりも早く、それは無数の血の刃と化す。
「クロエ!」
マリッサが声を張り上げると同時に、クロエがタイムキーパーを振るう。
拡散された血の刃は全てが同時にその時を止める。
それと同時に、ラークの拳がトグサの顔面を捉えた。
「ぐはっ」
トグサが地面に殴り飛ばされ、赤いカーペットの上を転がる。
「くそッ」
すぐに立ち上がったトグサに対し、今度はチェシャ猫が迫った。
「ふざけるなよ、雑魚共が」
影が、力を取り戻す。
黒い触手がチェシャ猫を襲う。
チェシャ猫は尻尾のバネを使って大きく跳ねて最初の触手を躱すと、続けて左右から迫った二本の触手を刃と化した両手で弾き返した。
銃声が響き、チェシャ猫に追撃を加えようとしていた触手の二本を撃ち抜く。ニーナの援護だ。
トグサは自身で付けた傷口から血の剣を引き抜くと、チェシャ猫に向けて振り下ろす。今度はこれをチェシャ猫の横に入った俺が折れた刀身で受け止めた。
これまでの吸血鬼との戦闘が確実に活きている。
血装を使ったあらゆる行動パターンが手にとるように分かる。理解できる。
行ける。
思った以上に行ける。
このまま畳み掛ける。
「チェシャ猫!」
チェシャ猫が触手の一つを弾き返すと、トグサの首元に向けて刃を突き出した。
金属を叩く音がした。
チェシャ猫の刃はトグサの首に直撃した。
しかし、貫通しない。
その首に致命傷を与えることはできていない。
「無駄だ」
血の鎧。
トグサの肉体を瞬く間に包んだ血の鎧が刃を阻んだ。
いや、それだけじゃ無い。
触手の一つがトグサの首元に巻きついている。
「これならお得意の閃光も無駄だろ」
トグサは他の影の触手も全身に巻きつけていく。
「俺達の影は光で屈折することはあるが、その硬度まで変化することは無い」
「ーー!!」
鎧から血の触手が伸びる。
チェシャ猫がまず叩き飛ばされ、立て続けに腹部に衝撃と痛みが走った。
気がつけば、床の上で転がっていた。
俺も叩き飛ばれたらしい。
立ち上がって、トグサを見る。
トグサは赤と黒の鎧に頭の先から足の指先まで包まれていた。
「さて、この鎧を砕けるだけの力がお前らにあるか?」
血と影の甲冑に顔も包まれていて、表情は見て取れないが、明らかにほくそ笑んでいるのが分かった。
「最初こそ驚いたが、こういうのは最初だけだ。こういうのを小手先って言うんだ、マリッサ」
トグサは血装で作った剣を構える。
適応された。
意表を突けるのは最初だけーーそれは分かっていたことだ。
だが、想像していた以上に早く適応されてしまった。
本来の作戦なら、この時点で撤退すべきだ。
奴が適応できていないうちの早期決着が肝だった。
「くそ……」
背後の扉を見る。
ゾンビの群れが扉の奥に確認できた。
時間が無い。
あれがこの部屋に押し寄せたら、それこそ終わりだ。
俺達は成す術もなく、ゾンビの群れに潰されるか、トグサに殺される。
「さて、
トグサは言う。
「誰から死にたい? 立候補してもいいぞ」
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