箱庭攻略⑥


火を見つめていると、何だか不思議な気分になってくる。色んな感情が静かに胸の中に流れ込んでくるような、そんな感覚だ。


クロエとマリッサが順々に見張り番を終え、今度は俺が見張りをする番だった。


テントの前に焼べられた焚火の前で腰を下ろし、既に一時間近くが経過している。


森は静寂と暗闇に包まれ、吸血鬼達の気配は無い。ちなみに、チェシャ猫の声も日が暮れてからは聴いていない。


ふと、背中に気配を感じて立ち上がる。


「何だ、クロエか」


白いTシャツ姿のクロエがテントの前に立っている。その目は虚ろで何を思っているのか読み取れない。


「首尾は?」


「何も」


「そう」


彼女はそう言って俺の横に座る。


しばらくの間、沈黙が続いた。

寝付けないのだろうか。


睡眠中は死ミットが停止することもあって、この世界にあって寝付けないというのは、意味合いの重みが違う。


「私はまだ君を信じていいのか迷ってる」


クロエやマリッサから向けられる疑念の目に、気が付いていないほど鈍感ではない。


「君のいた世界ーーニホン、ではもう戦争は無いって聞いた。君の世界では、剣もスペルも無くて、銃弾一つ放たれようものなら、ちょっとした騒ぎになるって聞いた」


背中を預ける仲間であれば、それは当たり前の疑惑であり、不自然なのは俺の方だ。


「ナイト級との戦いで、確信したのは、君の動きは素人のとはかけ離れてるってこと」


俺自身が疑念に思うことは、当然のようにクロエやマリッサも考えるのだ。


戦争の無い国からやって来た人間にしては、と。


「君は何者なの」


クロエは真っ直ぐな眼差しを俺に向ける。


短い白銀の髪が炎に照らされて煌いて見える。その瞳は澄んでいて、思わず目を逸らしそうになる。


「ユートピアでも言ったけど、俺にも分からない」


身体に染み付いたようなこの感覚も、チェシャ猫のことも、この世界に俺を誘った兄のことも、何一つとして確かなことを提示できない。そんな自分がもどかしい。


クロエの疑念を晴らしてやることができない自分が怖くて、心の中はどこか切ない。


「俺はAちゃんねるに来るまではただの平凡な学生で、そういう意味じゃ何者でも無かった」


大した取り柄もなく、平凡そのものの人生を歩んできたような俺が、平凡と対極にあるような異世界で、異端として扱われている。


「ここで世話になっている人達に報いたいんだ。俺を助けてくれたクロエ達に少しでも恩返ししたい。ただ、それだけなんだ。そのために、ただただ必死で……」


クロエは諦めたように頷く。


「君から敵意を感じた事はない」


彼女は言う。


「今はそれだけで、充分。だけど、この先……マリッサや他の皆に、もし、君が危害を加えるようなことがあればーー私は君を……許さない」


俺は頷く。

頷くことしかできない。


俺が何者であろうと、俺に出来ることはこれからも、そして、この先もきっと同じだ。


仲間のために戦う。


そうして、少しずつ信頼を築いていくことでしか、俺は俺を証明することができない。


この先にもし、俺がクロエ達を裏切るようなことがあれば、彼女は容赦なく、俺の首を刎ねるだろう。


「ごめんね。疑うような言い方で」


「いいんだ。仕方がない。自分でさえ分かってないことを他人に分かってもらおうなんて思ってないよ」


また沈黙が始まった。

焚火の音だけが夜の静寂に響く。


「戦争の無い世界って、どんな感じ」


長い沈黙の後に、クロエが言った。


「私は、ユートピアの子供達にこんな世界を見せたくない」


ジョニー、アン、太一。


ユートピアで出会った三人の子供達を思い出す。無邪気な彼らの笑顔は、この世界では珍しい光景の一つだろう。


十代になると、ジョニー達もいつか死ミットが浮かび上がる。十歳だか、十二歳だか、個人差はあれど、そこに例外は無い。彼らも必ず、戦いに身を投じなくてはいけないタイミングがやって来る。


あの齢には釣り合わない過酷な運命を、既に背負っている彼らに、血みどろの悲惨が、これからも襲いかかる。


「爺様はあの子達を戦士にするつもりはない。だけど、そんな綺麗事だけで生きていけるほど、この世界は綺麗じゃない」


“善王”の加護も未来永劫続くとは限らない。いくら二宮が最強の名を欲しいままにする猛者でも、絶対はあり得ない。


いつか終わりが来る。

その時に力の無い者は淘汰されるだけだ。


「日本は」


どんな国だったのだろうか。

楽しいことばかりではなかった。


あれ。


「簡単に人が人を殺すようなところではなかった。命っていうものを、尊重してた。少なくとも、普通の人間は」


概念として、憶えている。


だけど、思い出せない。俺という人間が歩んできた歴史が、思い出が薄れている。


思い出そうとすればするほど、記憶に靄がかかる。ここ最近の出来事や幼い日の出来事は、それなりに思い出せるが、それ以外の記憶が曖昧だ。


中学校や高校の記憶がひどくぼんやりしている。当時の友達の顔がどうしても思い出せない。


どうして今まで気が付かなかったのか。


いつから記憶が薄れているのか。今、残っている記憶も、いつしか消えて無くなるのか。


考えれば考えるほど、記憶が消えてしまいそうな気がする。思い出そうとすればするほど、記憶が遠のくような感覚がある。


「大丈夫……?」


俺は動揺を隠せないまま、頷く。


これが普通なのか。


“潜者”の持つ元の世界の記憶は消えていくーーそうして、Aちゃんねると同期される、そういう仕組みなのか。


ユートピアに住んでいたアイザックはそんなことは言っていなかったはずだ。いや、そもそも殆ど対話らしきものはしてないが……。


俺だけがまた例外的に?


「“潜者”の、記憶喪失みたいな事例ってあるか?」


「記憶喪失?」


「ああ、元いた世界の記憶が消えていく、とか」


クロエは首を横に振った。


「あまり聞いたことが無いけど、“潜者”にも色々いるから一概には言えない」


“潜者”自体が例外だらけだと言うのが、この世界の通説だ。


常識が通じないAちゃんねるの概念にさえ当てはまらない、究極の非常識。それが“潜者”だ。


「上層に戻れば、きっと天狗がユートピアに戻ってる。その時訊くといい」


俺はまた頷いた。


考えても仕方がないことを気にするのはやめだ。それより今は目の前のことだ。


結局のところ、このダンジョンを無事に攻略しないことには、次なんてありはしないのだ。








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