箱庭攻略⑤
ナイト級の討伐に成功した俺達は、ラーク達の家屋に一旦戻り、エルザの亡骸をベッドに安置した。
ニーナは静かに眠る母の膝下で今も泣き続け、ラークはそれを黙って見下ろす。その目は虚だ。
「私が、殺した」
ニーナは嗚咽混じりに吐き捨てる。
「私が……私が、取り乱してなければ……」
懺悔とも言える悲痛な声に、誰も答えようとはしない。ここにいる誰もが、今の彼女に何を言っても、気休めにすらならないことを理解していた。
「ママが死ぬ必要なんてなかった……私が、私が……」
「ニーナ」
ラークは妻の亡骸と娘の悲痛な背中を前に、適切な言葉を見つけられないでいる。
「エルザさんがいなければ」
そんな中で言葉を紡いだのはクロエだった。
「ニーナだけじゃない。私達も死んでた」
俺はもう一人のナイト級とやり合うので必死で、エルザの最期を知らない。
だが、聞いたところだと、エルザが地面に広がる血の異変にいち早く気がついたおかげで、クロエとマリッサ、そして、ラークも地面から伸びる血の棘を回避することができたらしい。
「エルザさんに救われたのは、ニーナだけじゃない」
いつもの抑揚のない声だったが、それでも、クロエの言葉には感情が宿っているのが分かる。誰よりも他人の痛みに共感することができるのは、きっと彼女だ。
「そういう意味じゃ、エルザさんじゃなくて、私達が死ぬべきだったのかもしれない」
「それはーー」
「でも、それは違う、でしょ。そういうことじゃないでしょ」
クロエは続ける。
「エルザさんがニーナを庇ったのは、きっと当たり前のことだった。彼女にとって」
今のニーナには、きっと分からない。理解したくもないだろう。そう分かっていても、クロエは告げる。それがもしかしたら、無意味な言葉かもしれないとしても。
「エルザさんのおかげで、今ここで、こうして私達は生きている」
エルザ以外、欠けることなく。
冷めた見方かもしれないが、最小限の犠牲で済んだというのは間違いない。
全滅していてもおかしくはなかった。
あれはそういう状況だった。
どこか冷静な自分がいる。
さっきの戦いで自分の中で何かが弾けたのか、目の前で起きていることを俯瞰している自分がいる。
俺は自身に起きている違和感の正体が、今もなお分からずにいる。
チェシャ猫に何かをされたのか、それとも、自分の中で弾けた何かが原因なのか、はたまた、別の何かのせいなのか。その何かが、見当もつかない。
ナイト級と戦っていたとき、俺は自身の動きが型に嵌まっていくのを感じていた。
最初こそ、剣と化したチェシャ猫に振り回されていたが、その動きに慣れていくのを感じていた。
いや、最初からそれが正解だと身体は理解していた。頭と身体が、まるで別の人間のようだと思った。少なくとも、あの瞬間の俺の身体は俺のものではなかった。
ニーナが一頻り泣き、眠りについたのを見計らって、俺達は作戦会議を行った。
「このまま攻め入る」
ラークの主張は、霧がかかった今日この日に、このまま影の吸血鬼に挑むーー強硬策に出ることだった。
頭に血が昇っているのは明白だった。最愛の妻を殺され、彼は今、冷静ではいられない。
「次に霧が掛かるタイミングは分からない。次の霧の日まで、ナイト級がまた現れる可能性は否めない」
一理あるかもしれない。
だが、そもそもナイト級が二人だけとも限らない。いつ攻めようと、ナイト級のリスクは拭えない。
それに吸血鬼が増産されているというのも、あくまで、ラークの見立てだ。それが本当かどうかも、確証が得られない。
何にせよ、不確定要素が多すぎる。
「アンタのその傷で、親玉と戦えると思ってるわけ?」
マリッサは単刀直入な物言いで、ラークの主張を拒絶する。
「冷静じゃないわ。心身ともに今のアンタのダメージで、まともに影の吸血鬼とやらとやりあえるとは思えない」
「私も、そう思う」
クロエも同意見のようだ。
「この家は必ずしも安全地帯じゃなくなった」
ラークは反論する。
「身体を休めて次の霧の日を待つーーそれはここが安全であるという前提があって初めて成り立つ」
この箱庭において、安全が保証される場所はもうどこにもない。だとすれば、この先はひたすらに消耗戦になる。
それがラークの考えだった。
これも一理ある。
いつ襲われるか分からないまま、ここから先は生活することになる。その状況下で、心身を休めるのは困難で、むしろ、擦り減っていく一方となる可能性は否めない。
「アンタ、言ったわよね。イレギュラーが起こるのは霧の日だけだって」
「それはここまでの傾向に過ぎない。確証は無い」
「確証が無いのは、他も一緒じゃない? ナイト級の数も、霧の日に現れる洋館の扉も、何一つ確証があるものなんて、この森には無い」
話は平行線となる。
結局のところ、手負のラークが単身で洋館に突入するという自殺行為に出る選択肢は無く、この日はこの場に留まることになった。
俺とクロエ、マリッサが交代で見張りをし、敵の襲撃に備えるということで、一応の決着となった。
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