箱庭攻略②

要領を掴んでしまえば、ソルジャー級との戦いもそう険しいものではない。力強い仲間がいれば、尚更だ。


ラークが木の向こう側で暴れている。四人のソルジャー級に加えて、ウイング級が一人。五対一という数的不利にも関わらず、全く危なげが無い。


一本の木を挟んで、クロエとソルジャー級が斬り結んでいる。こちらも余裕があるように見える。優勢だ。


マリッサ、エルザ、ニーナはウイング級を相手取る。というか、もう殆ど追い詰めている。


俺はソルジャー級の一人と刃を交えていた。最初の交戦から既に三度、吸血鬼の一団と遭遇し、誰一人欠けることなく撃退している。


慣れてきた、と言うべきだろう。二対一の局面を必ずしも作らなくても、やりあえる程度には。


油断しているわけでは無い。

むしろ、個人的には最初よりも必死だ。


だが、確実にやれている実感がある。


俺と対峙する吸血鬼は槍使いだ。“血装”で生成した槍を巧みに扱う。


主な攻撃は突き。いや、木々が密集するこの森の中では、選択肢が無いのだろう。あの長い得物を振り回すのは、物理的に不可能だ。


吸血鬼は息をつく間も無く、突きを繰り出す。突き、突き、突いては突く。さらに突く。その全てが鋭い。渾身の突きだ。


俺は躱し続ける。突かれては躱し、また躱す。時には、穂先を刀で弾き、軌道を逸らす。そんな繰り返しだ。


慣れたとは言え、全てが紙一重だ。


一手でも誤れば、躱し損なえば、気を緩めればーーその先にあるのは、逃れようの無い死だ。ほんの僅かな差で、俺は殺される。


色装が無ければ、こんな素早い動きについていくことはできないだろう。おそらく、最初の突きで終わりだ。それだけに死ミットの消耗も気になる。


神経が擦り減る。


集中している。

だが、どこかでこの集中の糸は切れる。


それに死ミットにも限りがある。

どこかで攻撃に転じなければならない。


『ユズハ、下だ……ッ!』


「ーー!!」


足下から血の棘が唐突に伸びた。


辛うじて反応したが、棘は左の太腿を掠め、肉を抉った。


「ぐっ」


『ヤロウ、地面に血を滴らせてやがったのか』


痛い、というよりも、熱いという感覚に近い。アドレナリンが出ているのか、色装の効力か、痛みはさほどでは無い。


だが、この不意打ちで出来た隙をみすみす見逃してくれるような敵では無い。


追撃が、来る。


顔面を狙った突きを刀で弾くと、すぐに次の突きが襲い掛かる。


一度傾いた戦局をひっくり返すのは至難の業だ。ただでさえ拮抗……いや、格上の相手だったのだ。


突きを弾き続ける。

辛うじて、の連続だ。


何か、きっかけが必要だ。


この劣勢を立て直すには、もはや俺自身の技量ではどうにもならない。


何でもいい。何かーー


「グオォオオォオオォ」


咆哮に、森が震える。


ラークだ。

狼男の咆哮だ。


吸血鬼の攻撃が緩むのを、俺は見逃さなかった。


大きく振り下ろした刀は吸血鬼の腕を切り裂く。血の槍が手から零れ落ちる。


傷口の血が即座に凝固を始めると、それは何かを形作ろうと動き出す。“血装”だ。吸血鬼は流した血をそのまま武器に変えてしまうところに怖さがある。だがーー


「やらせるかよ!」


さらに突きを繰り出す。


今度は腹部だ。

吸血鬼は「ギャッ」と短い悲鳴を上げる。


形を変え始めていた血液が地面に溢れる。個体によるが、“血装”を使う際に、それなりの集中力を要する。


吸血鬼の集中を乱すことさえできれば、“血装”は機能しない。そして、奴らは痛みに鈍感なわけではない。


もう一度斬る。

痛みが吸血鬼の集中を乱す。


こうなれば、あとは一方的だ。

的確に急所を狙い、トドメを刺す。


しかし、油断はしない。


追い詰められた敵が一番怖いことを俺はもう知っている。生への執念か、はたまた、死への恐怖かーーまさに死に物狂いで、奴らは反撃してくる。


俺は大振りの薙ぎ払いを躱すと、その首に刀を突き刺した。


吸血鬼が事切れたのを確認し、他の戦況に視線を向ける。ラークが最後の吸血鬼の頭を潰していた。他も粗方、決着がついたようだ。


返り血を全身に浴びたラークを目にして、ゾッとする。


圧倒的だ。

彼が敵だったと思うと、身の毛がよだつ。


間違いなく、現在のパーティの核はラークだ。


彼の一騎当千の活躍が無ければ、あの吸血鬼の一団を相手にここまでやり合えていなかったはずだ。


「無事か」


ラークが人型に戻る。


クロエ、マリッサ、ニーナ、エルザと順々に安否を確認すると、次第に太腿の痛みが湧き上がってきた。


「まだまだ半人前ね」


マリッサはこちらに歩み寄ると、“灯台”と呼ばれるランタンを太腿の傷口に近づけた。


虹色の炎を宿すそれは、穏やかな熱を帯びている。


「え……?」


傷が塞がっていく。

徐々に、だが、確実に。


まるで、時間を巻き戻すかのように。


「これは……?」


「“灯台”はアンタに伝えた以外にも、いくつか能力がある。これがその一つ、というか、その最たるもの」


治癒能力、ということか。


「何でそんな肝心な能力、黙ってたんだよ」


「“灯台”の能力を過信しないように」


これには、クロエが答えた。


「回数制限、死ミット消費、同一パーティのみに有効。それに致命傷は治せない」


「それに、こういうのがあるって分かると、甘えるでしょ。アンタみたいな奴は」


「そういうもんか……。まあ、確かにな」


余計な一言をマリッサが付け足した頃に傷は完全に塞がった。


死ミットは三十分ほど擦り減っている。それなりの消耗だ。ソルジャー級を倒して手に入る死ミットは二十分程度だから、単純な死ミットの収支は赤字マイナスだ。色装による死ミットの消費を考えると、実際には大赤字だ。


“灯台”による治癒は強力だが、あくまで保険と考えた方が良さそうだ。


「一度戻るか。十分な数は狩ったから、しばらくの間は落ち着くだろう」


吸血鬼が無限に湧く、と言っても、際限なく瞬時に湧くわけではないようだ、というのがラークの見解だ。


吸血鬼狩りを定期的に行っていれば、敵の総数はちゃんと減る。だから、こうしてラーク達はわざわざ危険を冒して、吸血鬼達を討伐するのだと言う。


しばらく歩いてラーク達の家が見えると、ようやく生きた心地が戻ってくる。


どういうわけか、今のところ吸血鬼がこの家を襲ってきたことはない。留守の間に、畑を荒らしたり、家屋を破壊したりーーラーク達に痛手となるような手段はいくらでもありそうだが、吸血鬼はこの家に近くことすらしないようだ。


俺とクロエとマリッサは家屋の前のスペースを借りてテントを張ることになった。あの小さな平家で六人が雑魚寝するのは無理がある。


マリッサが魔導書のページに触れると、ページの中から大きなテントを飛び出した。


魔導書に備っているイベントリーという機能だ。


あらゆるアイテムや武器を収納することができる魔法のページで、イベントリーページと呼ばれる。簡単に言えば、四次元ポケットだ。


マリッサのイベントリーページには、刻印がいくつか刻まれている。この刻印の一つひとつが武器やアイテムとなっていて、触れると収納されている物を取り出すことができる。


この魔導書の機能のおかげで、人々は大きな荷物を背負うことなくダンジョンを攻略することができるのだ。この万能アイテムを生まれ持って全ての人間ーー勿論、亜人も含めてーーが所持しているというのだから驚きだ。まさに、神の恩恵と言ったところだろうか。


そして、この魔導書はこの世界に訪れた時点で、俺にも備わった。どういう原理か分からないので、もう考えるのはやめた。この世界に原理を求めること自体、間違っている。


「どう思う」


テントの中でクロエが切り出した。


というか、このまま寝るのか。この世界だと、こういうのに抵抗はないのか。冷静にテントの中で男女が雑魚寝というのは倫理的に、というか、いろいろまずいのではないか。


「ねえ、聞いてる」


クロエに促されて我に帰る。

雑念に飲まれてしまっていた。


「いいのよ、コイツの意見は」


マリッサは言葉に刺がある。

嫌われているのかもしれない。


慣れてきたから、大丈夫だけど……。

いや、本当は毎回凹んでいる。


「ラークのことだよな」


そうは言っても、頼りないばかりでは情けない限りだ。

ちょっとは自分で物を考えて、少しでも役に立ちたい。


クロエは頷く。


「そう。信用できる?」


彼女はラーク達が嘘をついている可能性を疑っているのだ。


ラークの強さは圧倒的だ。

ソルジャー級も、ウイング級も、彼を前にしたら雑魚同然。


正直、俺達の助けなどいらない。


あのラークが逃げを選択するほどの吸血鬼ーーナイト級が本当に存在するのだろうか。半日近く森を歩いて、いまだに出会していないことを考えると、それ自体が虚言である可能性も否めない。


正直、ラークが手こずる姿が全く想像できないのだ。

逆に、彼らの話が本当だとすれば、ある意味でダンジョンの攻略は絶望的だ。


ーー彼よりも強い吸血鬼が少なくとも三人いる。

その事実を受け入れたくない自分もいるからこそ、こういう疑念が生まれてくるのかもしれない。


「少なくとも、上半身には赤い数字ーー赤い時の針は無かったよ」


ダンジョンの管理者であれば、必ず体のどこかに赤い数字ーー“時の針”が刻まれている。


ズボンを履いている下半身は確認できないが、曝け出している上半身には、それらしきものは無かった。


「あんな美人の奥さんがいなけりゃ、色仕掛けでもしたのに」


「え」


「冗談よ、バカっ」


マリッサが柄にもない冗談を口にして、顔を真っ赤に染める。何とも掴めない女の子だ。


「でも、白とは言い切れないのも確か」


クロエはそんな件を無視して、続ける。


「ラークが私達を欺いているようなことがあれば、確実に全滅する」


「逆にそこだよ。ラークには俺達を欺く理由が無い。ラークには俺達を殺るタイミングが腐る程あったはずだ」


「そういうことね。可能性は捨てきれないけど、アタシ達は開き直るしかないのよ。アイツらが黒なら最初から詰んでた、ってね」


マリッサの言う通りだ。


仮に、ラークが敵なら最初からゲームオーバーだっただけの話だと、開き直るしかない。


「むしろ、ラーク達の話が事実であると仮定したときのことを考えた方がいい」


つまり、ナイト級と影の吸血鬼のことだ。


そもそも勝機があるのか。


ラークの作戦通り、先にナイト級を撃破できたとして、彼らが急死に一生を得たと言う影を使う吸血鬼に勝てるのだろうか。


そもそも、ナイト級が二人しかいないという確証も無い。未確認のナイト級が他にいてもおかしくはない。


「アンタのチェシャ猫ってのはいつ出てくるわけ?」


ラーク達の話を鵜呑みにするのなら、明らかに戦力不足だ。文字通り、猫の手も借りたい。


そして、先のダンジョンでオーガを倒したチェシャ猫の力は是非とも頼りたい、というのは当然の発想だろう。


「それは……」


なんとか言えよ、と頭の中でチェシャ猫に問いかけるが、返答は無い。


この猫が何を考え、何を目的としているのかは、俺にも分からない。というか、本当に味方なのかも。


「ギヒヒヒ」


半ば返答は諦めていたところで、あの笑い声が聴こえた。頭の中に響く、いつもの嫌な感じでは無い。実際に鼓膜を震わせている。


上着を捲ると、刻印のある腹部にギザギザの口が浮かび上がっていた。自分の身体なのに、気持ち悪いことこの上ない。


「これがチェシャ猫」


マリッサが言うと、チェシャ猫は笑う。


「初めまして、だよなァ。ギヒギヒ。初対面の相手に扱いはあんまりじゃねぇか? ギヒヒヒ」


マリッサは露骨に不快感を表情に醸す。


「何こいつ」


「ギヒヒヒ、も頂けねェがーーまあいい。そういう細けぇことは拘らんのがオレ様の主義だ」


チェシャ猫は不気味な笑みを浮かべたまま、続ける。


「安心しろ。ここぞとばかりの時には、オレ様も出張ってやるよ。ご主人様が死ねば、オレ様も生きてはいられねぇからなァ」


「この“潜者”の生き死になんて正直どうでもいいけどね。んで、アンターー何者なわけ?」


「オレ様はチェシャ猫。ユズハの使い魔。それ以上でもそれ以下でもねェよ」


苛立ちを露わにして、マリッサが勢いよく立ち上がる。その怒りが俺に向けられているように錯覚してしまう。


いや、チェシャ猫を宿しているのは俺だから、俺に向けられているというのも、あながち間違ってはいないのか?


「まあまあ、そう怒りなさんなよ、嬢ちゃん。オレ様もこの状況は懸念してんだ。おそらく、このパーティじゃ攻略は不可能だからな、ギヒヒヒ」


全く懸念しているようには聞こえないが、チェシャ猫が言うと謎の説得力がある。笑っている場合ではないのではないか。


「ギヒヒヒ、この箱庭はこのガキを一人前にするにはちょうどいい。……そのナイト級だか、影のなんとかだかが出張ってくるまでは上手く利用させてもらうことにした」


チェシャ猫は言う。


「オレ様はオレ様のやり方に従う。指図すんなよ、ギヒヒヒヒ」


チェシャ猫の口元はそこまで言うと、肉級の形をした刻印のに消えた。


「感じ悪っ」


「いや、なんか……ごめん」


俺が謝るのもなんか違うか。


「まあいいわ。考えても仕方ないことはもうナシにしましょう。今日は明日に備えて寝る」


マリッサはそう言うと、人数分の用意があった毛布に包まった。すぐに寝息が聞こえてきた。入眠までのスピードが尋常ではない。


俺もクロエとマリッサに背を向けて目を閉じる。全く寝つけない。マリッサの寝息が近くで聞こえる。クロエの浅い呼吸も。


五人用だというテントはそう大きなものではない。二人との距離が近過ぎる。


この状況は精神衛生的に良くない。


同じ屋根の下、二人の美少女と川の字で寝るーーこんな場所じゃなきゃ、ご褒美でしかないのかもしれないが、休息が最優先の今に至っては最も不適切な状況だ。


「起きてる?」


また雑念に飲まれていたところで、クロエの小さな声が聞こえた。


「あ、うん」


クロエはマリッサの向こう側で横たわっている。


「大丈夫、そう。その、色々と」


辿々しく、クロエは問いかける。


言葉足らずではあったが、彼女の意図はちゃんと伝わった。


初日には彼女の胸で恥ずかしいほど泣いたのだ。あんな醜態を見たら、心配せずにはいられないだろう。


「俺は大丈夫だよ。クロエとマリッサのおかげで何とかやっていけそう」


これは強がりではなく、本心だ。たぶん。


「なら、よかった」


「ありがとう。むしろ、俺のせいでこんなことに付き合わせちゃって……」


「いいの。私もマリッサも、君のせいとは思ってないよ」


彼女の声色はいつも暖かい。

聴いているだけで心が安らかになるような気がする。


「きっと自分で思っている以上に疲れてるだろうから、早く寝た方がいいよ」


「うん、そうする。えっと……おやすみ」


「おやすみ」


静寂が訪れる。

目は冴えている。


やがて、クロエの寝息も聞こえてきた。


今、優先すべきはいかに疲れを取るか。

状況がどうとか言っている場合ではない。


雑念は捨てる。

今、求められているのは、無我の境地そのもの。


考えるな。心を無にしろ。このテントには一人だけ。一人だけ。


「むにゃ、むにゃ」


「ーー!!」


不意に後ろから抱きつかれた。


「ま、まま、ま、マリッ、マリッサ……?」


「ふにゃ、ふにゃ」


耳元で寝息が聞こえる。

寝ている、ようだ。


「ステーキ」


「マリッサ?」


やはり、寝ている。

寝言、ということらしい。


「いただきます」


「えっ、あ、痛……っ」


マリッサに首筋を噛まれる。


いや、本当に寝ているのか、これ。というか、これ、状況が不味すぎる。密着しすぎだ。


彼女は俺の体を雁字搦めにしながら、首筋を甘噛みしている。彼女の柔らかい身体の感触が俺の全身を包んでいる。


「ま、マリッサ、おい、マジで、起きろ」


マリッサは起きない。


それどころか、俺を抱き締める力がさらに強まった気さえする。背中に小振りな胸の感触まで伝わってきて、なんというか、とても……やばい。頭が真っ白だ。


「不味い。もっとチョコが欲しい」


マリッサは寝言らしきことを口にする。

どういう夢を見ているんだ。


「って、痛い、痛いって」


マリッサは俺の首に腕を回すと、そのまま締め上げる。


「もっと、もっと」


マリッサは俺の首筋を甘噛みしたまま、締め上げる。天国と地獄が一緒に押し寄せてくる気分だ。


「た、すけて」


夜は長い。

まさか、ずっとこれが続くのか?












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