血の庭


エントランスの扉を抜けた先に広がる森は、見た目のとおりと言うべきか、全体像が掴めないほどには広大だった。


広葉樹がひしめき、道という道はどこにも無い。根が張り巡らされた地面を注意深く進んでいく。


森を歩き続け、二時間ほどが経過した。


特に景色に変化は無い。

ひたすらに、時間だけが経過している。


時折、個体のグレムリンとは遭遇するが、それ以外の魔物との遭遇も無い。今のところ、拍子抜けだ。危険と呼べるほどの危険は差し迫っていない。


洋館で遭遇したゾンビの群れもまだ見かけていない。あの洋館からは出ていないのか、それとも、あの歩行速度だから追いつかれていないのか、釈然としない。


「待って」


結局、先頭を歩くことになったクロエが右手を上げた。


木々の先に何か見える。


「建物」


建物だ。


端が見えないが、洋風の大きな館のように思える。まさかとは思うが、戻ってきてしまったのだろうか。


「戻ってきたわけじゃないよな、さすがに」


真っ直ぐ歩いているという自信こそ無いが、真反対に戻ってくるほど方向感覚は狂っていないはずだ。


「ええ。でも」


クロエは言う。


「もしかしたら、同じ建物なのかも」


「あり得るわね」


巨大な洋館は両端を視認することができない。森の奥まで、横に長いのだ。


等間隔に窓があり、茶褐色の壁と朱色の屋根。扉は見受けられない。


俺達は壁伝いに歩を進めることにした。しばらく……と言っても、かれこれ一時間ほど歩いて、クロエの言葉の意味を理解した。


建物の端は、突き当たりだった。もっと言うと、角。つまり、ここはーー


「中庭、ってことかしらね」


マリッサが代弁する。


思えば、洋館を出たときも、。あの時は窓からゾンビが飛び出してくることを警戒して、森を進むことを決めたが、建物としては同一の洋館と考えていいのだろう。


実際には、この建物沿いを一周してみないと判断がつかないが、おそらくは、そういうことなのだろう。


巨大な洋館に囲まれた、巨大な中庭。


最初に建物に突き当たるまで、二時間ほど歩いたことを考慮すれば、ここは縦の距離だけで十キロ以上の規模に相当する。中庭と呼ぶには、広大すぎるかもしれない。


「……となると、出口を探さないとかしらね」


マリッサが顎先に指を当て、思案する。


目的地は定まらない。ターゲットは、ダンジョンの管理人だが、変異したダンジョンにおいては、その姿形は不明だ。


赤い“時の針”ーー赤い数字の刻印を持つ魔物が目下のターゲットになるが、装備などで隠されている場合もあり、一目で判断できるとは限らないらしい。


「ーー!!」


突然、マリッサが背後に影を召喚する。


頭上から何かが降ってきたのと同時に、マリッサの影ーー黒くて大きな腕がその何かを叩き飛ばした。


「ユズハ、色装……ッ!!」


マリッサが声を張り上げる。


色装を使えーーつまり、諸刃の剣である命燃を有無を言わず使わなくては、瞬殺されてしまうような相手の襲撃だと、瞬時に理解する。


蓋を開ける。

死ミットの蓋を。


そして、燃やす。

命に火をつける。


黒い靄が全身を纏い、景色がスローモーションのようにゆっくりと回る。


視界の端に人影が複数。

取り囲まれている。


木の上だ。

木の上に敵がいる。


人型だ。


先行してダンジョンを攻略中の人間か、もしくは、人型の魔物。そのどちらかだろう。


ダンジョンの収納人数は予め決まっている。迷宮街セントラルの扉に表示された数字がそれだ。本来であれば、このダンジョンの収納人数は三人。


だが、変異したダンジョンは例外だ。


何が起きるか分からない。

何があっても不思議では無い。


マリッサが殴り飛ばした人影を視認する。巨大な拳を真面に食らって、上手く立ち上がれないようだ。


襟付きの黒いマント。色白い肌。猫のような黄色の目。口元には、尖った八重歯。


「吸血鬼」


クロエが呟いた。


事前の情報によると、このダンジョンの管理人は吸血鬼だったはずだ。


その吸血鬼が複数体いる。


「背中合わせで……! 死角は作らないで!」


マリッサが声を荒げる。

いや、もはや叫びに近い。


木の上にいる吸血鬼の数を出来る限り把握する。奴らは、木から木へと、こちらを惑わすように動き回っていて、正確な数は掴めない。だが、少なくとも四人はいる。


「なんで、吸血鬼が……」


「変異したからでしょ! 何でもかんでもやるしかないのよ」


その通りだが、その通りではあるのだがーー


「やれんのかよ、この数」


「うっさいわね、やんのよ!」


吸血鬼は木々の上を縦横無尽に飛び回る。攻撃は仕掛けてこない。マリッサの一撃を見て、奴らも警戒しているのだろうか。


未だにマリッサの影の攻撃を食らった個体は、蹲ったまま動けずにいる。奴らに怪我の治癒をする手立てが無いとすれば、あの個体はこのままリタイアしたと考えていいだろう。


「降りてこない」


クロエが言う。


奴らは木の上をちょこまかと動き回るだけで、一向に攻撃を仕掛けて来ない。


クロエとマリッサの攻撃手段を全て把握しているわけではないが、木の上にいる連中を攻撃する手段はそう多く無いはずだ。もしかしたら、ほぼ無いと言ってもいいかもしれない。


吸血鬼は持久戦に持ち込むつもりだろうか。いつでも仕掛けられる状態を延々と繰り返し、こちらの体力と集中力を消耗させる算段かもしれない。


「あれを人質に取る」


マリッサはさっき自身が殴り飛ばした吸血鬼を見た。


奴らがどれほどの仲間意識を持っているか分からないが、選択肢としてはアリだ。

このまま、時間を浪費するよりはずっとマシだ。


俺達は背中を合わせたまま、地面で屈している吸血鬼にじりじりと近づく。


「来る……!!」


クロエが強い口調で言うと、木の上の吸血鬼が飛び降りてきた。やはり、奴らにも仲間意識はある。


吸血鬼の手元に赤い刃が現れる。


吸血鬼は“血装”という異能を持つ。これは上層の人間達が勝手につけた名称だから、本当の名前は知らない。簡単な話、奴らには血を操る能力が備わっている。


吸血鬼は血で出来た剣をそれぞれ手にして、同時に踊りかかる。


「スペル、“水竜の戯れ”」


クロエが詠唱し、水の竜が飛ぶ。彼女が多用するこのスペルは、クールタイムか少なく、使い勝手がいいらしい。


吸血鬼達は水の竜を血の剣で切り裂くと、そのまま接敵する。俺はそのうちの一人と刀を交えた。


刀をぶつけると、鋭い金属音が響く。


奴らの血はその硬度まで自在だ。本来の液体から金属ほどの硬さまで、形と硬度を自由自在に変質させる。


「死を」


刃の向こう側の吸血鬼は無表情でそれだけ呟いた。


人間とかけ離れた猫のような目だけで、人間とは全く別の生き物のように感じる。


「死を」


俺は咄嗟に後ろへ退いた。


直後、吸血鬼の黒いマントを突き破って赤い血の棘がその肉体から無数に伸びた。


命燃の力で感覚が研ぎ澄まされている。通常時であれば、この微かな異変に気がつかずに、串刺しにされていただろう。


俺の後背では、クロエとマリッサがそれぞれ格闘を繰り広げている音がする。そちらに気を回している余裕が無いが、彼女達は各自で二人以上は受け持っているはずだ。


『あっちは気にすんな。死ぬぞ?』


悪魔のような声がまた聴こえた。


血の棘を全身から伸ばした吸血鬼は、今度はその棘を鎧の形へと変質させた。


赤い鎧を身に纏った吸血鬼は「死を」と呟き、血の剣を構える。


チェシャ猫の言う通りだ。命燃の黒い靄を通しても、何とか反応できるといったレベルの相手だ。少しでも集中を絶やせば、簡単に殺されてしまう。


今は二人のことを気にかけている場合ではない。いや、二人の助けになるつもりなら、早いところを目の前の吸血鬼を打破すべきなのだ。


吸血鬼が再び攻めかかる。

横一線に振り抜かれた剣を俺は刀で受けた。


接近戦に持ち込まれると危険だ。


奴の鎧は変質可能な血液で出来ている。予備動作無しの血の棘がいつ飛び出してもおかしくはない。


縦、横、縦、袈裟斬り。

吸血鬼は攻撃の手を緩めない。


攻撃は受け切れている。

だが、悪く言えば防戦一方だ。


この局面を打開しなくては、いつか詰む。


剣術でも間違いなく劣っている。

身体能力も命燃を使って、ようやく互角。

そのうえで、奴には自在に操れる血の凶器がある。


実力は向こうの方がずっと上だ。


幸か不幸か、相手は俺を見くびっている。ある意味では、正当な評価ではあるが、勝機があるとすれば、その一点だけだ。


何度も何度も奴の剣を受けては後退を繰り返すうちに、クロエ達とも離れてしまった。木々の奥で、まだ戦闘が続いていることが微かに分かるが、戦況は不明だ。いずれにしても、助けは期待できないし、するつもりはない。


俺一人でなんとかしないと。


攻撃を受けながらずっとタイミングを見計らう。相手の動きに慣れてきているとも言える。見計らうだけの余裕が出てきたのだ。良い兆候かもしれない。


今だ。


吸血鬼が縦に大きく振り下ろした剣を弾き返すと、大きく一歩踏み出す。基本は、刺突。クォントが教えてくれた渾身の突きだ。


『バカ、誘われてんだよ』


チェシャ猫の声で寸でのところで歯止めが掛かった。


勢いが抜ける。中途半端に繰り出された突きは吸血鬼の脇をすり抜ける。おそらく、あのまま全力で繰り出していたとしても、躱されていたはずだ。チェシャ猫の言う通り、のだ。チェシャ猫の声が無ければ、このまま殺られていた可能性さえある。


思わぬ角度から刃が伸びる。血の鎧の手甲を変質されたものだと、刀を弾き飛ばされてから気がつく。刀が宙に舞う。吸血鬼はここぞとばかりに追撃を仕掛ける。


「くっ」


振り下ろしたばかりの剣が下から上へ振り上げられる。後ろへ仰反ると、目と鼻の先を真っ赤な刃が通過する。前髪が剣圧で揺れた。


「死を」


「それ、ばっかり……ッ」


流れるように、と言うか、ほぼ無意識のうちに足が出ていた。よく出たものだと自分でも思いながら、俺のキックが吸血鬼の脇腹に食い込む。


色装で強化しているだけあって、吸血鬼はそれなりに後ろへ蹴り飛ばれ、後方にあった木に背中をぶつけた形となる。畳み掛けるか、と思ったのも束の間、奴には全く効いていなかったようで、間髪入れずに体勢を立て直し、再び距離を詰められた。


猛攻が始まる。


吸血鬼は得物を失った俺を執拗に攻め立てた。これで終わらせるつもりだろう。ただでさえ防戦一方だったのだ。格下の相手が武器を失ったとなれば、奴にとって恐れるものなどない。


俺は回避に徹した。

と言うか、それしか選択肢が無かった。


色装による強化のおかげで打撃によるダメージもそれなりに期待できるだろうが、格闘となると間合いが違いすぎる。奴の懐深くに入らなければ、きっと攻撃は通用しない。


現実的に無理だ。攻撃を刀で受けるのと、避けるのとでは難易度が違う。高速の剣を常に目で追い続け、精神を削りながら、攻撃を躱し続ける。


避けに避ける。

だが、消耗しているのが自分でも分かる。


このままでは、ジリ貧だ。

それも、そう時間は掛からない。


俺は後ろへ、後ろへと追い詰められる。

ゴン、と背中に何かがあった。大木があった。


「死を」


吸血鬼がニヤリと笑った気がした。

追い詰めた、と思ったのだろう。


ここだ。

この場所。このタイミング。


賭けてみるなら、この瞬間しかない。


俺は手を横に伸ばす。

そして、引き寄せる。


「【赫】」


“王牙二色”は、離れた場所から使用者の手元に引き戻る能力がある。発動のスイッチは【赫】と唱えるだけ。


刀身が赤く染まる。

それは意思を持ったかのように浮かび上がり、俺の手元に勢いよく戻ってくる。


引き寄せられた刀の柄を掴むと、自然と体が動いた。どうすれば良いか、頭でずっとイメージしていた。後は、そのイメージをなぞるだけ。


吸血鬼は剣を振り上げていた。その顔には、僅かな焦燥。思いもしなかったと言った顔に見えなくも無い。俺は横に体を少しズラし、姿勢を低く、踏み込む。そして、もう一度繰り出す。クォントに叩き込まれた刺突を。


狙うのは急所。


血の鎧を纏っている胸部は駄目だ。

それよりも上部。首、もしくは、頭。


「はぁああぁあッ!!!」


我ながら必死だなと、どこか冷静に自分を見下ろすもう一人の自分がいることに気がつく。客観視できていると言えるかもしれないが、集中が足りないとも言える。


イメージをなぞる。

体はイメージが形取った軌道を完全に模倣する。


「死、を」


ブスっと言う嫌な感覚が手に伝わった。

吸血鬼の首筋に入り込む刃先。確かな手応えが俺に恐怖と安堵を与える。


奴は視線だけをこちらに向け、いまだに何が起きているのか理解できないと言った表情をしている。黄色い目が見開き、その口元から血が溢れ出す。


刀を抜くと、凄まじい勢いで血が吹き出した。

吸血鬼は声ひとつ上げないで、地面に崩れ落ちると、そのまま事切れた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


呼吸が荒い。

どっと疲労感が襲ってきた。


よく、生きていた。

正直、上出来だ。出来すぎている。


膝を着きそうになって、すぐに現実に戻る。


「クロエ、マリッサ……」


音がする。

刃と刃がぶつかる音だ。


まだ戦闘は続いている。

俺は森を走る。音の鳴る方へ。


手には、まだ吸血鬼を殺した感覚が残っている。見ると、手が震えていた。


「止まれ……よ」


左手で刀を握る右手を抑えながら、俺は自分に言い聞かせる。


音が近づいてくる。

知らないうちに、随分と距離を離れてしまったようだ。


木々の向こうに、ようやく二人の姿が見えた。

彼女達の生存に安堵すると同時に、状況の深刻さを思い知る。


俺は思わず木の裏に身を隠した。


「死を」

「死を」


完全に包囲されている。

その数、六人。


彼女達は背中を合わせながら戦っているようだ。


マリッサが時折、背後に召喚した黒い手を大振りで振り回しているせいか、吸血鬼も迂闊に距離を詰められないようだ。だが、同時にクロエ達も攻めに転じることができていない。


「死を」


吸血鬼は合言葉のように死を歌う。


木の上に二人。

四方から取り囲むように地面に四人。


どうする。

いや、どうするじゃない。

やるんだ。やるしかない。


今の膠着状態を崩すのは、きっと俺の役目だ。俺の立ち回り次第で、この戦況はきっと大きく変わる。逆に、俺がしくじれば、もっと悪化するかもしれない。


しくじるわけにはいかない。


俺は足音をなるべく立てないように細心の注意を払い、戦場へと近づいていく。狙うのは背後からの奇襲。格上の相手だろうが、不意打ちなら殺せないことはないはずだ。


ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。焦るな。焦れば焦るだけ、良からぬ方向に事態が転がるーーそう自分に言い聞かせて、慎重に、足を運ぶ。木々の裏に身を隠しながら、ゆっくりと近づいていく。


目測であと五メートルほどのところまで来た。


問題はここからだ。吸血鬼の背中が見える。

神経を擦り減らし、俺はまた一歩踏み出す。


「死を……!!」


吸血鬼の一人が今までとは全く異なるトーンで言い放った。


背中を見せていた吸血鬼が勢いよく振り返る。

その距離、三メートル。殺れるか、届くか。


『バカ、遅ェ!!』


ーーしくじった。


チェシャ猫の怒鳴り声が頭の中で響いた。もう吸血鬼は体を完全にこちらに向け、血の剣を構えていた。不意打ちは失敗だ。


「くそっ」


吸血鬼が剣を振り抜く。

滑るような軌道を描いた突きを、辛うじて刀の切先で弾く。


「うわ、くそ、なんで」


二の太刀、三の太刀が次々に迫る。

俺はリズムゲームでもするみたいに、その剣筋を何とか弾く。


「ユズハ……!!!」


クロエが叫んでいる。

もう構っている余裕は無い。


不意打ちで一人を、と言うのがベストだったが、一人でも引き付けられれば御の字と思うしかない。


「え……」


木の上から影が降り立つのを、視界の端で捉える。


『一人じゃねェ……ッ』


チェシャ猫の怒号。

脇腹がヒリヒリする。


二人、来た。

まずい。それは、まずすぎる。


一人を相手にするのもギリギリなのに、二人は無理だ。多分、きっと、一分ももたずに殺られてしまう。


『ちっ、オレ様が……』


バンッーーと銃声が響き渡った。


「え、っと、あ?」


木の上から吸血鬼がもう一人降りてきた。いや、落ちてきた。視界の端で僅かに見えただけだが、負傷していたように見える。まさか、撃たれた?


「ガゥゥッ!!!」


俺に攻めてかかっていた吸血鬼が横から飛んできた何かに押し倒された。


「え、はっ!?」


さっきから「え」とか「あ」としか口に出していない自分が何とも情けない。


吸血鬼に押しかかった何かは、吸血鬼の首筋に。血潮が吹き出す。空かさず、もう一人の吸血鬼にも一気に詰め寄ると、その腕を振り抜いた。


吸血鬼は

その何かの手の鋭い爪に。


呆気にとられたまま、吸血鬼は胸部を引き裂かれ、地に伏せる。


返り血を浴びたそれは前傾姿勢を崩すと、二本の足で立ち上がる。巨躯だ。二メートル以上の身長に、それに見合うだけの肩幅。全身が毛むくじゃらだ。不思議なことに、人間と同じようにズボンを履いている。


二足歩行の狼。

灰色の毛並みと頭部は、まさに狼のそれだ。


ダンジョンは弱肉強食の大自然だ。


それぞれのダンジョンでそれぞれの生態系を形成する。共存する者、食らいあう者、搾取される者。自然の摂理に従って、ダンジョンはあるべき形を形成する。


きっと、今目の前のこれもそう言うことなのだろう。


この狼にとって、吸血鬼達は獲物で、食らうべき存在。ここはそう言う生態系なのだろう。そして、その自然の摂理に、俺達のような外部の者も必然的に組み込まれるのだ。


助けてくれたのでは無い。

きっと次はーー俺だ。


「無事か」


低い声でそれは喋った。


「え」


また、「え」だ。

人間の言葉が話せないのか、俺は。


「怪我は」


いや、と言うか、この獣は人語を話すのか。

その上、俺に対して心配の声をかけているのか。


「あっちも終わったみてぇだな」


狼は視線をクロエ達の方へ向ける。


この狼の言った通り、戦いは終わった後のようだ。吸血鬼達は皆、地に伏せ、血溜まりに浮かんでいる。代わりに、新しい人影が二つあった。二人とも赤いポンチョを着ている。


「おっと、すまねぇ。この格好だと怖いよな、そりゃ」


狼は再びこちらに視線を戻すと、そう言って笑った。いや、狼の表情は読み取れないので、あくまで笑ったように見えただけだ。


「え、え?」


再三にわたっての「え」にもはや自分に呆れる。狼よりも言語能力が低い。


しかし、そうなっても仕方がない現象が起きている。目の前の狼は一回りほど体長が縮んだかと思うと、フサフサだった灰色の毛も短くなっていく。毛が体内に収束していくようにも見える。


毛が無くなると地肌が見えてくる。肌色の地肌だ。気がつくと、狼だったそれは、一人の人間へとその姿を完全に変えていく。


銀色の髪に、筋肉質な体つき。

無骨で屈強な男の姿と化した元狼は名乗る。


「俺はラーク・ベオ・ワーウルフ。見ての通り、狼男ってやつだ」


ラークと名乗る男ーー狼男はそう言って笑うと、右手を差し出した。握手を求められていると、少しして気がついた。

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