想定外


ダンジョンの変異、という現象があるらしい。クロエ達による事前のレクチャーでは何も聞かされていない。初耳だ。


というのも、この現象は滅多なことにはお目にかかれず、多くは伝聞や噂に近い形で広まっている。実際に、遭遇した人間は少ない。


そして、現在ーー俺達はその滅多にお目にかかることのない現象に出会してしまった。


本来、ダンジョンの構造は、予め決まっている。ルートも生息する魔物も、生態系も。


ダンジョンはクリアすると、一時的に封鎖されることになるが、再度開放されたとしても、そのダンジョンが前後で様変わりするようなことは起こらない。


ダンジョンの中でも生態系があり、その中で弱肉強食の世界が日々蓄積されているから、ある程度の変化はあっても、それは誤差の範囲だ。


例えば、この洋館だってグレムリンがいつもより多いとか、その程度の違いに過ぎない。


だが、ダンジョンの変異が起こると、その前提は覆る。


ダンジョンの構造は大きく変化し、本来なら生息しないような魔物が現れる。そもそも、ダンジョンとしては全く別物になるようなことも有り得る。


本来、コレクションルームに繋がるはずだった扉は、どういうわけか、薄気味悪い牢獄に繋がっている。動くコレクション達はどこにもいない。


エントランスに戻り、一階の扉の先も確認したが、そっちはもっと意味が分からないことになっていた。扉の先は、森だった。洋館ですら無い。


「考えを改める必要があるわね」


エントランスにもう一度戻り、神妙な面持ちをしてマリッサが切り出す。


「ここはもはや、【吸血鬼の洋館】とは別物。何が出てきても、何が起きてもおかしくはない。勿論、攻略の難易度だって未知数。下手をしたら、全員死ぬわよ」


ダンジョンそのものが、もはや別物。それが変異。クロエにとっても、マリッサにとっても、ここは未知のダンジョンと変わり果てた。


正直、俺の試験がどうこう言っている事態では無い。


「ユズハ、出し惜しみしてる場合じゃないわよ。アンタがオーガを倒したって言う力。というか、使い魔? さっさと引き摺り出しなさい。死にたくなきゃね」


「俺だって分かってる。けど、チェシャ猫だって、何がどうなって出てくるのか分からないんだよ」


「分かってんのか、分かってないのか、はっきりしないわね。アンタは」


ガチャン。

そこまでマリッサがいったところで、扉が開く音がした。


二階だ。

牢獄に続く扉が解き放たれた。


「キィキィ」


グレムリンの鳴き声がする。いや、これは悲鳴か。グレムリンの悲鳴だ。


「あぅ、あうゔ」


それから別の呻き声。一つや二つでは無い。無数の呻き声が上階から漏れ出している。


クロエが剣を抜き、マリッサが影を召喚する。只ならぬ事態が起きている。


何かが扉からのっそりと、ゆったりと這い出てくる。それは人だかり。腐敗した人間の、人だかり。


「ゾン、ビ?」


「ゾンビ? 何それ。アンタらの世界には、そういうのがいるわけ? アンタらの世界の魔物ってこと?」


「実際にいるわけじゃ無い。あくまで、空想の生き物、というか、死人というか」


二階の扉から次々に姿を現したのは、生きる屍。腐敗した人間達の群れ。いわゆるところの、ゾンビのようなもの。


腐敗し、爛れた皮膚を纏い、擦り切れた衣類は生前の名残を僅かに残す。眼球は目元から零れ落ちそうで、異様にグロテスクだ。


ゾンビはゆったりと、それこそ、イメージ通りのスピードで両手を前方に突き出したまま歩く。階段のところで躓いたが、またゆっくりと立ち上がる。そんな所動のゾンビがわらわらと二階に群がり、一階に向かってきている。その数は数十、いや、もしかしたら、百はいるかもしれない。


ゾンビの群れに紛れて、グレムリンもいる。しかし、グレムリンはゾンビから逃げ惑っているように見えた。


一匹のグレムリンがゾンビの手に捕まる。ゾンビは躊躇なく、グレムリンを頭からかじりついた。どうやら、奴らにとってあの小動物に近いグレムリンは捕食対象のようだ。


「説明しなさい。あれは何なの」


マリッサが俺に対して説明を求める。


あくまで、こっちの世界の空想の中だと、という前置きをした上で俺は答える。


「死んだ人間が意思を持たずに生き返ったモンスターだ。設定によるけど、あれに噛まれたり、傷つけられたりすると、同じようにゾンビになっちゃったりする」


そもそもアレが本当にゾンビなのかも分からないが、元いた世界の空想がAちゃんねるでそのまま実在するといった事象は珍しくないらしい。この世界は、そういう風に出来ている。


「少しでも食らったらゲームオーバーってこと?」


「そういう可能性がある……かもしれない」


「釈然としないわねぇ、アンタって奴は」


「言い争ってる、場合じゃない」


俺とマリッサの会話を断ち切り、クロエはそう言い、魔導書を顕現させる。


彼女が魔導書のページに触れると、その手元から竜を象った水の鉄砲が放たれる。


今まさに一階に到達しようとしていたゾンビの群れの先頭に竜がぶつかり、そのうちの一体の頭部が半分だけ弾けた。ひどく脆い。


だが、頭部を半分失っても、しばらくするとゾンビは立ち上がった。想定はしていたが、ほとんど不死だ。頭部を完全に欠損させるか、手足をもぐかしないと、アレは止まらない。


「タフ、だね」


「そもそも数が多すぎる。どっから湧いてきたのよ、アイツら」


ゾンビの擦り切れた衣類の下に、時の針と呼ばれる数字の刻印が見えた。「15」。レベルが高い。


「あのレベルがこの数ってのは、よろしくないわね。迎撃は無し。逃げるよ」


「逃げるってどこに……!?」


「どこって、選択肢なんてもう無いでしょ。アンタ、馬鹿?」


マリッサは口が悪い。


彼女の目線はエントランスの扉に向けられている。謎の森に続く扉だ。


ダンジョンの入口は閉ざされている。入ってきた扉からダンジョンを出ることは出来ない。それは全てのダンジョンに共通して言えるらしい。つまり、選択肢は一つだけだ。


「行くわよ」


幸い、扉の先はどういうわけか広大に見える森だ。あの数のゾンビが溢れ出しても、すぐに追い詰められることは無いだろう。


マリッサを先頭に俺達は扉から森に出る。ゾンビの移動はゆっくりだ。逃げ道があれば、問題ない。とりあえずは何とかなる。


最終尾の俺は扉を閉めると、森を駆けるマリッサ達の背中を追いかけた。


このダンジョンの魔物の平均レベルは5、6だと聞いていた。あのゾンビはそのレベルを優に超えていた。


ダンジョンの変異。

それに伴う、生態系の変革。


マリッサは言っていた。

もう、ここは【吸血鬼の洋館】とは別物だと。


ゾンビのレベルだけ見ても、攻略の難易度は段違いに跳ね上がったと考えていい。


心臓が凄まじい速度で脈動しているような気がする。


このダンジョンに挑む前は、どこか安心していた自分がいた。結局は、ダンジョン攻略体験に近いーー言うなれば、学生の職場体験にも似た感覚だった。


ユートピアの戦闘員にとっては慣れ親しんだダンジョンの一つで、経験豊富な二人の美少女も同行してくれる。だから、恐れる必要はないのだと。


馬鹿だ。

大馬鹿だ。


「くそっ」


そんな生半可な気持ちで臨むからこんなことになるんだ。自業自得だ。


俺は走る。

森を駆ける。


どこであろうと、誰といようと、何があろうと、この世界はどこまでも死と隣り合わせなのだという自覚を、俺はもっと持つべきだったんだ。






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