吸血鬼の洋館
扉の前で一茶らと離別した俺達は、西洋風の館の中ーーダンジョンの一つ、【吸血鬼の洋館】にいた。
パーティメンバーは当初の予定通り、クロエとマリッサが同行している。
赤い絨毯と煌びやかなシャンデリア。
エントランスと呼ばれる広間で、俺は魔物と対峙していた。
体長は人間の背丈の半分程度。
基本的には、犬のような体型だが、手は長く、羽が付いている。犬というより、大きな蝙蝠と表現した方が適切かもしれない。
腹部には、「3」の数字。時の針だ。ちなみに、この世界では、時の針の数値がそのまま強さに直結することを表して、この数字をレベルと言い表すことがあるらしい。
それに倣うと、この大きな蝙蝠のような生物は、「レベル3」の魔物と言える。
この魔物の名前は、グレムリン。この洋館の生態系の八割はこのグレムリンと呼ばれる魔物が牛耳っている。
レベルに見合った強さで、ダンジョン慣れしているような人間にとっては取るに足らない相手だが、厄介なのはその生息数だ。
殆どの場合、群れで行動し、弱者から取り囲んで襲いかかる。
一体ずつ相手取れば大したことはないのだが、数の暴力で押し潰されればそれなりの経験を積んだ人間でも命を落とすこともあるのだそうだ。
幸いなことに、現在相対しているグレムリンは群れにはぐれた個体のようで、キィキィと甲高い鳴き声でこちらを威嚇している。
マリッサが慣れるには良い機会だからと、一対一のチャンスを与えてくれたのだ。
俺は刀を構えたまま、グレムリンの動きを注視する。
この魔物を倒せば、俺は新たに三分の死ミットを手にすることができるーー逆算して考えると、この魔物程度が相手であれば、三分以内に倒せないとジリ貧になるということだ。
キィとグレムリンが鳴き、跳んだ。鋭い牙がシャンデリアの輝きを受けて、口元で光った。
グレムリンの攻撃手段は主にあの牙だ。グレムリンの牙には、特殊な粘液が含まれていて、あの牙にやられると、なかなか血が止まらなくなるのだそうだ。
擦り傷でも負うわけにはいかない。
グレムリンの軌道に合わせて刀を縦に振るった。グレムリンは羽付きの腕をばたつかせて、空中で後退すると、すぐに地面を蹴り直して再び接近を試みる。
もう一度刀を振るう。グレムリンの爪が刀身とぶつかる。キィンと鋭い音がして、手に衝撃が伝う。
グレムリンは再び後退する。次第に、焦燥感に駆られる。反撃のイメージが湧かない。全くと言っていいほど、手数が追いついていない。
グレムリンは飛んで跳ねてを繰り返し、幾度となく攻撃を試みる。俺はその度に刀を振るい、グレムリンを牽制する。防戦一方だ。
「見てらんないわねぇ」
後ろでマリッサが悪態をつく。
全くその通りだ。多勢に無勢で初めて真価を発揮するグレムリン一匹に対してこの有様だ。将来性が無いと見限られても仕方がない。
『ギヒヒヒ』
グレムリンを弾き返したタイミングで、声が聴こえた。聴き覚えのある不気味な笑い声だ。
「お前……っ」
『口を閉じとけ。今はまだ、オレ様の声はテメェにしか聴こえねぇからよォ』
頭の中に直接響く耳障りーーこの場合、耳障りという表現が適切ではないかもしれないーーな声。たしか、名前はチェシャ猫。
『一言言わせてもらうが、ビビりすぎだ。必要以上に怯えんな。よく見ろ。目を閉じるな』
果たして、これが一言で済んでいるのか疑問だが、一理あるのも確かだ。
刀がグレムリンと接触する直前に、俺は無意識に瞬きをしていた。
『よく見りゃすばしっこく見えるだけだ。テメェが思うよか、コイツは速くねェ』
グレムリンがまた跳ぶ。
俺は刀を振り下ろす。
意識して、目を見開く。
『血が止まらなくなるだァ? 安心しろよ、死にはしねェ。死なない限りは擦り傷だ』
極端な物言いだ。
だが、これも一理ある。
グレムリンの牙は恐るるに足るものではあるが、動脈をやられたりしなければ、致命的にはなり得ない。
『オーガを思い出せ。アレに比べりゃ、雑魚も雑魚だろ? ギヒヒヒ、何にビビってやがんだ、相棒』
得体も知れない、顔も知れない、そんな相手に相棒呼ばわりされるのは不本意だったが、思考はクリアになっていた。
落ち着いてきた。
その通りだ。
この程度で、死にはしない。
『防ぐことを考えんな。攻めろ』
チェシャ猫は笑う。
その笑い声に何故だか背中を押されるように、俺はグレムリンの突進を躱す。
グレムリンの脇腹は隙だらけだ。どうして今までこれができなかったのか。こんな簡単なことが。
隙だらけの脇腹に刀を突き立てる。刺突は簡単にその腹を裂く。グレムリンは悲鳴を上げ、羽付きの腕をバタつかせる。
「ピギャア」
引き抜き、また突き出す。
今度は首元に。
確実に息の根を止める。
「やっと、ね」
刀身の先で動かなくなったグレムリンを見て、マリッサが呆れたように言った。
「アンタがほんとにオーガを殺ったの? 全然信じられないんだけど」
彼女は大きな溜息を洩らす。
その手には、虹色に光るランタンが握られている。
ダンジョン攻略用の必須アイテムで、“灯台”と呼ばれる代物だ。
マリッサが手にする“灯台”はそんな諸問題をたった一つで解決してしまう。“灯台”を持つ人間の同一パーティは、“灯台”の加護が与えられ、あらゆる環境に適合できるようになる、らしい。
パーティがダンジョンに持ち込むことができる“灯台”は一つだけ。そのため、パーティとしての立ち回りは、“灯台”の死守が前提となるようだ。
「とにかく、初の獲物はこんなもん……ってことにしとくかしらね。今日のアンタは
ちなみに、ダンジョンの攻略法を考察する書物は、ユートピアにも百数冊存在する。
ダンジョンの攻略には、パーティにおけるポジションを設定し、隊列を組むことが効率的だと言われている。
ポジションは大きく分けて、前衛・後衛・灯台守の三部類となり、前衛と後衛は更にいくつか細かく分類される……らしい。
基本的な立ち回りは、“灯台”を保持する灯台守りが全体のサポートに回りつつ、後衛が灯台守りの護衛を務める。そして、前衛がその間に敵を殲滅するーーというのが、理想系なのだそうだ。
各ポジションでどう立ち回るべきかは、先人達が幾千もの実戦の末に辿り着いた答えがある。ユートピアの書庫には、既に教科書もある。
ちなみに、
らしい、ばかりで嫌になるが、結局のところ、経験の無い俺は誰かから見聞きするか、書物を読むしか何かを知る術はないのだ。
兎にも角にも、この急拵えのパーティーーそもそもこの三人でパーティと呼ぶに値するかは別としてーーにおいて、俺は
要は、“灯台”を気にせず、目の前の敵をひたすら打ちのめせ、という役柄だ。
俺の試験でもあるダンジョン攻略だから、妥当なポジションなのだろう。だが、グレムリン一匹に手こずっている俺に、果たしてその役割が担えるのかは不安だ。
少なくはない不安を抱えながら、俺達は洋館を進む。
ダンジョン【吸血鬼の洋館】はその名の通り、西洋風の巨大な館である。
前回のダンジョンは平地と山地、そして、集落を形成するほどの広大な大地が広がっていた、まさに異界とも呼べるほどの規模だったが、この洋館はそれほどの大きさではないようだ。
だが、異界という意味では同じだ。
クロエが教えてくれた事前情報によれば、洋館の作りは単純だ。
まずは現在地にあたるエントランス。このダンジョンのスタート地点は必ずこの場所なのだと言う。
絢爛な装飾品の数々。壁にはお高そうな絵画がこれまたお高そうな額縁に収められ、天井には美しいシャンデリア、床はしっかりとした生地感のレッドカーペットが敷き詰められている。
エントランスは二層に分かれていて、左右両脇から中央にかけて伸びる階段から二階部分に向かうことができる。正面にも、大きな扉があり、選択肢としては階段から二階へ昇るか、正面の扉を潜るか、の二択だ。
正面の扉は薄暗い回廊に続く。
グレムリンはこの暗闇の回廊を巣にしており、奴らが得意とする集団襲撃の的になることは必須だ。
二階にも扉があり、その先は館の主のコレクション部屋だと言う。コレクションと言っても、蒐集品ではない。その部屋にあるコレクションは全て動くのだとか。
いずれのルートも辿り着く先は決まっている。どちらにせよ、この館への侵入者はダンジョンの管理人である吸血鬼の元へ招かれることになっている。
ダンジョンに入る前から俺はどちらを選ぶか既に決めていた。
「予定通り、二階を経由するのでいい?」
クロエとマリッサが黙って頷く。
脇に伸びる立派な階段をゆっくりと昇り、二階の扉に辿り着く。
「じゃあ行くよ」
この扉の先はすぐにコレクションルームだ。動く骨董品たちとの戦闘がすぐに始まることになるだろう。
俺は右手で刀の柄を握り締めたまま、左手でその大きな扉をゆっくりと押し開ける。
「え」
扉の先に広がった、想定していなかった光景に言葉を失った。
「なっ」
「まさか……」
クロエとマリッサも同様に言葉を失っていた。彼女達にしても、想定外のことが起きているのだと悟る。
「一応聞くけど、これが、コレクションルーム……?」
扉の先に広がっていたのは、薄暗い回廊。だが、一階の回廊とも違う。回廊の両脇に等間隔に備え付けられた鉄格子。あれは、おそらく、牢屋。
「違う。ここは、私達の知っている場所じゃない」
クロエの顔色が悪い。
「まずいわね」
マリッサが言う。
「ダンジョンの変異が起きてる」
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