迷宮街、再び


約束の一週間を経て、俺は再び迷宮街セントラルに立っていた。


この一週間で戦闘の基本いろはは勿論のこと、この世界の常識となる知識も強引に詰め込まれていた。その常識の一つとして、迷宮街セントラルは欠かすことができない。


ーー迷宮街セントラル


この世界の中心であり、真髄。

そこにこの世界の全てがあると言われているが、真実を知る者は誰もいない。


こうして降り立ってみると、思ったよりも落ち着いている自分に気が付く。


西洋風の街並み。褐色の煉瓦が寸分の違いもなく地面に敷き詰められており、まるで、つい最近舗装されたように真新しく見える。勿論、この街は古くから存在しており、向こうの世界のように公共機関が道路のメンテナンスに努めていると言った背景は無い。この街は、どういうわけか破損がひとりでに再生するのだという。


家々は全て同じデザインだ。販売住宅のような、と言うと聞こえが悪いが、同じ基調の家々が理路整然と立ち並ぶ光景は圧巻だ。全てにおいて、調和が取れているように思える。黄金比の法則がこの世にあるとするならば、この街はその教科書のようだ。


家には窓が無く、そこに住むべきはずの住人はいない。そもそも、扉は家の中に繋がっておらず、その先には全く別の異空間ーーダンジョンがある。


ダンジョンに繋がる扉には、小窓が付いている。小窓にはそれぞれ数字が刻まれており、これがそのダンジョンに入ることができる“収納人数”なのだという。「3」なら残り三人までこのダンジョンに入室することができる、という意味になる。


数字が無い扉は、既にクリア済みで閉鎖されているダンジョン、もしくは、収納人数を超えてしまっているダンジョンだ。これは時間の経過により開放されたり、収納人数が増加したりする。


ダンジョンの扉はシステマチックに見えて、誰かが管理しているようなきらいもある、らしい。基本的には一定のルールに従っているが、どこかで人の気配を感じると、シュウゾーが不審がっていた。


迷宮街セントラルは東京ドームより一回り小さい広場を中心に綺麗な円形に街が構成されている。


広場を中心に六つの大きな道が伸び、そこから派生して街が広がる。その全ては規則正しい直線上に家々が連なる。その家々の全てにダンジョンへと続く扉が備わっており、数百にも及ぶ扉ーーダンジョンが存在するというが、その全容は“三王”の手を持ってしても解明されていない。


「ここは“外構”だな」


俺の隣で一茶が言った。


迷宮街セントラルは主に“中央”と“外構”という二つのエリアに区分される。円を描く巨大な道が中腹を横切っており、そこを境に分けられる。


そして、“中央”に存在するダンジョンと“外構”に存在するダンジョンでは難易度が異なることが知られている。前者は高難易度の傾向が高く、いまだに情報が少ないダンジョンも多い。結局、生存者が少ないため、情報を持って帰ることができないのだという。


後者ーーつまり、俺達が今いる“外構”は比較的、ダンジョンの難易度が低い。


“三王”が開放時間を管理しているダンジョンの多くも、この“外構”に位置している。例外もあるが、“中央”に比べればその難易度は一段と下がり、そこに生息する魔物もそれなりだ。ちなみに、俺とクロエが最初に入ったダンジョンも、これから攻略することになる【吸血鬼の洋館】も“外構”にある。


「シーザー、距離は?」


一茶の問いかけにシーザーは右手に持つ方位磁針に視線を落とした。


「南に六区画ってところだ」


「まずまず順調なところに飛んだね」


一茶はそう言って面々の顔を確認した。


これからダンジョンに同行するクロエとマリッサ。それからシーザーと彼が率いる魚人が二人、侍のような出立の白髪の男が一人。計、八人の大所帯だ。


ダンジョンの攻略隊の他にどうしてここまでの人員が必要かーー勿論、これにも理由がある。


ユートピアから迷宮街セントラルに行くには、一茶の特異点【愚者フール】の能力による長距離転送を使うことになる。


ーーアクティブスキル『黄昏の旅人』。


自身および自身の周囲五メートルにいる任意の者を一度見た場所に瞬時に転送することができる能力だ。


この能力は転送距離が長ければ長いほど精度を欠く。


精度は使用者のイメージなどにも左右され、居住地であるユートピアへ飛ぶ場合には、長距離であろうとある程度の精度を保てるらしいのだが、迷宮街セントラルへ飛ぶ場合はそうはいかない。


一茶によると、迷宮街セントラルへの転送は迷宮街セントラル程度の精度になる。つまり、迷宮街セントラルのランダムな場所に転送される。


迷宮街セントラルは広大だ。もし、そのに飛ばされるのであれば、目的のダンジョンまでの距離は最大で数キロ単位にも及ぶという。


そして、迷宮街セントラルは常に観測されている。


ユートピアでそうであったように、他の“三王”の勢力により、常に迷宮街セントラルの様子は中継され、必要に応じて、襲撃が行われる。


ダンジョンを目的とする敵対勢力が迷宮街セントラルに立ち入ったとなれば、ほとんどの場合は襲撃の対象となり得る。ダンジョンの突入前は、他の勢力からの襲撃を前提に動いた方が間違いないようだ。


そうした背景からユートピアの戦闘員達は迷宮街セントラルへ立ち入る際には、一茶を含めた八人以上で小隊を作ることになっているのだそうだ。


「この距離なら襲撃に遭わずに済みそうだな」


魚人族の族長、シーザーが言った。


迷宮街セントラルは静かだ。静寂に包まれている。思ったよりもダンジョンの近くに飛べたこともあって、心配は杞憂に終わりそうだ。


「そういうことをお前が口にするときは大体その通りにならない」


白髪の侍ーーウタマルが言う。


彼の額には小さな角が一本伸びている。白髪の一本角、和服で統一された彼らは剣鬼族と呼ばれる亜人らしい。剣技に優れ、人並外れた動体視力と俊敏性が売りだ。


ウタマルは剣鬼族の族長の息子で、種族の中でも一、二を争う剣の腕前の持ち主だと、シーザーは自分ごとのように紹介してくれた。シーザーとウタマルは幼馴染らしい。


「ーーほらな」


ウタマルが腰に差す刀に手を伸ばす。


接近に全く気がつかなかった。

屋根の上から次々に飛び降りてくる黒い影。


一様にして黒い衣装で統一された集団。数は七、いや、九人か。


まず頭上から三人。

彼らは全員が薙刀やら戦斧やらの武装をし、こちらに躍りかかる。


クロエが遅れて背中の剣を抜く。

マリッサの背後には、あの黒い大きな腕が浮かび上がる。


その直前には、ウタマルが刀も抜かずに跳躍していた。


「花風流、“一閃”」


抜刀術、というやつだ。素人ながらに思った。いや、きっとこんなふうに眺めている場合ではないのだろうが、ウタマルの剣技はほんの数秒の間、見惚れてしまうほどには完成されていた。美しい所作だった。


ウタマルが地面に降り立つ頃には、三人のうちの二人が斬り伏せられていた。残るもう一人はクロエが斬り結んでいる。


「ギヤッハッハッ!!」


世紀末にしか聞かないような叫び声を上げて前方に黒いローブを纏った女が降り立つ。同時に、シーザーら魚人達の手から水の鉄砲が放たれる。


「スペル、“塗り壁”」


次に屋根の上から飛び降りた男がスペルを詠唱すると、水鉄砲の軌道上に巨大な壁が出現し、三つの水の弾丸を妨げた。


後方には、四人の男が陣取った。

クロエとやりあっていた男も後退し、四人の男らに合流した。


全員、黒づくめで、頭部に一本角か二本角を持っている。彼らも亜人だ。


「邪魔だ、退け。死神」


「そのガキを置いてけ。ついでに、その裏切り者のクソアマも。だったら、退いてやってもいい」


「田舎の鬼はこれだから話にならん」


これ以上の対話は無意味だと判断したのか、全員が臨戦態勢に入ったのが分かった。


「ほんっとしつこいわね! アンタ達」


マリッサが毒づく。


黒づくめの男達の後背に黒い影が浮かび上がる。形状こそ様々だが、マリッサの背後にそびえ立つ黒い腕と似ている。


影鬼族。


影を使役する鬼の一族で、性格は好戦的。殺しを好み、戦いを愛するーー三度の飯より血が好きな種族だと、ウタマルは言っていた。実は、マリッサもその一人だという。


Aちゃんねるには、剣鬼族、影鬼族、豪鬼族の三つの鬼がいて、彼らは皆仲が悪いらしい。


彼ら影鬼族は“三王”の一人、“死王”サタン・デスペラードに率いられ、死神と名乗り、Aちゃんねるで強大な影響力を持つに至っている。彼らと対峙したら、基本的に対話の余地はない。戦うか、逃げるか、選択肢はそれだけだ。


「白髪はオレが殺る。他は頼むぜ」


正面に立つリーダー格と思しき男がそう言い、魔導書から槍を取り出した。

男の背後には、騎士のような人型の影が立っている。


「クロエちゃん、ユズハのこと頼める?」


シーザーに言われてハッとする。

俺は武器すらも出していない。とんだ呆けだ。


先のダンジョンで手に入れた“王牙二色”を慌てて魔導書から取り出し、今更ながらに構える。あれだけの特訓を経ても、まだ学生気分が抜けていないのか。とんだ大バカ野郎だ、俺は。


シーザーが掌の上に水の玉を形成する。魚人は水を生み出し、自在に操る。水はその勢いによっては弾丸にも刃にもなる。彼らの扱う水は十分すぎるほどの凶器だ。


シーザーの手の上から水の玉が弾け、拡散した水の鉄砲が飛ぶ。水の散弾銃と言ったところか。どうやら、魚人達は後方の五人を相手取ることにしたようだ。


水の散弾銃を皮切り、全員が動き出した。


いつの間にか双剣を手にしていた一茶が目の前から消える。特異点【愚者グール】を使ったのだと思ったが、目で追えるものではないと知っていたから、彼の背中を探すのはやめた。


「離れないで」


クロエが俺の前に立つ。


俺はなるべく足手まといにならないようにーーいや、違う。そうじゃない。俺だって戦力になるんだ。戦力にならないといけないんだ。茫然と見ている場合じゃないだろうに。


刀を強く握り締める。


対峙する魚人族をすり抜けて五人のうちの一人がこちらに向かって駆けている。さっきの発言からして、狙いは俺とマリッサらしい。だとすれば、数的優位に立っている奴らのうちの一人がこちらを狙ってくるのは妥当だろう。


こちらに向かってくる男は背後に熊のような影を携えている。


背後から伸びる影が男を先行して、こちらに伸びる。俺は息を大きく吸って、吐いた。深く、潜る。奥底に眠るを引っ張り出す。


程なくして、黒い靄が体を包み込む。視界は薄黒いフィルター越しに見ているような感じだが、不思議と視界は澄んでいる。あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、時間が僅かにゆっくり進んでいるように感じる。


ーー色装。

死ミットを燃やすことにより、身体能力や五感の性能を向上させる技術。


向かってくる影に向かって刀を構えると、腕に刻まれた死ミットがその数値を一つ減らした。思ったよりも消耗が早い。ユートピアにいたときは、“善王”の特異点の恩恵により、で消耗する死ミットは度外視できたが、この街ではそうではない。生きている限り、死ミットは減るし、命燃を使えば尚更減る。この力は、俺が思っていた以上にハイリスクだ。まさに諸刃の剣。


影の熊は両腕を広げ、大きな口を広げている。影鬼族が操る影には実体があり、影に殴られれば、とんでもない勢いでぶっ飛ぶことになるだろうし、あの爪で引っかかれば、盛大な出血は免れない。これはマリッサから身をもって教えてもらったことだ。


あの両腕と牙は絶対に避ける必要がある。警戒すべきはそれだけじゃない。影を使役する影鬼族自身も当然ながら戦闘能力がある。影だけを警戒していては片手落ちだ。


熊の腕が大きくしなる。振り下ろされた軌道上に刀を振るう。シュウゾーとの鍛錬とは別に、刀の素振りも毎日欠かさなかったが、まだ馴染んではいない。扱いに慣れる、という域に達するにはまだまだ時間が掛かるだろう。


熊の腕を刀で払うと軽い金属音が響いた。

俺のすぐ脇をクロエがすり抜けていくのが見える。


影には実体がある。

だが、影に対する攻撃は無効だ。影を倒すことはできない。

これもマリッサの教えだ。


クロエが狙うのは、影鬼族本体。

奴らとの戦いにおいて、それが定石だ。


「スペル、“水竜の戯れ”」


クロエの詠唱により、水の小竜が召喚され、男に襲いかかる。


男は待ってましたと言わんばかりに魔導書から盾を取り出し、それを防ぐと続けて剣も手にした。カキィインと鋭い金属音が二人の間で跳ねた。


俺は影の熊がもう片方の腕を振り下ろすのを目の端で捉える。大きく右に転がり込み、熊の腕の間合いが逃れると、熊の腕が振り下ろされたタイミングで今度は前に出た。


我ながら勇気のある行動だと自画自賛したのはそこまで。


「ユズハ、下がって……!!」


クロエが声を張り上げる。

熊の腕が俺の横っ腹を襲った。


間合いを見誤った。

いや、それ以上に影のスピードを見誤ったらしい。


「けほっ、けほ」


内臓を大きく揺さぶられ、吐き気を催す。


黒い色装により、俺の肉体は鎧を纏ったような防御力を備えているため、大事には至らなかったが、生身だったら骨までやれていたかもしれない。


悔しさと恥ずかしさと、そして、思い出したかのように湧き立ってきた恐怖心で体が硬直する。調子に乗った。命燃で少し動けるようになったからと言って、ある種の万能感を覚えていた。俺でも戦える、一人前だ、とどこかで思っていた。大間違いだ。


これはゲームじゃない。


ちょっと訓練したところでレベルアップはしないし、劇的に強くはならない。戦えるレベルに到達するには、経験が必要だ。経験と努力が。


クロエが叩き飛ばされた俺の前に立ち、男と影の猛攻をなんとか退けている。また足を引っ張っている。余計なことをして、クロエに余計な負担を負わせてしまっている。最悪だ。


劣勢だ。

このままでは、クロエが殺されてしまう。


素人目で見ても、相手はクロエより格上だ。奴の剣筋を防ぐのでさえギリギリところだと、分かる。


他の戦況が分からないが、他の局面はどこも数的不利を強いられているはずだ。おそらく、そう簡単ではないはずだ。


カンカンカンと鋼を叩く音が鳴り響く。男は何度も剣を振り下ろし、頭上に剣を構え防御一辺倒の構えを取るクロエを執拗に攻め立てる。


クロエの身体が少しずつ沈んでいく。


「ーー!!」


ここまでなのか、と思ったその時、男の背後に淡い光が走った。


突如として背後に現れたのは、一茶。


彼は慣れた手つきで男の背中にしがみ付くと、流れるように左手の短剣で男の首筋をなぞった。


一瞬だった。


刃を滑らせた首筋からシャワーのように血が噴き出す。男は何が何だか分からないと言った顔のまま白目を剥き、膝から崩れ落ちる。


少し遅れて、一茶が特異点を発動し、男の背後に瞬間移動したのだと気がつく。


「おつかれ」


辺りを見回すと、既に全てが終わっていた。


正面の二人はウタマルが一人で片付けたらしく、後方にいた連中もマリッサと魚人によって悉く制圧されていた。


「目的のダンジョンはすぐそこだぜ」


シーザーが白い歯を見せる。


「クロエ、平気?」


マリッサの問いかけにクロエは剣を収めながら黙って頷いた。


「クロエ、ごめん。俺、また……」


「いい。謝らなくて。行こう」


敵の血溜まりに目線を逸らし、俺は少しだけ嘔吐しそうになるのを堪え、先頭を歩き始めたウタマルに続いた。


また、何もできなかった。


こんなことで、ダンジョンの攻略なんて出来るのだろうか。自信がない。一週間の鍛錬で身につけた自信は呆気なく崩れ落ちた。あっという間に。


それでも、一行はダンジョンを目指す。




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