ユートピア
シーザーに巨大テントの中を隅々まで案内すると、さらには、テントの外に広がる街まで案内してくれた。
その後、俺は自室として用意された掘立て小屋の中で横たわっていた。
シーザーは最初の印象通り、好青年、というか、良心の塊というか、親切を体現したかのような人間だった。
道すがら、この世界のことや“善王”が治める国のことも教えてくれた。
この国のほとんどの住人は亜人で、他の国や種族に排斥され、迫害されてきた者が多い。つまり、この国は弱者の受け皿となっている。他ならぬ“善王”の慈悲により。
それ故に、ここに住む人間の八割以上は非戦闘員である。
ジョニー達のような子供から女性、老人……戦いで深い傷を負った者まで、境遇は様々だが、共通して言えるのは、彼らは本来この世界では生きていくことができない。
二宮善一郎の特異点があって初めて生存が許される、そんな人々の集合体がこの国を形作っている。
シーザーとの会話を思い出す。
ーー「戦えないからって何もしてないわけじゃないぞ。それぞれができることを、それぞれ精一杯にやって支え合ってんだ。そこは勘違いしないでくれよな」
シーザーは誇らしげに言った。彼の一言一句が物語る。本当にこの国が好きなのだろう。
死が常に隣り合わせであるはずのAちゃんねるで、ここだけは例外だ。ここに来てからというもの、死を意識することが無くなった。
ここにある笑顔はそれとはかけ離れている。ジョニー達のような幼い子供がすくすくと育つ事ができる。それはきっと、この世界では奇跡なのだ。
ーー「でも……いや、だからこそ、この国は脆い。爺様の絶大な力だけで保たれてると言っても過言ではない」
そう語るシーザーの目は憂いを帯びていた。
ーー「だから戦える人間は戦えない皆の分、必死に戦わないといけないんだ。悪いけどね」
この国を守るためにーーそんな語尾が聞こえた気がした。
この国の戦士達は皆一様にそんな使命感に駆られている。この儚い奇跡の国を守るために必死なのだ。
俺は用意されたベッドに横たわり、手を天井に向けて伸ばした。この数日で手の皮が厚くなった気がする。
Aちゃんねると呼ばれるこの世界に来てから、ほんの数日しか経っていないが、本当にいろんなことがあった。ありすぎた、と言っていいだろう。
誰かが死ぬのを見るのも、殺されるのを見るのも初めてだった。それに腹部の奇妙な刃ーー“チェシャ猫”が俺自身の力だとするなら、この手で別の生物を殺したことになる。
訳の分からない武器やスペルも、化け物も、正直なところ、もううんざりだ。どうにかしないといけないことが多すぎる世界だ。
用意されたこの小屋は、かつて別の“潜者”が使っていたらしい。前任の“潜者”がどうなったのか気になるところだが、踏み込んで聞けるほど図太い神経はしていない。
きっと死んでしまった可能性が高いのだろうと、勝手に勘繰る。
ベッドの横には、風除けのための木の板が煩雑に打ち付けられていて、この小屋を代々使ってきた者達の手によって、思い思いの落書きが刻まれている。いや、落書きと呼ぶには失礼かもしれない。
ーー『死にたくない』
一番擦り切れた、古びたそのメッセージは切実だった。ナイフの刃先か何かで刻まれたであろうそれは、名も知らぬ彼の悲痛な叫びそのものだった。
そのメッセージに釣られるように、他の使用者達ーー後継者達も絶望に満ちた言葉をここに刻んでいる。
ここを使ってきた“潜者”が辿った末路を、俺は知らない。全員が死んだわけじゃないとだけ聞いている。
どんよりとした思いが胸を押し潰す。生きて帰れるのだろうか。今にして思えば、何のためにこんな思いをしているのかも忘れてしまいそうだ。
果たして、兄はこの世界にいるのだろうか。
分からないことだらけだ。明日があるのかも分からない。腹が減ったし、眠気もある。分からないことだらけでも、それでも生きるためにすべきことは多い。
「チェシャ猫」
試しに呼びかけてみる。
返事は無い。あの悪魔のような声は聴こえない。ダンジョンを抜けてからというもの、あの声はパッタリと消えた。
幻聴だったのだろうか。釈然としない。断言できない。だが、あの声と刃が俺を生かしたことだけは間違いのない事実だ。
礼の一つでも言うべきだと思ったが、よく思い返してみて考えを改める。
アレは得体が知れない。
文字通り、悪魔に魂を売っているだけなのかもしれない。だとすれば、礼はきっといらない。その代わり、俺は何かとんでもないツケを支払うことになるのではないか。
そんな懸念を抱きつつも、心配になってもう一度その名前を呼んだ。やはり、返事は無い。
シーザーに街を連れ回してもらって、いくつか分かったことがある。
まず、この国も貨幣経済で回っている。
植物や家畜を育てたり、料理をしたり……シーザーの言葉を借りるなら、それぞれができることを、それぞれ精一杯にやって、生活を営んでいる。
何を買うにも、何を食うにも、必要なのは貨幣だ。
この国では、豆粒のような貨幣が流通している。銀か、銅で鋳造された貨幣により、人々は取引を交わしている。
貨幣を手に入れる方法は二つに一つ。働くこと。それは、向こうの世界と変わらない。
そして、シーザーのような戦闘員にとっての『働く』とは、つまるところ、ダンジョンの攻略という意味になる。
通貨の発行者はこの国の王たる存在、他ならぬ二宮善一郎なのだが、彼がその強さだけに依らない強権を誇っているのには、理由がある。
彼の特異点だ。
“善王”、二宮善一郎の特異点は、純粋な強さには直結しない。もっと言い方を変えると、戦闘では力を発揮しない。数ある特異点の中でも、かなり特異なものらしい。
ーー【時の支配者】。
一定の範囲内の死ミットを停止させることができる特異点だ。この能力のおかげで、ここに住む人々は死ミットの恐怖から一時的に解放された状態にある。
しかし、この能力も万能ではない。何事も欠点がある。それは絶対なる王であっても、例外ではない。
この能力の範囲は使用者を中心に円形に広がる。この街全体がその範囲内に収まっているため、人々はその恩恵を受けられるわけだ。ーーしかし、その代わり、能力の中心となる二宮は身動きが取れない。
そして、特異点の発動には死ミットの消費を伴う。つまるところ、二宮は特異点の発動に要する死ミットをダンジョンで稼ぐことができない。
だから、誰かがその代わりを担う必要がある。それが戦える者の宿命だ。
例外なく、特異点には二つの能力がある。それぞれアクティブスキルとパッシブスキルと呼ばれる。
アクティブスキルは、使用者の意思により発動される。その殆どは死ミットの消費を伴う。
【時の支配者】の範囲内の死ミットを停止させる能力ーー『
そして、もう一つの能力であるパッシブスキルは殆どの場合、死ミットの消費を伴わないものが多い。もっとも、これに関しても例外はあるようだが……。
【時の支配者】のパッシブスキル『
対象の条件は二つ。「使用者の視界に入っていること」「死ミットの交換に同意した者」。死ミットを受ける側も、渡す側も、この条件さえ満たせば、制約は無い。
二宮から他者に死ミットを渡すことも受け取ることもできるし、二宮以外の第三者同士が同様に死ミットの受け渡しをすることもできる。
この街ーーユートピアに住む人々は、この特異点の能力を介して、平和を維持している。
戦闘員が死ミットを“善王”に献上し、その死ミットで“善王”はアクティブスキル『永遠』の能力を保ち続ける。その対価として、貨幣が発行される。
非戦闘員は貨幣を得るために、街の生活を維持するための仕事をこなす。
二宮の【時の支配者】を軸に構築された社会制度が、この闘争の世界において、ユートピアを平和たらしめている。
ここで暮らすために、俺に用意された選択肢は二つ。
一つは、労働。
シーザーの案内で分かったが、この街にはあらゆる仕事が存在する。
炊事洗濯、清掃に警ら。狩りや農業に営む者。街を囲う壁を補強したり、家を建てたりするための力仕事に従事する者もいた。
だが、シーザー曰く、薦めない、とのことだ。
この街に存在する生業の多くは、彼らの異能による利点を最大限に活かしたものになっているらしい。
加えて、というより、こっちの方が問題をより困難にしているが、それぞれの生業を取り仕切っている者がいる。
例えば、土木の仕事は一つ目の巨人、サイクロプスの棟梁であるダンゴが全て取り仕切り、仕事を振り分けているようだ。
ダンゴに断りなく土木の仕事を請け負えば、制裁が待っている。人死に繋がるような事件は“善王”により固く禁止されているが、只では済まないのは間違いない。
ダンゴに取り入って仕事をもらうのが正攻法になるが、“潜者”は何かと問題を持ち込みやすいらしく、嫌厭される傾向にあるらしい。
言ってしまえば、“潜者”は偏見に晒されることが多いのだろう。
ただの人間には、よほどの商才が無い限り、それだけで食っていくのは難しい。
となると、もう一つの選択肢が消去法で残る。言わずもがな、ダンジョンに潜り、戦うという選択肢だ。
“潜者”の多くはこちらを強いられる。特異点の能力によっては、アイザックのように別の仕事を特別に任せられるケースもあるようだが……。
ただの労働に従事し難い環境にあるという以外に、“潜者”はAちゃんねる内においては、良くも悪くも特別扱いされることに理由がある。
最初に説明を受けたように、“潜者”の特異点は強力で場合よっては世界のバランスを崩してしまう存在となり得る。
だから、命を狙われる。
ユートピアで世話になったであろう前任ーーという表現が正しいか分からないがーー“潜者”が殆ど残っていないのも、その短命が故に、らしい。
若い芽は早いうちに摘む。“潜者”については、殊更に。ーーそれが、この世界の常識だ。
成熟して脅威となる前に殺す。そうして、多くの“潜者”が殺されてきた。
身体が震えるような話だ。
この世界に来て、一年以内の生存確率は三割以下だと言っていたのは、誰だっただろうか。ああ、露天商の虎頭の獣人だ。聞きたくなかった。
命を狙われて怯え続けるのが嫌なら、というより、殺されるのが嫌なら、強くなるしかない。そして、強くなるためにはひたすらにダンジョンに潜るしかないのだ。
ここはそういう風に出来ている。
これはシュウゾーの受け入りだ。
もっと穿った見方を加えるなら、この国は戦力不足だ。人口は二千人程度のこの街は九割の非戦闘員で成り立っている。
Aちゃんねるという危険極まり無い世界において、それは異常なことだと、シーザーは教えてくれた。
他の“三王”の支配する勢力は、ほぼ全員が戦闘能力を有しているし、“三王”以外の小さな勢力においても、自身が戦えるというのは大前提らしい。
戦う以外の選択肢があるのは、他ならぬ【時の支配者】がもたらす奇跡なのだと。
この楽園で生きる限り、戦える者は武器を手に取り、戦う義務がある。この奇跡を守るために。
でも、俺は果たして戦える者とやらに該当するのかどうかは疑問だった。今でも思い出す。あの血の臭いを。死の恐怖を。そして、その度に身体は震えるのだ。
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