善王

ズボラな街の真ん中伸びる道を歩き、俺達はこのユートピアと呼ばれる街の中枢ーー大樹のテントを目指した。


街の中心に位置するサーカス用の大型テントは巨大な樹木に覆われていて、妙に荘厳な雰囲気を帯びている。


あのテントの中にこの街を統べる者ーーこの王国の覇者がいる。


この街で目にする全ては俺の好奇心を刺激する。


人間離れした容姿の多種多様な種族。聞き慣れない単語を乱用した会話。見たことのない生活様式。何もかもが新鮮で、ここが本当に異世界なのだと実感する。ここに来て、初めて心が弾んでいた。


「この世界も資本主義で成り立っているんですね」


街には露天商があり、そこでは貨幣による売買が交わされていた。理に適った仕組みは、どの世界でも行き着く結論なのかもしれない。


「しほんしゅぎ? 難しい言葉を使うの。もしかして、おめぇさん学者っちゅう奴か?」


「学者? 俺はどっちかって言うと、教えてもらうほうーー学生なんだけど」


言い方からして、学者を名乗る仲間がいるような口振りだ。


「よう分からんが、似たようなもんじゃろ。じゃあ、“先生”も喜ぶかの」


シュウゾーが“先生”と呼ぶ人物もこの街にいるのだろうか。彼の言葉尻から推察するに、おそらく、“先生”も異世界から来た人間ーー“潜者”の可能性が高い。


「“先生”って言うのは?」


「この街の防衛を担っとる“潜者”じゃ。向こうの世界じゃ、学者っちゅう身分だったらしく、やたら難しい言葉ばっかり使うんで、息が合う奴がおらんのじゃ」


防衛を担う、というのは、防衛部隊の隊長か何かなのだろうか。詳細は以前分からないが、これだけ大きな街の防衛を任されているだけの力は持っているのだろう。


それに彼が本当に学者だったとしたら、この世界の知見も聞くことができるかもしれない。


「後で紹介しちゃる」


シュウゾーは思ったよりも陽気な男だった。クロエと一茶が顕著に無口なせいもあるが、口数が多い。


戦場ではどこか殺伐としていて近寄り難い雰囲気だったが、これが本来の彼の姿なのだろう。


一方、一茶はどこまでも寡黙だ。単に人見知りなのかもしれないが、クロエとは違うタイプの静かさだ。目元が見えないこともあって、感情もあまり読み取れない。それでも、あの丘に転送してくれた経緯なんかを考えると、思いやりのある人間に違いない。


「良い街でしょ」


シュウゾーの口数の多さのせいで鳴りを潜めていたクロエが小川で遊ぶ子供達を見て呟いた。


何よりも驚いたのは、この街には笑顔だ。どこを通っても、誰もが嬉しそうに笑っている。ここには、幸せが存在するのだと思った。あの笑顔はその顕在化だ。


この世界にあるのは、絶望ばかりじゃない。ここにはちゃんと希望がある。


「ああ、良い街だ」


俺がこれから会うのは、この絶望に満ちた世界とは相反する国を築き上げた伝説の男。


この世界を支配する三人の王ーー通称、“三王”の一人、二宮 善一郎。



人は彼に敬意を表し、“善王”と呼ぶ。



善なる覇王。絶対的な強者にして、慈愛に満ちた覇者。王の資質を持つ圧倒的存在。


道中、シュウゾーが“三王”と呼ばれる存在について、色々と教えてくれた。


「Aちゃんねるには拠点を備える国が三つしか存在せんのじゃ」


ーーその三つの王国を統べるそれぞれの王を、この世界では“三王”と呼ぶ。


この世界の覇権を握る最強の三人。彼らはそれぞれが個で一つの軍隊を簡単に滅ぼすほどの圧倒的な力を持ち、その全員が他を圧倒する特異点を有する。つまり、“三王”の全てが異界から来た“潜者”だ。


最初にクロエ達が言っていた言葉の意味を理解する。この世界のパワーバランスを崩す可能性を秘めた存在ーーそれが“潜者”なのだ。


「この世界に“三王”の国以外に安住の地はねぇ。こっちで安心して生きていくためには、“三王”の庇護下に入るしかねぇんじゃ」


「君は、運が良い」


「そうじゃの。他の王んとこは、怪しい仮面宗教と血に飢えた殺人鬼どもーー極端なレパートリーじゃ」


迷宮街セントラルで遭遇した連中を思い出す。俺達を襲った彼らこそが、他の“三王”の傘下なのだろう。あんな連中と共に行動を共にしていたかもしれない未来を想像すると身の毛がよだつ。


大樹を纏った巨大テントが目前に迫っていた。


「あそこにそんなすごい人が……」


元の世界で言えば、総理大臣や天皇陛下に当たる人なのではないのだろうか。そんな超大物にこんな簡単に会って良いのだろうか。


「遅かったわね」


テントの入り口まで辿り着くと、黒いワンピースの少女が腕を組んで待っていた。綺麗な金色の長髪を靡かせ、彼女は不機嫌そうに続ける。


「爺ちゃんが待ってるわ、早くして」


透けるような白い肌が日光を受けて煌めくようだった。フランス人形のような耽美な見た目とは裏腹に、刺々しい態度のまま彼女は先にテントへと入っていく。


ダンジョンに入る前にも彼女を見た。確か背中越しに黒く大きな腕を従えていたはずだ。


「彼女はマリッサ」


クロエが言う。


「あいつは人見知りじゃからのぉ。素直じゃねぇし」


シュウゾーはニヤニヤと笑いながらそれに続く。


「聞こえてんのよ、シュウゾー」


奥からマリッサの怒鳴り声が聞こえた。


マリッサに続き、テントの中を歩く。テントの中は図書館になっていた。所狭しに本棚が並べられていて、外から見るよりずっと入り組んでいる。


「この本もジジイと先生が集めたんじゃ。あ、先生が書いちょるもんもあるけどの」


"潜者”が俺達の世界から流れ込んで来ていることもあってか、文明の輪郭は似通っているようだ。驚くようなことが多いこの世界だが、生活にあたってはストレスを感じるほどのギャップは無いかもしれないのはありがたい。


「着いたわよ」


先頭を歩くマリッサが立ち止まる。

目の前には、木の根が張り巡らされた大きな扉。


この先に“三王”がいる。


心臓の音が隣にいるクロエにまで聴こえてしまいそうだ。呼吸が乱れているような気がする。


マリッサが扉に触れると、扉に纏わりついていた樹木の根が意思を宿したかのように縮んでいく。そして、扉が開かれる。


扉の先には、板張の広間。

その突き当たりに、彼はいた。


大樹が連なって構成された玉座。いや、玉座と呼ぶには些か不格好なそれに座る老人は、静かにこちらを見ていた。


あの老人が“善王”。


けぇったぞ、ジジイ」


王たる人物にそんな乱暴な言葉遣いで大丈夫なのかと心配したのも束の間、広間に老人の笑い声が響き渡る。


「ふぉっふぉっふぉっ、そんな大声出さんでも見えとるわ」


擦り切れた布製のローブで身を包んだあの老人が“善王”、なのか。いや、そうに違いないが、なんというか……ただの人だ。


それもつつくだけで倒れてしまいそう、どちらかと言うと社会的弱者に分類されるような人にしか見えない。


影武者かと一瞬過ったが、周囲を取り囲む人々の雰囲気は本物だ。嘘偽りなく、玉座に座るあの老人に対して敬意を払っている。


それも小芝居の一つである可能性も拭えないが、そうだとしたら、彼ら全員が名俳優に違いない。


玉座に続く通路を囲うように立ち並ぶ十人の亜人。


外で見たの同じ特徴のハーピィ。頭がライオンや鳥の男。侍のような出立ちの青年。隻腕の男に、一つ目の巨人。青い肌の魚人。全身をローブに包んだ性別不詳。小さな身体のドワーフ。それから、木樹を纏った美女。


個性豊かな十人の男女は、その全員がただならぬオーラを放つ。神妙な面持ちで俺を見る目がただただ恐ろしい。


「改めて、ようこそ。ユズハ君」


“善王”が俺の名を口にする。

既にシュウゾー達から情報は聞いているようだ。


「儂は二宮善一郎。みな、思い思いにそれっぽい名前で呼ぶからお主も好きに呼ぶと良い」


“善王”は屈託のない笑みを浮かべると、改まったように優しい瞳を俺に向ける。


「皆、殺気立ってるように思うが、そう怖い人間ばかりでは無い。ここにおる者達はこの街の種族を束ねる身でのぉ。責任感も人一倍なのじゃよ」


公園で散歩する老人のような、あるいは、自治会のゲートボールで微笑む老人のようなーーそこらの老人達となんら変わらぬ柔らかい雰囲気で彼は言った。


思っていた王とは、大きく異なるイメージだった。


「さて」


彼は続ける。

気配が変わった気がした。


「本題じゃが、お主がダンジョンの管理人を破ったようじゃな」


その瞳は途端にその色を変える。


疑心を含んだ鋭い目つきに心臓を刺されるような思いに駆られる。その目線に釘刺しにされただけで、全身の毛穴が膨らんだ。


「如何にして、殺った……?」


試されている。いや、疑われていると言うべきだろう。返答を間違えれば、最悪の場合……。


全身から汗が吹き出す。


さっきまでの弱々しい老人の印象など影もない。これが王たる者の覇気。そう表現するしかないほどの重圧を、二宮はその目だけで生み出している。


「チェシャ猫、です」


この目には、どんな嘘も通用しないと直感した。そもそも、俺にもあの時に何が起こったのか理解できていないのだ。


だったら、それも含めて、全部をありのまま話した方がいい。


「チェシャ猫、と」


二宮は首を小さく傾げる。この世界の頂点に立つ人間でも、その名前に聞き覚えはないようだ。


「突然、脳内で悪魔みたいな声が聞こえてきて……」


赤いオーガと対峙したときの記憶は正直なところ曖昧だ。何より必死だった。


「気がついた時には、俺の腹部から大きな剣というか刃というか……」


シュウゾーが歩み寄ってきて、俺の上着を捲り上げた。腹部には、猫の肉級のような痣があった。


この痣はこの世界に訪れる前からーー物心ついた頃から存在した。そして、おそらく、あの刃はこの痣から飛び出してきた。


「使い魔、かぇ」


シュウゾーの言葉には、少なからぬ殺気と警戒心が宿っていた。


「どういうことだ。この小僧はつい先日、こっちに落ちてきたんじゃねぇのか、クロエ」


頭部がライオンの獣人が怒鳴り散らす。


「そのはず」


クロエが抑揚のない声で返すが、辺りはどよめいていた。


「どうして落ちたての“潜者”に最初ハナから使い魔が付いてやがんだ、怪しすぎんだろ」


ライオン頭の獣人は背中の巨大な斧に手を伸ばす。どういうわけか、物騒なことになっている。


「説明してもらえるか、小僧」


小柄なドワーフが静かな口調で問う。しかし、俺は彼らを納得させることのできる言葉を持ち合わせていない。


結果、押し黙るしかなかった。


「黙ってねぇで何とかーー」


「ライオ、良い」


それを押し留めたのは、“善王”ーー二宮だった。


二宮が玉座から立ち上がる。

その静謐な目が俺を射抜く。


「“潜者”にイレギュラーは付き物じゃ。そこに理由を求めるのは野暮というもの。殆どの場合、本人は何も知らぬのが常じゃ」


二宮は続ける。


「しかし、本人が知らずとも、そこに意味があるのもまた常。お主はいずれ、その意味を知る必要がある」


この老人に言われると、全てがその気になってくる。仙人のような凄みがある。勿論、仙人に会ったことは一度も無いが……。


「意味を知る必要」


俺の復唱に二宮は頷く。


「その意味に辿り着いたときにおそらく全てが分かるのであろうな、お主が何者であるのか」


俺は俺だと叫びたい思いだった。チェシャ猫が何なのかは俺にもさっぱりだが、それ以外についてはただの平凡もいいところだ。


「何にせよ、お主はその意味に辿り着くまで生き抜く必要がある。そして、この世界で生き抜くために必要なのは、一にも二にも力じゃ。その他大勢にその命を摘み取られないようにするだけの力」


二宮は続ける。


「この街に住む住民も皆、最低限の力を持っておる。己の身を己で守れる程度の力じゃ。逆に言えば、この街に住む人間で、誰かに守ってもらっていると思っておるような者はただの一人もおらぬ、と言うことじゃ」


彼は淡々と事実だけを並べる。要するに、俺に言いたいことは至極シンプルなこの世の理。『自分の身は自分で守れ』。その程度のこともできない人間に、ここにいる資格はない。


「シュウゾー、お主が彼の師事に当たれ」


「げっ」と脇からシュウゾーの声が漏れ聞こえた。


「クロエとマリッサで彼の身の回りの世話を。昔、カイドウが使っていた部屋が空いておるじゃろう」


クロエは黙って頷く。

マリッサはその横で小さく溜息を漏らした。


「一週間後、お主にはダンジョンを一つクリアしてもらう」


要は、試験だ。この楽園の住人となるのに相応しいか否かを、一週間後に見極める。それまでに俺はシュウゾーの師事の下、最低限の力を身に着ける必要がある。


「ダンジョン名、【吸血鬼の洋館】。当日はクロエとマリッサが同行することとする。儂からは以上じゃ。質問があれば、クロエかマリッサに訊くが良い」


二宮が玉座の奥へと消えていく。


残された十人の亜人も王の言葉を聞き終えると、ポツリポツリとその場を後にしていく。残されたのは、俺の世話を任されたシュウゾー、クロエ、マリッサ。


「任されちゃったのぉ」


シュウゾーは面倒臭そうに呟く。


「一方的ね、全く」


続けて、マリッサ。


「ジジイの決定は絶対じゃ。んで、おめぇさんに問う」


シュウゾーは俺の目を覗き込む。真っ直ぐな燃えるような瞳に、俺は何故だか目を逸らしたくなる。


「おめぇさんはどうしたい」


シュウゾー曰く、結局のところ本人次第ということなのだろう。やる気のない人間に何を教えようとそこに実りは無い。


だが、答えなんて聞くまでも無い。


「強くなりたいです」


ダンジョンで目にした惨劇。クォント達の無念。あんな思いはもう懲り懲りだ。


大切な人を失うのも、迷宮街セントラルで怯えるのも、俺が弱いせいだ。


この世界で必要なのは、力。


力が無い者に、基本的な人権が保障されるような世界は終わったのだ。


「即答じゃな。表に出るぞ、クロエ、マリッサ付き合ぇ」


シュウゾーはにっこりと笑うと、踵を返す。


俺達が扉の前まで戻ると、扉を覆っていた樹木が意思を持ったかのように収縮する。この樹木も何らかの能力なのだろうか。魔法の類には驚かされてばかりだが、この世界では何が起きても不思議ではないと、どこかで割り切り始めている自分もいた。



* * *



シュウゾーに案内されたのは、テントの西にある空き地だった。傍にはドラム缶や壊れた洗濯機、自転車が積み上げれている。粗大ゴミの集積場だろうか。こっちの世界にも、家電が存在することには驚いた。


「おめぇさんが最短距離で強ぅなるには、何よりも特異点の発現じゃ。そんじょそこらのスペルや武器に比べりゃ、あれは規格外と言う他ねぇ。結局、この世界の歴史は強力な特異点を持つ“潜者”達が動かしてきたんじゃ」


シュウゾーはズボンのポケットから煙草を取り出すと、その指先に炎を宿して、慣れた手つきでその煙草の先に火をつけた。彼は炎を操るようだが、あれも何かの能力なのだろうか。


「じゃが、特異点っちゅうのは訓練して発現するようなもんじゃねぇ。ワシの知る“潜者”曰く、アレは閃きとか、気付きに近いらしい。個々人のきっかけがあって、偶然にも発現するもんじゃ」


「きっかけ……」


「ほとんどの場合、そのトリガーは感情の起伏によるもんが多い、らしい。あるいは、生存本能が力を発現させちょるって説もある……が、いずれにしても、個人差がある。誰かの先例が当てはまらないっちゅうのが特異点じゃ。どういう訳か、最初から難なく使えちまう天才もおるようじゃしの」


彼は続ける。


「そんな不確かな力に最初はなから頼っちょるようじゃ、発言する前に十中八九おめえさんは殺される。特異点なんちゅうの目覚めりゃラッキーくらいがちょうど良いんじゃ」


彼は真っ直ぐに俺の目を見た。

すると、その体が色の付いた靄が沸き立ち始める。


「だから、おめえさんには別の力が必要じゃ。もっと別の、戦う術がのぉ」


シュウゾーの肉体から赤い靄が立ち込めている。


これも何かの魔法だろうか。

彼の言わんとしている別の力とは、この赤い靄なのだろうか。


「力を手に入れるためには、ダンジョンの攻略が必須じゃ。ダンジョンのクリア報酬となる武器やスペルはそのままおめぇさんの血肉となるじゃろう。じゃが……矛盾したことにダンジョンをクリアするためにもまた、力が必要となる」


ーーだから、根っこが必要なんじゃ。


シュウゾーを取り巻く赤い靄が風を受けて僅かに揺らぐ。

静かな闘志を体現したかのようなそれは煌めいている。


「色に装備と書いて、色装しきそう。それがこの力の名称じゃ」


彼は自身の腕に刻まれた死ミットをこちらに向ける。

その数字はゆっくりと時を刻んでいる。


「おめぇさんの死ミット、見てみぃ」


言われた通りに腕に視線を落とすと、俺の死ミットはその時間を停止させていることに気づく。はっきりと覚えている訳ではないが、おそらく、この街に転送されてきたタイミングで止まっている。


「ジジイの特異点【時の支配者】の力じゃ。ジジイはここら一帯の死ミットを停止させることができる。まさにこの地が楽園ユートピアって言われちょる由縁じゃな。命の消費期限に一生怯えるこの世界で、ここだけはその死の恐怖から解放される。それがAちゃんねるでどれほどの意味を持つか、まだおめぇさんには理解できめぇ」


上っ面だけかもしれないが、シュウゾーの言葉の真意は俺にも分かった。この世界では息をするだけで一分一秒と確実に死へと近づいている。余命を延々と、いや、永遠に引き伸ばし続けるーーそんなサバイバルな世界にあって、“善王”二宮の特異点が成す技はまさに奇跡とも呼べる。


見てくれこそ荒れ果てたバラック小屋や掘立小屋の集落かもしれないが、これだけの人間が一同に集うのも頷ける。


「話を戻すが」


そう、今の論点はそこじゃない。


【時の支配者】の影響下にあるはずのこの地で、シュウゾーの死ミットが動いている理由だ。この話の筋からして、あの赤い靄が関係しているのか。


「この力は命を燃やす。命っちゅうのは、死ミットそのものを指す。この赤い靄が死ミットを燃やすことによって生じる副産物みたいなもんじゃ」


「死ミットを燃やす……色装」


なんでわざわざそんなことをーー


「もちろん、そのリスクに伴うメリットがある」


シュウゾーはそう言うと、手を握り締め拳を作った。そして、その拳を勢いよく垂直に地面に叩きつける。


大きな破裂音を携え、拳が地面を抉る。文字通り、地面を砕いた拳は傷一つなく、シュウゾーは何事もなかったかのように涼しい顔をしている。


「死ミットを二倍の速さで燃やすことで、二倍以上の肉体強化を発揮するーーそれがこの赤い色装の性能じゃ」


並外れたレベルの肉体強化。


凡人はおろか、達人と呼ばれるような格闘家でも、ただのパンチであんな風に地面を粉砕することは不可能だ。


この技を覚えることができれば、俺も超人的な力を一時的に手にすることができるーー死ミットによるドーピング、色装の習得。シュウゾーの真意はそこにあるようだ。


「おめぇさんにはこの力を自在に扱えるようになってもらう。色装こいつを使えて、おめぇさんは初めてスタート地点に立つんじゃ」


あくまで、そこがスタート地点。つまり、俺はまだスタート地点にさえ立っていない。


「じゃが、これはまさに諸刃の剣。タイミングを違えれば、死ミットを擦り減らして自滅しよることもある。その辺も含めて、おめぇさんには戦い方を身体で覚えてもらう」


シュウゾーは手にしている煙草を足蹴にすると、「まずはおめぇさんの色装を見してもらう」と言って、俺に歩み寄る。


「手、貸してみ」


言われるがまま、腕を出す。


「息を止めちょれ」


シュウゾーが俺の腕に刻まれた死ミットに触れる。呼吸を止める。


「苦しゅうなるまで止めちょれ」


身体の酸素を遮断し続ける。

肉体はやがて、空気を渇望し、苦痛の色を示す。


「まだじゃ」


苦しい。


「まだまだ」


窒息するまでこうしている必要があるのかと、疑問を抱いたところで、腕に刻まれた死ミットに変化が訪れる。


ぼんやりと光を帯びる死ミット。


「まだじゃ、まだまだ……!」


そして、死ミットから靄が醸し出す。

その色はーー黒。黒煙のような黒だ。


直後、死ミットが動き始める。

それと同時に、全身から沸き立つ黒い靄。


「よし、呼吸せぃ!」


「ぷはぁっ」


大きく息を吸い込む。身体が酸素を取り込むと、ようやく肉体に平静が戻る。しかし、視界は半透明の黒い靄に包まれている。


また死ミットが時を刻む。


「この感覚を物にせい。これが死ミットを燃やすということじゃ」


シュウゾーの言葉が心なしかゆっくりに聞こえる。言葉だけじゃない。その動きも普段よりゆっくりだ。


「ワシの言動・行動、世界の全てがゆっくりに思えるじゃろ? これが命燃の力じゃ。思い切って地面を殴ってみい」


俺は頷き、拳を握り締める。


拳を地面に叩きつけると、つよいしょうげきとともに地面が割れた。シュウゾーほどではなかったが、地面が抉れて亀裂が走った。


「すごい……」


そうこうしているうちに死ミットがまだ減った。凄まじい速度で死ミットが摩耗していく。


「己で押し込めるかぇ? 色装それ


「わ、分かりません……やり方が」


「悪いが、押さえ込み方も理屈じゃねぇ。感覚によるところが大きいんじゃ。目を閉じ、心を沈める。燃えている死ミットを消火するイメージじゃ」


試しに息を止め、瞼を下ろす。そして、今度は思いっきり息を吸い込む。深呼吸を繰り返し、シュウゾーから伝えられたイメージを頭に思い浮かべる。


「よし」


シュウゾーの言葉で目を開ける。黒い靄が収まっていた。


「上手いのぉ。センスはアリっちゅうことかのぉ」


シュウゾーは満足そうに笑うと、次の煙草をポケットから取り出した。


「じゃが、このスピード感じゃ、実戦では使えん。実戦レベルに到達するには、オン・オフの切り替えを一秒以内で行えるくらいにせんといかん」


まずは、この命燃の発動と収束を素早く行えるようにならないといけないようだ。前途は多難が、やることが見えてきたことは素直に有難い。


着実に強くなるという実感は、心の支えになり得る。


「今日はオン・オフの切り替えにのみ注力する。一秒以内でのオン・オフができるようになりゃ、それ以降は実戦じゃ。クロエとマリッサに付き合ってもらおうかの」


「あの、靄の色が違うのは何か意味があるんですか?」


「色装の色は個々人によって異なるんじゃ。基本の色は三つ。申し訳程度の肉体強化はどの色にも備わっちょるが、色に応じて特性が異なる」


シュウゾーは続ける。


「基本は赤・青・黄色。赤は肉体強化に特化。身体能力が格段に上昇する。青は五感能力の向上。動体視力然り、全方位に渡っての感覚が鋭くなる。黄色は防御力の向上。靄自体が鎧のような働きをしよるんで、あらゆるダメージを緩和できる」


黒の靄の話が出てこないことに不安を覚え始めてきたところで、「そして」と彼は補足した。


「復色ちゅう概念がある。複数の色を兼ね備えるおめぇさんのようなタイプじゃ。例えば、紫色なら赤と青の特性を有する。肉体も強化され、感性も鋭くなる。性能で言えや、完全に上位互換じゃの」


つまり、俺の黒い靄もその復色というものにあたるのだろう。


「黒は全ての色を包括しちょる。つまり、性能は最強じゃ。喜べ」


じゃが、とシュウゾーは最後に付け足した。


「復色のデメリットは色が重なっている分、死ミットの燃費が悪いってところじゃ。それも倍じゃなく、重なった色の分を乗じるーーつまり、段違いでの」


俺の場合は単色の命燃の八倍の速度で死ミットが擦り減るらしい。


使い所を誤ると、自滅行為にもなり得る。シュウゾーが諸刃の剣と比喩していたのは、まさにこういう意味か。


「尚更、おめぇさんにはスムーズなオン・オフの切り替えが必須になるじゃろうな。心して励めよ、自殺せんようにな」


そこからはシュウゾーと付きっきりで、命燃のオンとオフを繰り返した。


地道な作業の積み重ねには慣れている。元から根気強いほうだ。






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