時間と空間 Liestu ad Celnirfe

pesta/fasta ――「~の後方=以前/前方=以後の、に」(1)


 リパライン語の"pestaペスタ"と"fastaファスタ"という前置詞には違和感を抱く人が多い。かくいう私もかつてはそうだった。


 "pestaペスタ"と"fastaファスタ"は、時間と空間の前後関係を表す前置詞である。

 ものに対して使ったとき、"pestaペスタ"はそのものよりも後ろにあることを示し、"fastaファスタ"は前にあることを示す。

 次のような感じだ。


  "pestaペスタ tavalタヴァル"「立っている場所の後ろに」


  "fastaファスタ tavalタヴァル"「立っている場所の前に」


 しかし、時間に対して使ったときにこの関係は逆転する。

 "pestaペスタ"はあることを示し、"fastaファスタ"はあることを示すようになる。


  "pestaペスタ tavilタヴィル"「(立っているときの後ろに=)立つ前に」

  →tavilタヴィルから見て過去


  "fastaファスタ tavilタヴィル"「(立っているときの前に=)立った後に」

  →tavilタヴィルから見て未来


 リパライン語では日本語とは時間と空間の表現が逆転するのである。


 瀬戸賢一『時間の言語学』(ちくま新書)では、人間は時間を直接扱うことが出来ないために何かに例えるとする。

 例えば、「時間を稼ぐ」「時間を無駄にする」「時間が無い」などは時間をお金のメタファーとして扱っている。上の"pestaペスタ"と"fastaファスタ"も時間を空間の表現で比喩して表そうとしているものだ。


 「時間の言語学」では時間の方向について議論を行っている。

 私たちは自然的な態度では時間の流れる方向を過去から未来だと見做しているが、実際には過去から未来へと進むのは「動く自己」である我々であり、「動く時間」自体は未来から過去に流れていくという。

 以下にまとめてみる。


【動く時間】(時間は未来から過去に流れる)

Aをした後で:Aから見て未来 「十年後」

Aをする前に:Aから見て過去 「十年前」


【動く自己】(自己は過去から未来へと進む)

Aの後ろ:Aから見て過去 「振り返り」「過ぎ去る」

Aの前:Aから見て未来 「進路」「前途多難」「先行き」


 多くの人は時間の流れる方向を過去から未来だと認識する。これは物理的現象による「動く自己」と「動く時間」の錯覚にあると言う。

 時間を空間の言語で表現するところに働いている認識がこれである。


 リパライン語のpestaペスタ/fastaファスタでは「前に過去があり、後ろに未来がある」という動く自己の方向がそのままになっている。日本語では時間の行くままに任せる「動く時間」を時間の空間的比喩の根本に据えているが、リパライン語ではそうではなく自分の行先に時間表現を従属させる「動く自己」を時間の空間的比喩の根本に据えていると見ることができる。


 しかし、リパライン語には他にも1)「動く時間」に合う表現(finibaxliフィニバシュリapaskenアパスケン)、2)書記ベースの時間表現(lesditekstレスディテクストrestutenレストゥテンtesnokenテスノケン)も存在する。


 "finibaxliフィニバシュリ"は「寝てから起きた後の明日」を指すが、これの語源は「起きた後の時」(penebacxilペネバッシル xelerlシェレール)で"-bacxバッシュ"「~の後ろ」という空間的表現が見られる。もし同じ空間的表現で"pestaペスタ penilペニル xelerlシェレール"と言ったなら「起きる前」という意味になってしまうので「動く自己」の表現ではない。


 こういった「動く時間」準拠の表現は古典リパライン語から引き継いできたものが多く、現代語では生成的では無いようだ。


 "lesditekstレスディテクスト"は「既述の、先に言及した」を表す形容詞で、語源はヴェフィス語の"lesditékstラーディート"である。この単語の語源は更に古典リパライン語の"laix'dライシュド jkukco'dイククソド"に由来し、これは「左に述べたことの」を表す。

 "restutenレストゥテン"と"tesnokenテスノケン"は"restutレストゥット"「左」とtesnokテスノック「右」にそれぞれ形容詞語尾が付いたもので「左/右の」という意味も表すが前者は「過去」、後者は「未来」を表すこともある。


 これらの時空表現は「書記ベース」と言われているもので、リパライン語の書記方向である左から右に影響されている。進行方向の先を未来として捉え、後を過去として捉えるのは「動く自己」と同じでpesta/fastaの変形型と見ることも出来る。

 これら書記ベースの表現が生まれたのはユナ・リパライン語が分化してからと言われている。


 なお、リパライン語名では姓名の順番は日本語と同じ「名字 - 名前」の順番が基本である(felirca.atamフェリーサ・アタムのような外国人は例外だが)。名字のことを"restutenレストゥテン aloajerlermアロアイェーレーム"、個人名のことを"tesnokenテスノケン aloajerlermアロアイェーレーム"と言うことがあるが、従来この順番は修飾順と関係していると考えられてきたが、"fonフォン"や"-j"による修飾反転が普遍的なものになっているユナ・リパライン語に至ってもこの順番が守られてきたのは、伝統ある家名を過去を象徴する左に起き、今を生きる個人の名を現在を越えて未来を象徴する右に置くことがユナ・リパライン語を話す人達の感性に合っていたからでは無いだろうか?

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