fentexoler ――「反革命主義者」(4)


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※ 本項には古くなった設定が含まれています。しかし、ギオンシャントヴェード世界における"fentexoler"解釈に広く通じるところがあるため、削除せずに残しています。ここでの記述の引用に関してはご注意ください。

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 前回ではリパライン語の影響の強いギオンシャントヴェード世界国家の一つであるアポラについて"fentexolerフェンテショレー"をテーマに見てきた。今回もギオンシャントヴェード世界にある国家――ロフィルナ連邦共同体の構成国の一つ、ラーツォルペン公国について見ていきたい。


 ロフィルナ連邦共同体はアポラがファルトクノア共和国の事実上の保護下におかれた後に起こったシャグマ・ラゴン戦争(ファルトクノア側の呼称は「植民地解放戦争エルミエスム・フォン・アフナーヴォ・カンフィット」)という紛争において、ファルトクノア共和国と交戦し敗戦した。

 ファルトクノアは巨額の賠償金と民主化を講和条件とするも財政的に荒廃した状況と貴族社会の政治的影響力の強いロフィルナには到底受け入れられるものではなかった。

 講和交渉は難航するが、シンテーア暦1790年に特定品目の関税緩和・惑星一つの租借によって講和(ファールリューディア講和条約)が成立した。このときに租借地とされたのがエールミトナ星系第4惑星ツォルマールであり、ラーツォルペン公国であった。


 ラーツォルペン公国においてはファルトクノアによる苛烈な同化政策――連邦化政策が実行され、理語教育の強制、貴族を木に括り付け灯油を掛けて燃やす、現地通用語であるツォルマ語の排斥、偏狭なプロパガンダ教育などが一年間続けられた。理由は様々だが、ラーツォルペン国民が支配に激しく抵抗したことやファルトクノア政府がファルトクノア共和国内の約半数を占めていたショアン人の場合と同じように民族的に同化しようと試みたことなどが考えられる。

 しかしながら、実際にはラーツォルペン現地政府はリパライン語教育が一部のエリート知識層にのみ共有されるものだったことやナハルシュ・ツォルマリアと呼ばれる極右レジスタンスによる激烈な抵抗があったことから初等教育からの学習環境の整備には難色を示していたのであった。


 しばらくすると、ファルトクノアの連邦化政策に本国からのストップが掛けられる。ピリフィアー暦2018年(シンテーア暦1791年)に連邦議会でツォルマール管理行政法が可決されると、行政権はファルトクノアからユエスレオネ連邦の直接統治に移ることになった。以降、ラーツォルペン公国では高度な民政自治制度の伝統が構築されていくようになる。ロフィルナ艦隊による軍事解放論が広まるとロフィルナ帰属に反対するツォルマリア人若年層は運動を立ち上げ、独立を志向し始める者も出始め、租借からの復帰を待つ老年層との軋轢は大きくなっていくことになった。

 若年層やラーツォルペンのリベラル政権はサニス条約機構やイェスカ主義、民政自治への理解を深めようとユエスレオネ連邦から様々なことを学び取り、その中でリパライン語が広げられることになった。


 リパライン語の広まりや政治学的展開は保守派との対立を悪化させることになり、さらなる衝突を招くことになる。

 しかし、ロフィルナ艦隊が攻めてくることはなく運動の収束とともにリパライン語が抑圧されることのない環境が構築されていくようになった。


 さて、このような歴史の中で"fentexolerフェンテショレー"という単語はどのように展開していったのだろう。


 ラーツォルペンにおける"fentexolerフェンテショレー"の利用の中で最も特筆すべきものは、ロフィルナ革命における"fentexolerフェンテショレー"の変質である。

 ロフィルナ革命はシンテーア暦1788年から1793年まで続く内戦状況であり、常任最高議長ヴァンス・フリートン侯爵率いる政権側とロフィルナ社会民主同盟に代表される反乱軍との戦いである。

 リパライン語が知識層に広まることになる1790年代において、フリートン政権は既に総辞職しており、後任としてクラルプランダル副議長が臨時執政官に就任して反乱軍の抑制を掲げ、また、軍事的にツォルマールを解放するような議論が出始めるが、民政自治の地盤が整えられ始めていたツォルマールの青年層にとっては既得権益層が旧弊な制度を復活させようとしているようにしか見えなかったのであった。


 そんなときに臨時政権に付けられたレッテルが"fentexolerフェンテショレー"であった。

 これはラーツォルペンの若年層にイェスカ主義が浸透していたからではない。ラーツォルペンにおいて支持を得ているのはイェスカ主義政党というより、旧社会民主同盟系の政党である。むしろ、若年層に"fentexolerフェンテショレー"が広まったのは、貴族層の高等教育における言語としてのリパライン語が段々と民衆にも触れられるようになってきたからであった。

 本来、エリート層にのみ与えられる高等教育が一種のステータスマーカーとして作動していたのである。貴族社会の影響力が強いロフィルナにおいては、貴族文化を庶民が真似ることは忌避されるのが普通だった。階級による文化の分断が普通であったのに対して、民政自治による階級分断の弱化が起こったラーツォルペン公国においてはステータス上昇の可能性が下層の民衆にも認知されるようになると、文化的にも貴族文化を受容する器が形成されるようになった。その一つが"fentexolerフェンテショレー"という語の利用に現れたのであった。


 このような地位の上昇は文法的な面でも現れている。

 リパライン語の"fentexolerフェンテショレー"は現地語であるロフィルナ語では"fentesholerフェンテショレル"という形で借用されているのだが、この借用語はER型名詞に分類されている。ER型名詞は複数形になる際に-eを付与するため、複数のフェンテショレーの場合は"fentesholereフェンテショレーレ"となる。ここまでは良いのだが、合成語が作られる場合はこのerが取り除かれてしまうことになる。例えば、"fentesholtoorフェンテショルトール"「ならず者国家」などが挙げられる。

 これは固有語の規則であり、浸透したリパライン語以外ではそもそもER型名詞として分類されていない場合が多い。"kanfiterカンフィテル"「植民地生まれ=ロフィルナ生まれのヴェフィス人」は無語尾型名詞として扱われ、複数同形であり、合成語"kanfiteridornaaカンフィテリドルナー"「ヴェフィス人集団」というように語尾が脱落しない。


 青年層の期待は革命後に旧弊な階級制度、貴族社会などが改められることにあった。しかし、革命を導き戦後に「共立体制」と呼ばれる体制を立ち上げたロフィルナ社会民主同盟は過剰な利権を保持した財閥と手を結び、政治は過剰な知的エリート主義へと転化し、青年層の失望を招くことになる。ロフィルナ語に借用された"fentesholerフェンテショレル"も改革に否定的な「共立貴族なりあがり」や御用組合に対する侮蔑語として用いられてゆく。

 ここで青年層は民主的な価値観を共有する若年層との連携を深め、その中でツォルマールの独立問題は棚上げされ、更に時代を下るうちに世代間の議論が進み、独自の社会民主論――ヴァンス・フリートンが振り返る形での「文化としての貴族を許容する多言語主義的共立主義・現代版ノブレス・オブリージュ」――が熟成されることになるのである。


 このような社会変革の中で、各層の地位の上昇による言語文化の受容が"fentexolerフェンテショレー"の利用の広まりに現れ、文法にも影響を及ぼしている。

 ロフィルナにおける独自の多言語主義は壮大な言語エコノミーの変化の物語ということになる。

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