第二十二話 誓いに似た言葉。
月の光の糸は、なかなか上手く紡げない。何度も試行錯誤を繰り返し、また蜘蛛の糸を集める。諦めることはできない。何度でも成功するまで続ける覚悟はある。
ちらほらと雪が舞い始めた頃、アルテュールが口を引き結びながら帰って来た。温かい花茶を淹れて、そっと勧める。
「今日は何かあったのですか?」
「…………ああ。いや、特に何かという訳ではないから心配しなくていい。それより……イヴェット……私と共に舞踏会に出てくれないか?」
「舞踏会? どこでですか?」
どきりとした。まさか私の国での舞踏会ではないだろう。
「フリーレル王国の王城だ。これまでは体調不良を理由に欠席してきたが、今回は次兄の子が無事に三歳を迎えた祝いの舞踏会だ。未来の王の最初の祝賀を欠席することは難しい。……助けてくれないか?」
アルテュールが私の手を包む。私が役に立てるのならと思う気持ちはあるものの、公式の場で王子の隣に立つことの意味を考えると怯んでしまう。
「でも……私は……」
「私と揃いの仮面を用意する。イヴェットはここに来てから、とても可愛くなった。仮面を着けなくても、きっと誰にもわからない」
正体不明の愛人。それがどんなに寂しくてもアルテュールと一緒にいるなら、その立場を受け入れるしかない。……覚悟を決める時が来たのか。
頬に優しく触れられると、胸がどきどきしてしまう。可愛くなったかどうかはわからないものの、健康的な体になったとは思う。
「私、舞踏会に出ます。でも、上手く踊れるか心配です」
フリーレル王国のダンスは踊ったことがない。
「昔、たくさん踊っただろう? イヴェットは覚えるのが早くて驚いた」
「あれがそうだったの?」
草原や森の広場、一日中踊ったこともある。
「舞踏会までに練習しようか。明日、この前頼んだドレスも何着か出来上がってくる」
アルテュールは私が迷った
「……ドレスなんて着る機会はないと思ってたのに」
「館でも好きな時に着るといい。ノーマは化粧と髪結いも得意だ」
ノーマはとても有能な侍女でもあったらしい。夫の騎士が引退して、自身も王城務めを辞めると申請した時は、あちこちの貴族からの勧誘を断るのが大変だった。人付き合いに疲れたと言っていて、この館の環境が条件に合ったので来てもらえたとアルテュールが笑う。
「ノーマの夫は、どちらにいらっしゃるのですか?」
「今、ローラット侯たちと一緒に働いてもらっている。引退したのは年齢の規定に達しただけで、今も有能な騎士だ。ああ、イヴェットを助けに行った時にもいた」
ここで過ごす間に〝百華の館〟での記憶は薄くなっている。数名の姿を見たように思っても、どの人なのかさっぱりわからない。
お土産の甘いクッキーをつまんで、アルテュールの口に運ぶ。
「イヴェットの為の菓子だぞ」
笑いながらアルテュールがクッキーを食べ、新しいクッキーを摘まんで私の口へと運ぶ。最初の一口はお互いに食べさせ合うのが当たり前になりつつある。
「そういえば、マリーはいつ頃帰ってくるのですか?」
聞いていた日程から数日が過ぎているので、気になっていた。
「一つ調べ物をしてもらっている。もしかしたら外国に行くことになるから、少し時間がかかるな」
「それは大変なお仕事ですね」
「夫のローラット侯と一緒だから昨今流行りの新婚旅行の替わりになるだろう」
婚姻直後に夫婦二人で旅行することが、フリーレル王国では広まっているらしい。
「職務に真面目なマリーが旅行を楽しむことができるでしょうか……」
「それは大丈夫だろう。夫と一緒にいるマリーは見ていて面白いぞ」
過去の光景を思い出したのか、アルテュールが楽し気に笑う。一緒に笑いたくても全くわからない私は、眉を下げるしかできない。
「機会を作って紹介する。真面目なマリーと正反対の男だから、楽しみにしていて欲しい」
アルテュールの笑顔に、私は期待を込めて頷いた。
◆
翌日、転移したアルテュールが大量の荷物を抱えてすぐに戻って来た。大きな箱や小さな箱が部屋の片隅に山と積み上げられ、注文に間違いがないか確認しておいて欲しいと言って、また出掛けて行った。
箱を開けると濃淡様々な色の青いドレスが五着に髪飾りや帽子、ドレスに合わせた下着や靴。高価なレースや絹が贅沢に使用されていて、地模様が織り込まれた布は見るだけでも勉強になる。
「素敵……」
ドレスの一着を体に当てて鏡の前に立つと、顔色が輝いて見える。私に似合う青をアルテュールが選んでくれた。
これはアルテュールの瞳の色。懐かしい青い瞳を見たのは、あの一度きり。蛇の瞳でも構わないから見たいと思っても、本人の気持ちを考えると言い出せない。
「早く〝時戻りの衣〟を織らなくちゃ」
魔女の呪いを解けば、アルテュールは仮面を外すことができる。広げてしまったドレスや装飾品を片付けて、私はまた夜空の部屋へと向かった。
◆
「イヴェット、ただいま」
帰って来たアルテュールは、綺麗な白い薔薇を一輪、私に差し出した。
「ありがとうございます」
花の贈り物も嬉しい。もらった一輪の花をまずは小さな花瓶に飾り、次に大きな花瓶に移している。
「切り花でも思ったより長持ちするものだな。これは五日前の花だろう?」
アルテュールが感心したように大きな花瓶に活けた花を見る。
「湖の水の効果だとノーマが言っていました」
館の目の前にある湖の水は、不思議な力があるらしい。毎朝花瓶の水を取り替えると、花が生き返る。
「きっとイヴェットの毎日の世話が良いからだ」
小さなことでも、褒められると嬉しい。
「今年の夏は忙しくて釣りが出来なかった。早く片付けて釣りがしたいな」
「何が釣れるのですか? テラスから魚が泳いでいるのを見ていますが、種類が全くわからなくて」
湖面から見る魚は、私の目にはどれも同じように見える。
「一番大きいのはドレル……と名前を言ってもわからないか。そうだな……夏祭りの塩釜で焼かれる……と言ってもわからないな。んー。白身で美味い魚だ」
「もう! 全然わかりませんっ」
仮面を着けていても、アルテュールの表情は豊かで笑ってしまう。
「イヴェットの小指くらいの魚もいるが、背丈と同じくらいの大きな魚もいるぞ。ただ、それが掛かると釣り竿が折れそうだし、釣り上げるのが一日仕事になる」
アルテュールが自分の部屋から持ってきた釣り竿は、それほど太い物ではない。丈夫な糸と糸巻きが付いていても、これで私と同じ大きさの魚を釣り上げることができるとは俄かには信じられなかった。
「巨大な魚が掛かった場合は、まるで格闘みたいだな。糸を緩めたり引いたりしながら、相手が疲れて諦めるのを待つんだ。夜中に釣って、引き上げたのが夜明けだったこともある」
「網で捕まえるのは駄目なのですか?」
「私の釣りは一対一の緊張感を楽しむものなんだ。達成感を求める為……だな。美味い魚を食べる為でもある」
私は一緒に行けないらしい。残念な気持ちが顔に出てしまったのか、頬を優しく撫でられる。
「テラスからも釣りはできる。大物は舟で出ないと難しいが、春になったら一緒に釣りをしよう」
「はい」
釣り竿を部屋に片付けたアルテュールが、長椅子に戻って来た。
「……イヴェット、お願いがある」
先程とは違う緊張感を漂わせてアルテュールが口を開く。
「この指輪を預かって欲しい」
「これは……」
手渡されたのは、金色の台座に紅玉が嵌め込まれた〝王子妃の指輪〟――別の人と結婚してしまった私が嵌める資格のないものに、金の細い鎖が付けられている。
「鎖を通してあるから、首に掛けるか腕に巻いて持っていてくれればいい。もしも、どうしても危なくなった時に強く引けば鎖は外れる。指に嵌めて私の名を呼べば必ず助ける」
返そうとした私の手を、大きな手が包み込む。
「……一生外せないと言っていたが、それは嘘だ。私が死ねば指輪は外れる。だから外す方法はある」
「アルテュール? 何を言っているの?」
まるで死ぬと言っているようで怖い。腕に触れると強く抱きしめられた。
「私はイヴェットだけを選ぶ。……必ず君を幸せにする」
誓いにも似た言葉を、私は腕の中で聞いていた。
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