第二十三話 月の光の世界。
また私は女神の夢を見た。
女神の声が教えてくれたのは『蜘蛛の糸は、導きの糸』ということ。蜘蛛の糸一本を使って、自らの心からあふれる愛を紡ぐ。
「私に出来るかしら……」
糸車の前に座り、蜘蛛の糸を手にして自問する。ロブとアルテュールへの愛は間違いなく私の心に宿っている。
アルテュールの呪いを解いて、悲しい顔をしなくてもいいようになってほしい。仮面を外して、いつも笑っていられるように。……今、願っているのはそれだけ。
深く深く息を吸う。夜空の部屋には開かない天窓しかないのに、部屋の空気は清々しい。これは竜の骨で出来た織機と糸車の効果なのだろう。
白く光る蜘蛛の糸の端を指先でつまみ上げ、糸車の糸巻きへと結ぶ。椅子に座り直して、また糸に触れた時、指先から白い光の粒が零れる。
「これは……」
白い光の粒が糸にまとわりついた。もしかしたら、これが月の光――愛なのかもしれない。半信半疑で足板を踏み、糸車を回す。白い光をまとう糸は少しずつ巻き取られ、七色の光に輝く透明な糸へと変化した。
「夢の中で見た糸と同じ……」
月の光を紡ぐことができるかもしれない。期待に心を震わせながら、私は糸車を回し続けた。
◆
ノーマの手は、魔法を掛けることができるのかもしれない。鏡の前に座った私の金茶色の髪が、美しく巻かれて結われていく。
『髪を半分降ろしたままなのは、フリーレル王国での流行の髪型ですよ。ちゃーんと雑誌を取り寄せて研究していますから流行遅れはありません』
ノーマは今でも侍女だった習慣が抜けないと笑う。
『流行雑誌を読まないと気になって気になって仕方ないんですよ』
毎月、十冊を買っているというから驚く。雑誌は本と違って、とても質の悪い紙に印刷されているので、読み終わっても買い取ってくれる古本屋はない。火を焚く時に使って処分しているらしい。
ノーマの髪型が毎日違うのも、自分の髪で練習をしているのかと気が付いた。仕事を辞めても向上心を失わない素敵な女性だと思う。
続いて丁寧な化粧が施されて、珍しい淡いピンク色の口紅が塗られる。
『少し前までは、病弱っぽくて今にも倒れそうな儚げな化粧が流行だったんですけどね。私はどうも苦手ったんですよ』
淡く紅潮したような頬も唇も健康的な色に仕上がっていて、鏡の中に映る私は輝いていた。
『ありがとう! とても素敵だわ!』
侯爵家の侍女たちもすばらしい手技を持っていた。ノーマはたった一人でその手技と同じ完成度を見せてくれている。この腕があれば、あちこちの貴族から勧誘されるのも無理はない。
化粧ケープを外されて、大きな鏡の前へと案内された。私が着ている青いドレスは袖が長い
『さぁ、アルト様が首を長くしてお待ちですよ』
『ノーマ、本当にありがとう』
心からの感謝を込めて、私はノーマの手を握った。
◆
部屋に戻ると、舞踏会用の豪華な服を着たアルテュールが待っていた。銀糸で刺繍された白い上下と、同じ刺繍が施された仮面が凛々しい。
「お待たせしました」
「待ってた。もう少し遅かったら、部屋を覗くところだった」
アルテュールが笑いながら私を抱きしめる。
「イヴェット、綺麗だ……おっと。化粧も髪も触れちゃ駄目だって注意されてたんだった」
頬に口づけようとしたアルテュールの動きが止まる。きっとノーマに言われているのだろう。
「こんなに綺麗なのに、私だけしか見れないのは贅沢過ぎるな」
「アルテュールに見てもらえただけで、とても嬉しいです」
仮面の下、零れる笑顔が嬉しい。
「これを着けてくれないか」
アルテュールが開けた箱の中には、金の花々に
「イヴェットに、絶対に似合うと思ったんだ」
耳を赤くしたアルテュールが、宝冠を私の頭に飾る。宝冠の内側には髪に止める為の金具がついていて、頭を動かしても落ちたりしない。
首飾りを飾った後、アルテュールが溜息を吐いて前髪に口付ける。
「……こんなに綺麗なのに、触れられないのが残念だな」
触れてもいいのにと思っても、踊り終わるまでは、この化粧を崩したくない。
耳飾りを着ける手が、耳を掠めた。くすぐったくて笑うと、アルテュールが耳元で囁く。
「綺麗で可愛いなんてずるいぞ」
今日の私は、アルテュールとノーマの魔法に掛けられていると思う。自分でも信じられないくらいに美しく輝いている。
「音楽はないが、イヴェットなら踊れるだろう?」
「ええ。もちろん」
アルテュールの
私の手を取って、アルテュールはテラスへ続く窓を開けた。
「外で踊るのですか?」
開いた窓からは、冬の冷たい風が吹き込んでくる。
「大丈夫だ。限定の結界魔法を掛ければ寒くない」
笑うアルテュールが指を鳴らすと、温かい空気に包まれた。
「綺麗……」
テラスはすっかり夜に包まれていた。空には大きな赤い月と緑の月、白い半月が輝いて白い石床をほのかな光に包み、幻想的な風景が広がっている。
「イヴェットの方が綺麗だ!」
アルテュールに手を引かれ、テラスを駆ける。子供の頃、こうして一緒にあちこちを駆け回った記憶がよみがえってきた。
「持ち上げるぞ!」
腰を掴んで持ち上げられて、くるりと世界が回る。ふわりとドレスの裾が舞う。楽しくて嬉しくて仕方ない。笑い声が出てしまう。
「昔に戻ったみたいだな!」
「夜だったことはありません!」
私が意地悪な指摘をするとアルテュールが笑う。いつも夕方には別荘まで送り届けてくれた。
何度か回った後、そっと地面に降ろされた。
「よし、そろそろ踊るか。……足りなかったか? そろそろイヴェットは目を回す頃だろ?」
もう少し高い景色を楽しみたかった。その思いが顔に出ていたのかもしれない。
「また、今度お願いします」
「わかった。また踊ろう」
また次回。たったそれだけの約束が嬉しい。もう二度と離れることはないから、約束が守れなくなることはない。
向かい合って、ダンスの最初の挨拶。男性は右手を左胸に当て、女性はドレスのスカートを摘まみ、右足を後ろに引いて軽くお辞儀を行う。
「踊ろう、イヴェット!」
「はい、アルテュール!」
掛け声と同時に、腰に回された手が合図の拍子を教えてくれる。始まりは右足から。幼い頃から何度も踊ったダンスは身体が覚えていた。
音楽が無くてもかまわない。二人の笑い声と揺れる体が、次の動きを教えてくれる。どちらかが間違っても修正して助け合う。
手を握り、互いの腰に手を回して。昔とは違って、密着する体が熱い。
「イヴェットのダンスは完璧だな」
「教えてくれた方がとても上手だったのです」
澄まして答えると、アルテュールが笑う。
この夢のような時間が、いつまでも終わらなければいいと願う。美しい月の光が輝く世界の中、私たちは踊り続けた。
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