第49話 家康とイスパニア(スペイン)





 夕暮れの港町を進むと、荒っぽい鉱夫の一団と出くわした。

 そろって疲労がにじむ顔を、明々と夕日に照らされている。

 漁師の潮焼けとは異なる、いかにも不健康そうな鉛色の顔だ。


「お疲れさまでございます。がっぽりとお稼ぎで?」

 今度は山吹大夫から声をかけた。


 棟梁らしい鉱夫が、ジロッと大夫の全身を舐めまわす。

 酒乱のような険悪な形相で、グイッと顎を突き出した。


「いきなりなんだ。なんの義理あって、てめえにそんなことを訊かれねばならぬ」

 山吹大夫は丁重に、「これは、ご無礼をば申し上げました。手前、猿を相手の、鉱山まわりの猿楽師でございまして。これ、三吉、ごあいさつをば申し上げぬか」


 とつぜん話を振られた三吉も心得たもの。

 少しも慌てず騒がず、山吹大夫の肩の上で、チョコナンと愛嬌たっぷりに小腰をかがめてみせたので、いかつい鉱夫はたちまち機嫌を直してくれた。


「このぅ、愛嬌者めが。猿も木ならぬ肩から落ちるなよっときた。はっはっはっ」

「これはまた粋な洒落で一本取られました。ところで旦那さん、こちらでも精錬には合金をおつかいで?」

 山吹大夫がさりげなく訊ねると、鉱夫はいかにも得意げに胸を張った。


「おうよ、前のご奉行さまのお達しでな。おかげで毒を吸わずに済むようになったわい」「『前の』というと、石見守さまのことで?」

 言わでもがなの確認に、鉱夫はさらに頬をゆるめた。


「あたりめえよ。ほかにどこのどなたさまが、オラたち鉱夫の健康や安全を真剣に考えてくれたか、答えられるやつがおったら、訊いてみてえものさ」

 威勢はいいが、明らかに奥歯にものが挟まっている。


 見兼ねた志乃は、つい横合いから口を出した。

「いまし方の『どなたさま』には、駿河の大御所さまも含まれておいでですか?」


 生意気な女から図星を指された鉱夫は、「オラに、なにを言わせるつもりだ?」一瞬、鋭い剣呑をにじませかけたが、「これ、さような不躾ぶしつけを申すものではない」山吹大夫の取り成しで矛を収めてくれた。


 水銀を巡る経緯をたどってみると、おおむね、つぎのような次第になりそうだ。

 石見と佐渡の両奉行を兼ねる大久保長安は、かねてより、京都の商人・伊勢屋を通してイスパニア(スペイン)の商人から水銀を買い付け、両鉱山の精錬につかっていた。


 慶長14年、フィリピン(イスパニア領)の船が難破して、上総国岩和田に漂着した。同船のドン・ロドリゴ総督を駿府城に招いた家康は「精錬技術において先進国と聞く貴国の優秀な鉱夫を、わが国に送ってほしい」とイスパニア王への伝言を託した。同時に、大久保長安が開拓したイスパニアとの商取引を禁じ、自らの直接支配とした。


 翌15年、家康は堺と大坂に朱座を置いた。

 それを口実に、水銀の自由販売を禁止した。


 かくて、相変わらず大久保長安を重用すると見せかけながら、実は何年もかけて周到に準備された家康の野望は、それから3年後の大久保長安の逝去を契機とする大団円へと、一気に雪崩れこんで行くことになる。


 ――猿楽師出身の辣腕武士とその一族の栄枯盛衰、真夏の夜の悪夢の如し。


 男の社会の恐ろしさに身振るいしながら、志乃はかたわらを見上げた。

 過去の出来事として整理がついたのか、意外に恬淡としている山吹大夫の肩で、珍しく自信なさげな顔つきの三吉が、悄然とおのれのへその下を見下ろしていた。

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