第33話 八王子の石見守旧陣屋跡
3月10日申の刻。
1人旅3日目に、志乃は八王子宿小門町の石見守の旧陣屋跡に到着した。
天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏を討った秀吉は、今後の最大の宿敵となる家康の勢力伸長を恐れ、それまでの所領の駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の5か国をそっくり召し上げ、その代わりに北条氏の旧領の武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総・下野国(一部)・常陸国(一部)の関東8州に移封を命じた。
武蔵(江戸)に入った家康は、さっそく新たな所領を主な家臣に分配した。
生まれて初めて賜る自領として八王子3万石(実質9万石)を与えられた大久保長安は、持ち前の辣腕ぶりを遺憾なく発揮して、新宿を起点に八王子を通過させる甲州街道を開いた。旧主である武田氏の遺臣を組織して「八王子千人同心」を養成した。また「石見土手」を築き、往時からの課題だった「暴れ浅川」を治水した。
ことごとく、家康の許可を得たうえでの仕置きだったことは言うまでもない。
だが、いま、志乃の眼前に広がる陣屋跡は、無惨に荒れ果てていた。
それほど多大な功績があった領主の館とは、とうてい信じられない。
さぞかし豪壮なつくりだったろうと推察される長屋門は、鉈でもつかったのかと思われるほど滅茶苦茶に破壊されている。樹木という樹木は根こそぎ掘り返され、石灯籠やお稲荷さんの祠まで持ち去られた庭園では、干からびた池が底の割れ目を痛々しく曝し、憎々しいほど勢いのある雑草が人の背丈より高く生い茂っている。
戸障子の類はことごとく破壊され、風雨に曝された布や紙、陶器片、下駄や草履の片方やら、錆びた
まさに怨霊の棲み処と化し、数多の怨念が沁みこんでいる地中から、なにものかの気配がユラユラ立ち上っている。志乃は凍りついた背筋をブルッとふるわせた。
舅・石見守さまのご逝去を待っていたように、他のご兄弟方とともに、ご夫君・藤十郎さまが捕縛された。そのうえ、ご自身も監禁され、解放されたあとも着の身着のままお邸を追われた千都姫さまは、どんなに怖い思いをなさったことだろう。
――この世の地獄、阿鼻叫喚の図をつぶさに目撃されたのだ……。
白い金蛇に願いを託さずにいられなかった慙愧の念がいまさらながら胸に迫る。
松本よりも温暖な八王子の桜は、早くも葉になりかけていた。
吹く風も肌にやさしいのが、いまの志乃にはかえって切ない。
――千都姫さまのご無念、きっと晴らせて差し上げます。
石川家が配流された豊後佐伯の方角に向かい、志乃は堅く心に誓っていた。
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