第28話 色白の金蛇のご託宣
慶長16年3月5日(1611年4月17日)卯の刻。
志乃は川端で不思議な生き物に遭遇した。
老夫婦の小屋より高い堤に上れば、対岸の城山が、すぐ目の前に迫っている。
色づき始めた桜で
老夫婦の親身な看病のおかげで英気を取りもどした志乃は、清らかな川の水で顔を洗うと、くノ一の鍛練で身に着けた腹式深呼吸をたっぷりと丹念に行った。
冬枯れの川面には、くちばしも脚も長い白鷺が、見るからに危うげな一本足で立っている。いたって地味な木蘭色や鳶色、砂色……どんな法則がはたらいているのか訝しく思うほど、それぞれ異なる斑模様の鴨たちも群れをなして遊んでいる。
と、そのとき、志乃の目の端を横ぎったものがあった。
チロチロと小刻みに動く、1尺ほどの長くて白いもの。
――きゃあっ!
まさかとは思うけど、蛇?
うそでしょ、うそでしょ?
奇妙奇天烈な
そして、顔をおおった指の間から、怖々たしかめると……
――やっぱり!
見誤りであってほしいという願いも虚しく、そこにいたのは雪のように白い金蛇だった。本物の蛇とちがい、短いが手も足もあることだけがわずかな救いだった。
驚いたことには、金蛇は志乃を見上げ、ニコッと微笑んだ。
――金蛇に愛想をつかわれても困るんだけど……。
即座に逃げ出したかったが、なぜか金縛りにあったように身体が動かない。
逆に、ついさっきまで強張っていた頬の筋肉が、知らぬ間に弛んでいる。
――意外に可愛い目をしている。
まるで金蛇の世界の姫君みたい。
志乃の心の動きを読んだかのように、肌と同じく真っ白で、どこからどこまでがそうか定かでない口もとから赤い舌をチロッと覗かせ、すぐに引っこめた金蛇は、あろうことか、「ほほほほほ」人間の少女のように可憐な笑い声まで漏らした。
ふたたびギョッとする志乃に、白い金蛇はやさしい声音で語りかけて来た。
「わたくしを哀れと思うなら、どうか父上の屈辱を晴らしておくれでないか」
志乃は悟った。
――この金蛇は、遠く豊後佐伯に流された千都姫さまのおつかいにちがいない。
だから、雪のように色白の別嬪と聞いている千姫さま同様、全身真っ白なのだ。
「昨年の一件は、ことごとく
その件については志乃にも異存がないが、念のために訊いてみることにする。
「よく存じております。でも、江戸のお生まれ、お育ちで、一度もお会いしたことがない千都姫さまが、どうしてわたくしの素性をお知りになったのでしょうか」
すると、金蛇はさも可笑しそうに長い身体をクネッとよじった。
「気づきませんでしたか? わたくしの父上は、そなたの出自をご存知でしたよ。それに、江戸屋敷では書き物好きな母上が、上野沼田の伊豆守さまと頻繁に書状を交わしておりましたがゆえ、わたくしもおおよそのことは承知しているのですよ」
――あちゃあ。
知らぬは本人ばかりであったとは……くノ一としてまことに迂闊であった。
「面目至極もございませぬ」志乃は千都姫の化身の金蛇に向かい、大いに恥じた。
「よいではありませぬか。完璧なばかりでは可愛げというものがありません。粗忽もまた女子の愛嬌ですよ。それより、とりわけ最後の日々において、そなたが父上をいかに気に懸けてくれたか、思うだに涙が零れます。あらためて礼を申します」
白い金蛇におっとりと頭を下げられ、志乃は顔から火が噴き出す思いだった。
――いやぁ、参りました。
御公儀から改易が申し渡されたとたんに、平気で手の裏返しを行った家臣たちに対して、心底からの痛憤を感じて以降はともかく、それより以前は、廊下や天井裏の暗がりで、「駄目2代目」「胴長短足」「剥げっつる」「独楽ねずみ」など思うさま蔑んでいた不埒を知られたら、弁解のしようがない。
「どうか、
「わたくしにできることなら、なんなりとお申しつけくださいませ」
「ああ、うれしい。おかげさまでなによりの親孝行ができそうです」
優雅な金蛇は、うれしそうにピンと身を反り返らせた。
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