第26話 配流の地・豊後佐伯へ出立



 

 

 11月29日辰の刻。

 御公儀から遣わされた役人たちが、いよいよ豊後佐伯への移送にやって来た。


 すでに準備万端を整えていた康長は、わずか十数名の家臣に守られて、さびしい駕籠の人となった。


 とそのとき、御簾みすを降ろしかけた駕籠の前に、とつぜん、ひとりの武士が飛び出した。


「殿さま、お願いでございます。どうか拙者もお供にお加えくださいませ。これでも剣・槍・弓・柔術全般を極めた身、ご道中の山賊退治のお役ぐらいには立とうかと存じます」


 町人のような振り分け荷物の旅装束は、なんと若者頭の伴三左衛門だった。


「伴か。そなたには病気の母君がおられる。ゆえに供はならぬと、あれほど……」


 駕籠のなかの康長の声は、ふるえ、くぐもった。


「どうかご案じくださいますな。老母は嫁いだ姉が引き取ってくれました。妻子を持たぬ拙者には後顧の憂いがありませぬ。なれど、殿さまには大恩がございます。未熟なわが身が今日まで生き延びて参られましたのも、すべては殿さまのおかげでございます。どうかどうか、後生ですから、最後までご一緒させてくださいませ」


 伴三左衛門の切々たる訴えは、天守から吹き降ろすこの冬一番の木枯らしに、ヒュウッとばかりに引き千切られた。

 

 ――御公儀に見放された藩主など、わたしたちは知りませぬ存じませぬ。

 

 とばかりに旧主を見捨てた家臣や侍女たちは、気まりわるげに目を伏せている。


 かたや、渡辺筆頭家老との内紛騒動では、一方的に悪役にされたにも関わらず、康長の不公正な仕打ちを恨むようすさえ見せない伴どのの、さっぱりとした拘泥のなさと確固たる信念、忠義心といったらどうだろう。志乃は目を瞠る思いだった。


「かたじけない。そなたの誠、生涯、忘れぬぞ」


 康長の簡潔な言辞にも、いま、このときの全魂魄が籠められている。


 湿っぽくなった気を吹き飛ばすように、軽装の伴三左衛門が、身なりに見合った快活な声を張り上げる。


「では、ゆるゆると参りましょうか。なにたいへんな仕儀などございましょうや。われら一同、ここにいるだれひとり行ったことがない新天地に赴くのでございますよ。南国の景色やら食い物やら女子やら、見るもの聞くもの触れるもの、すべてが目新しく、珍しい。そう思えば、彼の地への到着が待ち遠しゅうてなりませぬ」


 伏せていた顔を恐るおそる上げた家臣や侍女たちは、伴三左衛門の堂々たる出立宣言を聞いて急にうらやましくなったのか、かすかなどよめきを挙げた。


 慎重に担がれた駕籠が静かに動き出した。

 見送りの人波も、影のようにあとを追う。


 行列は玉砂利を踏んで粛々と進み、外堀に架かる太鼓門の前に差しかかった。

 若かりし日の意気盛んな康長が、亡き先代から託された城郭の完成を急ぐあまり巨石が重いと不平を述べた人夫の首を自ら刎ねて晒した、あの因縁の門である。


 民百姓の怨念を物語るように「玄蕃石」と呼ばれつづけている不名誉な巨石を、囚われ人同然の殿さまは、どのようなお心持ちでご覧になっておられるだろうか。


 御簾の内側に思いを馳せた志乃は、


 ――亡き人たちも現世の人たちも、あらゆる因縁から解放されますように。


 心から祈らずにいられなかった。


 夏には涼し気な葉陰をなびかせていた外堀の枝垂れ柳は、すっかり葉を落としている。その枯れ枝の下で、1対の白鳥の夫婦が仲睦まじく寄り添っている。永遠につづくような何気ない日常風景が、今日ばかりはひどく切なかった。


 道中で弟の肥後守さまと紀伊守さまが合流され、江戸屋敷にお住まいの文月さまと千都姫さまも、ほぼ同じ時刻に、豊後佐伯に向けて出立されると聞いている。


 奥方の文月さまひと筋で、ついにひとりの側室も置かれようとしなかった殿さまには、江戸と松本に分かれた歳月がどれほどおさびしく、お辛かったことだろう。


 だが、今度こそ夫婦、親子水入らずで暮らせるのだ。

 そう考えれば、少しは胸が軽くなるような気がした。


 伴三左衛門のおかげでようやく思いをひとつにした家臣や侍女団は、流刑の地へ落ち延びていく亡霊のような一行が堀を渡って三ノ丸に入り、大名小路を経て大手門を潜り……最後列の供侍が点のように小さくなっても、まだそこいらに居残っていた。

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