第24話 改易前の城下のてんやわんや




 

 

 上を下への城内の大騒動が、ようやく少し落ち着いた10月30日巳の刻。


 ――諏訪巫としてこの目で見た事実を、沼田の義兄上に報告せねばならぬ。


 いっときの感傷から抜け出た志乃が、地味な身なりの町娘に扮して偵察に出かけて行った松本城下は、玩具箱を引っくり返したような大混乱に陥っていた。


 武士も、町人も、百姓も、老若男女が入り混じり、しきりに右往左往している。


 もっとも、改易で直ちに生活に困るのは禄を召し上げられた武士であり、顔を見たこともない殿さまが変わるだけの城下の暮らしには直接の影響はないはずだが、一緒になってヤンヤと囃し立てているのは、日頃の下積みの鬱憤晴らしだろうか。

 それとも、この機会に儲けのおこぼれに与ろうと目論んでの軽挙妄動だろうか。


 まるで祭りのように興奮している群衆の心情を、志乃は興味深く観察した。


 生まれてこの方お城勤め以外に生きる術を知らない武士輩は哀れでもあり、滑稽でもあった。いきなり仕官を解かれても行く当てもなし。松本に住みつづけるしかない下級武士の多くは、事ここに及んでなお侍の矜持を捨てきれずにいるらしい。


「まあ、よいではないか。忠臣は二君につかえずと申す。ここはひとつドンとかまえよう。俗にいう、武士は食わねど高楊枝もまた乙なものではないか、のう」


 とつぜん露呈した生活力のなさに狼狽え、やたらに粋がって見せる無精髭に、「へえぇ、たいそうご立派なご意見をお持ちですこと。ですが、宮仕えもせずに、どうやって子どもたちを食べさせていくおつもりですか。常日頃、不平不満ばかり口になさっておられたくせに、いまさら忠臣が聞いて呆れます。それこそ町人たちの申すところの、おととい来やがれ! でございましょう」こめかみに青筋を立てた古女房が、きつい皮肉をとばしている。


 一方、気弱な夫連は、だれの発案か知らぬが、


 ――傘張り職人。


 とやらの修業にいっせいに精を出し始めたらしい。率直に見たところ、この小さな城下で、破れ傘の張り替えに、それほどの需要があるとは思えないのだが……。


 この世に生を享けてこの方、やれ嫡男よ、やれ跡取りよと、大甘に甘やかされて育ち、実戦の血を吸ったことがない刀に馴染んだふやけ指は、隣家から借りて来た猫の手にも劣るほどの頼りなさだった。


「まったくもう、そんな手つきじゃ、まどろっこしいったらありゃしない。そこを直角に曲げて、ぐっと手前へ引く。ちがうちがう、あっちじゃなくてこっち。あ、ほら、やたらに馬鹿力で引っ張るから、とうとう紙が破れちゃったじゃないの」


 額に脂汗を滲ませる不器用さに、志乃は他人事ながら気が揉める。


 ――この際、すべての借金は棄捐きえん(帳消し)とする。


 殿さまから町人にお達しがあったのは、たしかにありがたかったが、同じ城下に住みながら頬被りなどできないと生真面目に悩む貧乏武士の場合は深刻だった。


「苦境は仄聞しておったが、当家とてご覧のとおりの子沢山ゆえ、とつぜん一家で押しかけて来られても、おいそれと引き受けるわけには参らぬのじゃよ……」


 芝居の一場面のように、露骨に迷惑がられる状況が、手に取るように想像できてしまうにせよ、頼れる縁戚がある者は、まだしも恵まれていたかもしれない。


 ――そろそろ雪もちらつこうという寒空に、一族郎党を引き連れて、どこへ落ち延びよというのか。遠からずかような状況に陥ることが前もってわかっておれば、反りの合わぬ親戚にも、日頃からお世辞のひとつも贈っておいたものを……。


 これというコネもない武士は、心底、困惑しきっているようすだった。

 だが、いずれにしても、待ち受ける苦労は大同小異なのかもしれない。

 たとえ運よく一時の雨露が凌げたとしても人情にも限界があるだろう。


 頼られた方に蓄積する憤懣と苛立ち。

 頼った方の誇りを傷つける肩身の狭さ。

 双方の忍耐が、春先までもつかどうか。


 去るも地獄、残るも地獄。

 なんと残酷なことだろう。


 他人事ながら胸に重苦しい鬱屈を抱いた町娘姿の志乃が、小股に大名小路を進んで行くと、慌ただしく当主が立ち去ったあとの武家屋敷があちこちに散見された。


 長年、雨露を凌いでくれた屋敷の片付けもせずに出て行ったのか、あるいは置き去りにされた使用人の腹いせや空き巣狙いの仕業なのか、いずも門は傾ぎ、壁や戸障子は壊され、丹精のあとが残る庭は、無数の足跡で乱暴に踏み荒らされている。


 なかの1軒の武家屋敷の周囲は、とくに生々しい騒々しさの渦中にあった。

 粗雑な尻端折りに印半纏を羽織った荒くれ男たちが、湯気が立つほど殺気立ち、無人となった屋敷の襖や戸障子、畳、台所のへっついから樹木、重そうな庭石に至るまで、手当たり次第に屋敷の外へ運び出している。


「長年、顎で扱き使いやがって、こたびの零落は神罰せぇ。まったくもって、いい気味だっつうの。憎たらしいやつらがご城下から居なくなって、オラぁ、ふんとに清々したじぃ、まっつぁん」


「ふんとせぇ。親が親なら子も子、孫も孫で、一家そろってお高く留まりやがってせぇ。いまだから言うが、たかが足軽風情が、えっらそうに思い上がりやがって。おい、やっさん、ちょっくら聞いてくんねえかい。オラぁ、あの高慢ちきな奥方にどれほど泣かされて来たことか」


 よほどの怨念を溜めこんできたものか、昂ぶった男たちが大声で話している。


 殺伐とした町のようすにいっそうのやりきれなさを深めながら下駄を進めると、遠目にもひときわ賑やかに活気づく大店が見えて来た。どうやら、御公儀の役人に一括して没収された城主の豪華な家財調度類が、入札払いに処されているらしい。


 武士より格段に地位は低いものの、商才に長けた町人の一部は銭だけは唸るほど持っている。日々の衣食にも困窮しながら、見栄だけは一人前の武家のふところに入りこんだ商人たちは、江戸屋敷との二重暮らしや参勤交代、御公儀からの賦役により慢性的な手許不如意を余儀なくされている城主の康長にも言葉巧みに近づき、いざというときの恩恵を見込んで、多額の金子を低利子で貸し付けていた。


 表では従順を装いつつ、裏では藩の財政を通じて仕置きそのものまで支配する。

 長年の面従腹背が常態化している商人たちにとって、このたびの改易に伴う御殿道具の入札払いは、のどから手が出るほど欲しかった高級調度類を白昼堂々と入手できる、またとない機会となっているようだった。


 高貴趣味の暇人に、目ん玉の飛び出るような高値で売りつけてやろう。いんや、遠慮することはない。ああいう連中は、高ければ高いほどありがたがるものだ。


 またとない儲け話を聞きつけた同類の商人どもが、貪欲な猫のように爪を砥ぎ、松本の近郷はもとより、江戸、尾張、甲府、越後、加賀などからも、大挙して詰めかけているようだった。なかにサクラが混ざっていることはむろんである。


「さて、みなさま、お立ち合い。音にも聞こえた松本は烏城の御当主、石川玄蕃頭さまご愛用の絢爛豪華な逸品、花鳥風月の六曲一双金屏風だじぃ。こいつを枕辺におっ立てれば、商売繁盛、御家隆盛まちがいなし。まずは120両でどうじゃな」


「いやいや、いやいや、馬鹿も休み休み言いまっしょう。太閤殿下直々のご安堵とはいえ、哀れや末がご改易と来ちゃあ、御家隆盛もへったくれもあるもんかいね。いいとこで70両と言いてぇとこだが、ご祝儀相場で80両でどうだいね」


「ほうかね。いやなら、やめときまっしょや。これほどの上玉だよ、引き取り手はいくらでもおるわい。あ、そっちの太っ腹げな兄さん、ひとつ、どうだいね。尾張名古屋でもかような掘り出し物にゃあ、滅多にお目にかかれねえずらい」

「そうでもねえが、買い手がつかなきゃ、もらっといてもいいだみゃー」


「けっ、足許を見やがって。みすみす名古屋へなんかやれるかい。なら、なかを取ってキリよく100両でどうじゃな。これにて一件落着といきまっしょやぁ」

「おっし、地元を贔屓するわけじゃあねえが、大負けにお負けして100両で手を打とうじゃねえか。持ってけ泥棒と来たもんだ。さあ、みなさま方、お手を拝借。おっしゃしゃんのしゃんで、しゃんしゃんしゃんと来た。へぃ、毎度ありぃ!」


 茶釜が沸くような騒擾そうじょうにまぎれ込み、監視の目のうすいうしろの方では、こっそり道具を持ち逃げする町人もいることを、くノ一の目は見逃さない。


 ――欲得に駆られた人間のおぞましさよ。


 飛騨山脈から吹き降ろす晩秋の風が、落葉を巻きあげながら吹き抜けて行く。

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