第21話 墓を掘り返し、木乃伊を晒し首



 

 

 それから1か月半後の7月9日。

 

 ――死去から2か月半も経過している大久保長安の墓地が、御公儀によって掘り返された。

 

 まさかの知らせが、松本城で息をひそめる康長のもとにもたらされた。


 土中で急速な腐敗が進み、1里四方までものすごい腐臭を放つ長安の首は、駿府城下を流れる安倍川の河原であらためて斬首に処されたうえ、見せしめとして粗末な台の上に晒されたという。奇しくもそこは、前年、石見守がけんか両成敗の裁断を下した、岡本大八の処刑と同じ場所だった。


 ――この執念深さは、秀吉が千利休に行った報復と通底しているやもしれぬ。


 ひそかに志乃は思った。


 鎌倉時代末期に大燈国師宗峰妙超禅師が開創し、応仁の乱で荒廃した寺院を一休和尚が復興した古刹であり、それよりなにより、秀吉の音頭取りで織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進した。そんな曰くつきの大徳寺楼門にこともあろうに利休像が設置されたと報告を受けた秀吉は、「このわしに、そなたの股の下をくぐれというのか!」忠誠が求められる武士でもない、ただの市井の人である利休を切腹に追い込んだうえ、元のかたちを留めぬまで徹底的に叩き壊した像と遺骸を、ふたつながら並べて公衆の面前に晒した……。


 最後まで自分に尊敬を寄せようとしなかった千利休への残忍な復讐である。


 ――絶対服従を求める独裁者たちの恐ろしさよ。


 それどころか、家康の報復は秀吉以上に執拗だった。

 見るだに怖ろしげな木乃伊首みいらくびを、安倍川の河原に晒しただけでは飽き足らない家康は、聞く者の肝胆をいっそう寒からしめずにおかない状況を用意していた。


 死んだ父親の首を刎ねて晒したのと同じ日に、嫡男の藤十郎以下7人の子息全員への厳罰を発表させたのである。死者に何度でも鞭打ってなおも飽き足らない徹底した家康の執念深さに、城内も城下もいっせいにたじろいだ。


 不幸中の幸いと言おうか、7兄弟の妻子は許され、それぞれの実家へ帰された。

 ゲッソリとやつれた娘の千都も、石川家の上屋敷へもどされて来たが、ワナワナと打ちふるえるばかりで、食事はおろか、湯茶すらのどを通らないありさまだと、文月の書状は切々と訴えて来ていた。


 どこまでも突き進む事態の深刻さに、康長の歯の根はどうしても合わない。


「あな、恐ろしや。大御所さまの、十兵衛さまへの恨みがさほどに深かったとは、わしは思うてもみなんだわ。昨日の忠臣が今日の大謀反人とは、わしらはいったいなにをよすがに生きればよいのじゃ」


 家康の憤怒の形相が、すぐ間近まで迫っているかのように恐れ戦慄わななき、ただでさえ小柄な全身を、針鼠のように縮み上がらせている。


 城主として矢面に立たねばならぬ面倒を疎み、問題が起きるつどその裁断を下の者任せにして来た康長の相談相手は、やっぱり渡辺筆頭家老、ただひとりだった。


「爺、どうじゃ。御公儀の怒りの矛先は、わしにも向けられると思うか。それとも運よく逸れてくれるだろうか。爺には長年第一線で培った渡世の経験則があろう。御公儀への恭順を示せる良策を、なにか思いつかぬか。なあ、どうじゃ、なあ」


 不安のあまりか伽羅色きゃらいろに変色したくちびるの端に唾を溜めた康長は、血走った目を渡辺筆頭家老に向けたが、肝心のご老体の心は、すでにここにはないようす。


 志乃の観察によれば、このご老体、城主に負けず劣らずのご都合主義である。

 いまを去る13年前、関ヶ原合戦で勝利した家康の天下仕置きが始まったとき、一刻な先代に付き随ったために「遁げ者」とうしろ指を差された前半生とはきれいさっぱり縁を切ったつもりでいるらしい。


「なにをおっしゃいますやら。事ここに及んでの下手な小細工など、かえって藪蛇になりかねませぬ。あれこれ騒ぎ立てても、すべからく物事は成るようにしか成らぬものでございます。はばかりながら、かりにも御大将たる方はさようにジタバタされず、静かに黙して沙汰を待たれるがよろしいでしょう」


 傍観者のように冷淡な口調に、たちまち康長は食らいついた。


「これは異なことを聞く。言葉を返すようじゃが、この期に及んでのんびり座しておって、いったいなにを待てと言うのじゃ。縄か、死か? な、そうであろう。爺、申してみよ。わしに死ねと申すのか」


 沸騰せんばかりの康長の峻烈に明々と照らされた渡辺筆頭家老は、苦笑とも嘲笑とも知れぬ曖昧な笑みをうっすらと浮かべ、皺ばんだ頬を琵琶茶色に染めた。


「やれやれ。いつまでもお肚の座らぬ2代目さまであられることよ。せめて、先代さまの爪の垢でも……」


 耳が遠い本人は、横を向いて独り言ちたつもりらしいが、あいにく人一倍耳聡い城主の耳朶には、いたって鮮明に届いたらしい。


「なにを申す! いかな爺でも、このわしに無礼は許さぬぞ。いつまでも亡き父上と比較しおってからに、ええい、忌々しい」


 刀に手を掛けんばかりの凄まじさに、土壁に溶けこんだ志乃は首を竦めた。

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