第20話 大久保7兄弟の全員が捕縛
5月13日未の刻。
他の大名の正室たちと同様に、御公儀の人質として江戸の石川家上屋敷に滞留中の文月からつかわされた隠密の早飛脚が、のっぴきならない事態を知らせて来た。
――駿府ならびに八王子の大久保屋敷に、ついに捜査が入りました。
康長がなによりも恐れていた悲報がもたらされたのは、それから6日後、5月19日の申の刻だった。
――5月17日、わが女婿・藤十郎どのを初め、藤二郎(外記)、権之助(青山成国)、運十郎、藤五郎、権六郎(右京)、藤七郎(安寿)の大久保7兄弟、全員が捕縛されました。
いつも冷静な文月には珍しく筆跡の乱れた書状には、
――駿府の大久保邸の床下から70万両もの大量の金銀が発見されたということで、亡き石見守さまだけでなく一族全員に横領の嫌疑がかけられている模様です。すでに捕縛された藤十郎どのを初めとする7兄弟の妻子もことごとくが邸内に監禁されておりますので、日頃から病気がちな千都の身が案じられてなりませぬ……。
まさに最悪の緊急事態が認められていた。
「すりゃ、まことか?」
妻の書状をワナワナと握りつぶした康長は、追い詰められた野獣のように悲痛な絶叫を発した。
「なにかの間違いではございませぬか。あの、ご清廉にしてご聡明な石見守さまに限って、不正蓄財などという愚昧をはたらかれるはずがありません。もし、かりにそうであったとしても、露見するようなしくじりは、あの方に限って断じて……。大丈夫でございますよ、殿。真実は自ずから明らかになるものでございますから」
歯がないため、妙に間が抜けて見える口をパクパクさせた渡辺筆頭家老が、耳障りな戯言をほざいている光景も一向に変わりがない、昨日につづく今日であった。
――ご自分のお歳をどこまで自覚しておられるのだろう、このご老体は。
過日の内紛騒動では、先輩宿老の威を借りて威張りちらし、「おのれの目の黒いうちは、絶対に後進に道はゆずってやらぬからな」たいそう立派な啖呵をきってみせたのであるから、少しは年配者らしく重みのある台詞というものが吐けぬのか。
くノ一になりきり、廊下の隅の、階段下の暗がりにすっぽりと丸ごと塗布された志乃は、呼吸も、気配も、匂いも、おのれの存在のすべてを消し去っている。
冷徹な観察者になりきった諏訪巫の志乃は、いましも巨大な策謀のうねりに巻きこまれようとしている石川家の行く末を、行燈をかざすように透かし見ていた。
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