第3話 伴三左衛門、踏ん張る
「ご心情はご拝察申し上げます。なれどご家老さま。築城当時と現在では時代様相がまるで異なりますゆえ、往古の仕儀を持ちこまれますと家中が混乱いたします」
一方的に雷を落とされていた伴三左衛門だが、ついに反撃に出たものと見える。
「なにをっ! まだ戯けを申すか。ならば訊ねるが、家中とは、だれとだれじゃ。さあ、名を挙げてみよ。生意気な小癪を申す不届き者どもの首根っこを、いますぐここに引き据えてみせよ。当初の苦労を知ろうともせぬ不埒な者どもに、亡き先代さまに天誅を加えていただくわっ!」
憤激した渡辺老人は、生まれ立てのキリギリスのような嗄れ声をふるわせた。
「いやはや驚き申す。筆頭ご家老ともあろうお方が、拙者のような若輩の、まさかまさかの揚げ足をお取りになろうとは、いささかみさか大人げがございますまい」
伴三左衛門も負けていない。
昨夜の密談で打ち明けられた上野弥兵衛をはじめとする若手の後押しが、名誉欲も権力欲も人一倍持っていながら、一方では、そつなく世間を渡りたいのが本音の小心者を、これまで感じたことがない摩訶不思議な激情に駆り立てているらしい。
意外な反撃を食らった渡辺老人は、驚いたことに、にわかに感傷的になった。
「そなたなど母さの腹にまだ影もかたちもなかった時代から、拙者は常に殿さまと共にあったのじゃぞ。チャンバラごっこの幼少時代はもとより、お国もとの三河で一向一揆が起きて、現大御所さまに改宗を迫られた大殿さま(数正の父・康政)が闇夜にひそかに自刃なさったときも、さらには、詳らかには申せぬが、やむにやまれぬ事情で殿さま自ら、敢えて
感極まったのか終わりのほうは涙にむせて言葉にならない。言うまでもないが、渡辺老人が「殿さま」と呼ぶのは2代藩主の康長にあらず、先代の数正である。
――またしても古くさい昔語りを始めおってからに。
下働きの志乃でさえあくびを連発するほど、しつこく聞かされた懐旧譚だった。
案の定、伴三左衛門はヘラで削いだような頬を皮肉に歪めながら一笑に付した。
「はいはい。ご家老さまが当家中随一のご忠臣であられた事実を承知せぬものは、この城内はおろか、城下にもひとりも、いや犬1匹、猫1匹おりますまいよ。なにしろ何十度、何百度、何千度となく、この耳に叩きこまれてまいりましたゆえに」
――よくもまあペラペラと。何百度はともかく、何千度は言い過ぎだろう。
それに、またしても城内の「みんな」を味方につけるとは根っから卑怯な男だ。
志乃が呆れるより早く、当の渡辺老人が近ごろにない素早さで行動を起こした。
「ひいっ!!!!」
鋭い悲鳴とともに、
「な、なにをなさりまするかっ!」
伴三左衛門の絶叫がほとばしる。
「無礼者め! 一刀両断に成敗してくれるわっ!」
ザンバラ髪をふり乱した悪鬼の形相で、おそらく本人も思い出せないほどはあるかぶり(久しぶり)に大刀を抜いた渡辺老人だったが、周囲に呆気なく取り押さえられた。
一方の伴三左衛門も腰の物に手をやったところを、しばしと若衆に止められた。
「ご両人ともお静かに。殿のお留守に刃傷沙汰などあってはならないことですぞ」
呑気なのか装っているのか城内派閥に無頓着な中年侍が割って入ろうとしたが、
「かまうもんか。こうなったら食うか食われるかだ」
「そうだそうだ、けんか両成敗だ」
「この際、いさぎよく黒白をつけようじゃないか」
ことさらに煽り立てる取り巻き連の背後に上野弥兵衛の顔が見え隠れしていた。
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