第2話 渡辺金内筆頭家老の憤激
翌2月18日辰の刻。
「無礼者! 下がりおれ。わしをだれと心得おるかっ!」
残雪の飛騨山脈を背に5分咲きの桜花に包まれた烏城が大音声に切り裂かれた。
奥御殿の廊下の拭き掃除をしていた志乃は、ときならぬ一喝にビリッと痺れた。
――あのお声は先代さま(石川数正)から生え抜きの筆頭家老、渡辺金内さま。たしか先代さまより3つ年長のはずだったから、今年、傘寿を迎えられよう。
一事が万事、亡き父親と比較されて自信を失くしている2代康長をよく補佐し、17年の長きにわたって石川家を守り抜いてきた気概と実力は、まことに立派ではある。立派ではあるが、それはそれとして。
いつの世にも共通の、老いて頑迷の度を増す醜悪に気づかないのはご本人のみ。
もはや伝説と化している過去の栄光を
「生来の痩身が、近ごろますます骨皮筋右衛門になって来られた」
「あのような枯れっぷりでは、もはや1滴の水も脂も絞れぬわい」
「まして、ご家老として正常な仕置きなどもってのほかであろう」
口さがない城内雀をよそに、皺だらけの首を精いっぱい伸ばした文字どおりの鶴のひと声は、豊臣秀吉風の築城に倣い、千鳥破風や唐破風の贅を凝らし、後付の
「昨日や今日生まれたばかりのひよっこどもが、黄色いくちばしでピーピー騒ぎ立ておって、きさまらが一人前を申すには、50年、いんや100年早いわっ!!」
気の毒に凄まじい罵倒と唾液を浴びせられている相手は、昨夜の密談のひとり、昨今、めきめき頭角をあらわしてきたと評判の侍大将、伴三左衛門にちがいない。
「ええい、いまいましい。尻の青い小僧っ子は、本日このときから登城に及ばぬ。さっさと屋敷へ逃げ帰り、母さのしなびた乳房に縋りついておるがよいわっ!!」
日ごとに緊張を深める城内の気配から、近く愁嘆場が訪れると予想していたが、
――ついに破裂したようだわ、パンパンに膨らみきった水風船が……。
雑巾を持った志乃は亀のように首を竦めて、奥の侍詰所のようすをうかがった。
正直なところ、志乃はどちらにも味方する気になれない。
枯木に羽織袴を着せたような渡辺老人はもとより、顔立ちのいいのを笠に着て、尖った鼻先に自信過剰をぶら下げた伴三左衛門にも、一片の親愛も感じていない。
先方も下働きの侍女になど目もくれぬであろうが、思うのは志乃の勝手である。
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