第98話 暴落
「あれ? でも、小夜さんは売りも手がけたりなさるんですよね? ガルキスは現物じゃないんですか?」
「ガルキスは、もう持っとくつもりがなかったから現物で売ったの。それに、あたしの売りはツナギだから、現物と信用を併用するのは当たり前」
「ツナギ売りですか」
改めて零央は驚いていた。
ツナギはツナギ売りとも言い、手持ちの株が上がった時、現物を売って売買を完結させるのではなく、信用で売り玉を建てる。下げ相場の時も利益を出せるのが特徴だ。
「高度な技ですよね?」
「そうでもないよ。売りの手法としては割と一般的。じっちゃんもやってたのはこれだしね。一銘柄しかやんないとこが、あたしより一際極まった感じだったけどさ」
「小夜さんは、どうしてりょうげんさんのようになさらなかったんですか?」
「あたしの場合はさあ、ほら、自分の使ってる企業の株を買ってるだろ? じっちゃんみたいに一銘柄まで絞れって言われっと辛いんだよね。分かるでしょ?」
零央は肯定の返事をした。
「何でも同じにしなくてもいいんですね」
「株のやり方は一つじゃないからね。自分に合ったやり方を見つければいいんだよ。で、見つかったら、極める。それで万事オッケー、って感じ?」
「そこは、ぼくもまだまだですね」
「始めたばかりだもん。気にしなくていいよ。今はこの銘柄のことだけ考えなって」
零央が返事をして会話は途切れた。ややあって、零央は紅茶を飲む小夜に話しかけた。
「…あの」
「ん?」
「今回の銘柄はいつ買えるか分からないので、お願いしていた材料探しを継続していただけませんか?」
「他の銘柄も検討すんの?」
「そうです。もし他に適当な銘柄があれば、そちらを買っても構いませんし、無ければ無いでこの銘柄を追いかけ続けます」
「んー」
考え込む様子を小夜は見せた。零央は畳み掛けた。
「この銘柄を手がける場合でも、買いも売りも自分で決めます。小夜さんの方でも売買には言及しないようにしていただければ影響は出ないと思うんです。当然、ぼくからも訊いたりしません。ダメでしょうか?」
零央の顔を見つめ、しばらく考えてから小夜は肯定の返事をした。
「分かった。いいよ」
「ありがとうございます」
「その代わり、ちゃんと自分で決めなよ?」
「もちろんです」
明確に零央は返事をした。自信のこもった声には自ら課した制約の他にも理由があった。自分の判断で株を買い、利益を出すことが楽しくなり始めていた。他の人間の意見など尋ねようはずもなかった。
「さて、んじゃ、結論も出たことだし、あたしは帰るよ」
「まだいいじゃありませんか」
引き止める零央に対し、小夜は指を立てて振った。
「ダメダメ。遊びに来てんじゃないんだから。あたしがやってるのは、と・う・し・の・て・ほ・ど・き」
明るく言って小夜は立ち上がり、カバンを肩に上げてドアに向かった。零央は見送るしかなかった。
素っ気なく小夜が帰ってからの一週間は瞬く間に過ぎた。
十月の最初の日は土曜日で、四月にあって以来の経過報告があった。損失を取り戻した実績に自信を抱きつつも緊張して挑んだ零央であったが、意外にも結果は首位だった。兄二人は大きな損失こそないものの資金を増やせておらず、逆に減らしていた。スタートからプラスになっているのは零央一人だった。予想外の出来事は零央を驚かせ、兄二人に渋面を作らせた。数磨は無感動にも等しい反応を僅かに見せた。
次の日、零央は経過を小夜にも報告し、喜びの声を得た。一方で、材料探しのための情報収集を続けていた。そうした中で異変は起こった。
市場が暴落したのだ。
週の変わった月曜日、それまで一進一退を繰り返していた市場は急変した。大きく値を下げ、翌日の朝刊では一面記事になった。小夜と出会う前であれば悲観的に捉えてうろたえたであろう情報は、むしろ零央に希望をもたらした。手持ちの株をゼロにしていたことも大きかった。後は落ち着いて仕入れ時を探せばよかった。
零央の市場との関わり方は着実に変化していた。
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