第77話 投資家としては間違い

 …この動きは、そろそろ下げ止まる兆しのような気がする。


 新たな足を描き加え、製図台に広げた方眼紙を眺めながら零央は思った。感覚が反騰の気配を告げていた。


 …と言っても、まだ買い始めて二週間。そうすぐには上がらないか…。


 買いを入れたのは二週間の間に二度だけだった。週に一度、月曜を避けて買っていた。正確には避ける必要はなかった。ある気づきが零央にはあったからだ。週足を基準にすると週が一まとまりなのでどうしても月曜に動きたくなる。だが、日足を判断の中心に据えると適した形は週の途中で出ることが多かった。すると自ずと月曜以外の日に買うことになるのだ。選んだ銘柄の日足は小刻みに上げ下げを繰り返し、傾向としては下げる基調にあった。いつ上昇を始めるのかまでは零央には到底分からなかった。


 翌週には、一度大きく下げる日があった。前日に下げたので買った直後だった。それでも、零央は動揺することなく機械的に買いを入れた。いつも通りの作業だった。翌日には反発し、結局その段階で下落は終了した。以後、株価は少しずつ上値を切り上げ、上昇を始めた。

 買い集めた株数は案外に少なく、四千株に終わった。今回は事前に投資する金額を決めていなかった。前回の反省を踏まえた処置だ。下げ続けても買い続ける意向ながらも、思ったよりも早い段階で上昇が始まっていた。


 零央は、株価の上昇が始まった時点で買うのをやめた。仕入れた株数は少なく、投下した金額も小額に終わっていたが、深追いしない方針を固めていた。成果は少なくとも着実に元手を増やし、成功を積み重ねることが大事だと思っていた。小夜の言うように兄たちの自滅を待つのが正しいなら、損失を取り戻した今では投資対象を探す必要さえなかった。それでもなお、零央は投資の続行を望んでいた。既に株式投資は零央にとって試験などではなく、自ら進んでやりたい事柄になっていた。腕を磨きたいと望む心が内にあった。元手を増やすことも大事だ。だが、それ以上に優れた手腕を手に入れたいと思っていた。落ち着いて売買すれば結果は後からついて来るはずだった。


 買い入れた株は三週間ほどで売却した。八月終わりの頃だった。理由は、その週に大きく上げたことと大学の休みが終わることだった。それまでは夏季休暇の恩恵もあって株式投資に専念できた。しかし、講義が始まれば疎かにはできない。早手仕舞いとなってしまっても利益が確保できているのだから問題はなかった。区切りをつける意味でもいい頃合いに思えた。


 株を保有している間は小夜さんとも会えないし…。


 売却の指示を出した後で、パソコンデスクの前に座った零央は思っていた。正直なところ、売却の判断には利益確保以外の思惑も入り込んでいた。


 …投資家としては間違ってるな。


 口元に苦笑を浮かべた零央は想像を巡らせていた。再会の希求については口に出せそうになかった。間違って口にしようものなら、


『この、大馬鹿モンっ!!』


 とでも言われて叱責を受けるか、さもなければ無言で軽蔑の眼差しを向けられるに違いなかった。悪くすればそのまま零央の家に足を向けなくなってしまうのではないかとさえ思われた。断じて避けるべき事態だった。


 …そう。今はまだ、このままで。


 長期戦を零央は覚悟していた。投資においては既に二度目の成功を手にしている。零央にとって最大の関心は小夜に移っていた。


 これで、電話ができる。


 携帯電話を取り出すと零央は小夜に電話をした。

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