第76話 予感

 零央は、作成したチャートと集めた資料を元に自分の考えを小夜に披瀝した。

 チャートは、ここ五年ぐらいは緩やかな下げ基調だった。上げ下げを繰り返しながら底値を探っているように見えた。日足も同様だ。また、PBRは1・13倍となっており、割安株とまでは言わないまでも低い数値となっていた。資産との対比で言えば買い安心感のある銘柄だった。

 もちろん、PBRの数値が低いからといって百パーセント安全なわけではなかった。損しづらいであろうと言える程度だ。前回、数値が1を切った銘柄を手がけて成功したのは確かであっても次も成功するとは限らない。だとしても、小夜の教えに従って銘柄を調べ、買い方に気を配ることで投資を安全な方向へと導くことはできるはずだった。

 零央が説明を終えると小夜が大きく頷いた。


「いいね。あたしからは言うことないよ」


「それじゃあ―」


「やってみな。買い方はあんたに任すよ」


 突き放すような言い方に零央は戸惑った。


「千株ずつ買うんじゃないんですか?」


「ん? ま、そうだけどね。この前は結局あんたのやり方で良かったし」


 困ったように微笑う小夜に零央は明確に告げた。


「千株ずつやります」


「およ?」


 意外そうな声と表情を小夜はした。そんな小夜を見つめる零央の胸には断固とした決意があった。

 零央が頑なにナンピンを実践しようとすることには訳があった。

 怖かったからだ。

 株の下落が怖いのではなかった。恐怖心は前回の成功で霧消していた。資金の増殖だけではなく、自分の立てた見込みが実現していく快感が零央を捉えていた。快感は、あまりにも魅惑的だった。流されれば人生があらぬ方向に行きそうな予感すらした。

 胸の内の葛藤に意識を取られていると小夜が言った。


「おもしろいね、あんた」


「?」


「失敗してなら分かるけど、成功してそうなるのか」


「おかしいですか?」


「ま、慎重になるのはいいことだよ」


「なら、慎重にやります」


「そっか」


 零央が明瞭な返事をして小夜の訪問は終わった。


 その後の経過は順調だった。前回同様、小夜は一時的に訪問をやめ、零央は売買に集中した。

 零央が狙いを定めた銘柄の下落基調は変わらず、投資を開始してからも下げ続けた。下げの幅は小さく、緩やかだった。下げることは前提条件であり、零央は動揺することなく買い進めた。小夜に宣言した通りに千株ずつ、それまでに買った値段よりも安くなった場合にだけ買いを入れた。ただ単に下げたタイミングで買いを入れるのではなく、大きく下げた日の翌日に買い注文を入れ、着実に平均値を下げていった。

 今回は平均線も買いの参考にしていた。買いを入れるのは当然、平均線の下だ。ペイ・ラックの時は株価は横ばい状態でチャートと平均線がほぼ重なっており、株価のみを拠り所にして売買していた。使用したのはネット上のチャートだ。平均線を見る時だけ参照して併用している。

 投資を始めた当初は千円を超えていた株価は今では千円を切っていた。落ちた後で戻すという動きを繰り返し、振幅は徐々に小さくなりつつあった。

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