第75話 二銘柄の対比

 零央が、その記事に着目したのは偶然と言ってよかった。いつもの習慣で新聞を眺めていると、下がっているチャートに自然と目が引きつけられたのだ。繰り返し小夜に『下がっている株を買え』と教えられたせいかもしれなかった。

 その日、対比されていた銘柄は小売業だった。以前、零央が保有していたガルキス・リテーリングのように陳列販売を行なう企業ではなく、飲食業だった。株価の下がっている銘柄が手がける店は誰でもが知っているようなブランドで全国に展開していた。対して、上がっている銘柄は高級レストランのチェーンだった。知名度という意味では劣っており、顧客となる対象も限定的だった。


 株価の下げている銘柄はファミリーレストランの他にホテルや給食事業も手がけており、さらに領域を広げて旅客機の機内食や介護食、個人宅への食材配達も事業として展開していた。外食部門もレストランに限らず、専門店やカフェなどの業態も手がけている。

 もう一方の銘柄は、高級レストランチェーンということもあって一業態だった。洋食のレストランを全国で展開しており、もう一方の銘柄とは対照的に事業領域を狭く絞っていた。レストランの他に手がけているサービスはホテルのみで、事業の集中という点では評価できた。飲食業でなおかつホテルを経営している点が二つの銘柄には共通しており、対比して取り上げられている理由の一つだった。二つの銘柄の推移は五年前の株価を100として指数化して示されていた。


 零央は、この記事に強く魅かれた。下げている銘柄が身近なのもよかった。小夜と一緒に行なった材料探しでは業種に対して響くものは感じなかった。しかし、株価の推移と指標は違った。実際に使っている商品やサービスを提供する企業を買うという目的にも合致していた。零央自身は普段ファミレスを使うことはあまりないが、小夜と待ち合わせをした時のように利用する機会はあった。仔細に知らなくとも、ある程度の認識はある。投資を検討するには好適だった。

 しかも、この二つの銘柄の場合、数値においても対比は明らかだった。

 零央が投資しようとしている銘柄はもう一方と比べて売上高が四倍以上あり、PERは12・65倍で割安な状況だった。対して上がっている銘柄はPERは23・3倍だ。特徴的な事業内容が評価されて買われているにしても、少々割高な水準だった。

 以上のことを説明すると、小夜が感心した声を出した。


「よく気づいたね。自分で考えたの?」


 零央が顔を一つ頷かせると小夜は笑顔を見せた。


「自分で気づいたってのがいいね。褒めたげる。実はこの考え方、あたしもよくやるんだよ」


「ホントですか?」


「ホント」


 小夜の答えは零央を喜ばせた。株の師匠である小夜と同じ手法に己の考え一つで辿り着いたことが誇らしかった。


「ふむ」


 小夜が小首を傾げて零央を見た。


「何でしょう?」


「あんまり嬉しそうだから、一応訊いとこうかと思って。どっち買う気?」


「当然、こちらです」


 零央は対比されている二銘柄の内、下がっている方を指で示した。


「よかった。怒鳴らなくて済んで」


「もう上がっている株を買ったりしませんよ」


「悪い悪い。ついさ、言ってみたくなったわけよ。勘弁しなよ」


「ま、いいですけどね」


 零央は苦笑い一つで流した。


「でもね、言っとくけど、ここで取り上げられたからってすぐに上がるわけじゃないよ」


「もちろんです。ですが、これを見てください」


 用意してあった資料の中から零央はチャートを取り上げた。いつも通り方眼紙に手書きしたもので、折り畳んで保管していた。株価データを有料で販売しているサイトから過去十年分を入手し、改めて月足のチャートに仕立て上げていた。日足は一年分作成した。折悪しく大学の試験期間と重なってしまったために睡眠時間を削っての作業になっていた。試験と平行しての作業は肉体的にも精神的にも零央を疲弊させていたが、気力は妙に充実していた。利益の出せる投資と、そのための実のある行為をしている確信があった。

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