第70話 サヤ

 零央は思っていた。

 小夜の語る良弦の律儀さは小夜自身にも受け継がれているのではないかと。なぜなら、祖父が成した理由も定かではない約束のために小夜は零央のそばにいたからだ。確かに中身はどうでもよかった。それがどのようなものであったとしても、零央には父親と良弦の交わした約束がありがたかった。

 ふと、小夜が言った。


「あたしにとってはいいおじいちゃんだったけどね、困った人でもあったよ」


「? 何がですか?」


 問い返す零央の言葉に小夜は渋った顔をした。話そうかどうか迷っているような顔つきだった。

 零央が黙って答えを待っていると小夜は俯き加減に話し始めた。


「…じっちゃんって株三昧の人生だったんだよ」


「?」


 言葉を量りかねた零央は怪訝な表情になった。


「ホント、株に入れ込んでてさ。孫娘に株の用語から取った名前つけるんだぜ? 信じられる?」


「…?」


 しばらく考え込む風だった零央は唐突に思い当たった。イントネーションを変えた言葉が口を突いて出た。


「ああ! 『サヤ』っ! ―と」


 射抜くがごとき鋭い眼差しを受けた零央は慌てて口を塞いだ。気まずそうな零央からムクれた顔で視線をそらせ、小夜が呟いた。


「まったくさ、株やんのはいいさ。だからって、株絡みの名前つけられたモンの身にもなれっての。まだ字面が違うからいいけどさあ」


 照れているのか、怒っているのか、複雑な表情の小夜を見つめながら零央は微笑った。


「縁起が良くていいじゃないですか。『サヤが取れる』なんて言うんでしょ?」


「それでもヤなもんはヤなの」


「いいお名前ですよ」


 再び小夜の鋭い眼差しがやって来た。


「この、スケコマシ」


「どうして、いきなりそうなるんですか?」


「スケコマシスケコマシスケコマシ」


「いや、ですから」


 差し出す手を避けるようにして小夜は後ろ向きに歩いた。軽やかに反転すると、困った顔で追いかける零央を置き去りにして早い足取りで通りを歩いた。零央は、戸惑いながら後をついて歩く羽目になった。

 以後の小夜は零央と並ぶことなく通りを歩いた。零央の数歩先を進みながら、時折ビルの看板や入居している店を指差しては株について示唆した。指し示す対象は家電量販店だったりコンビニであったりし、艶っぽさの欠片もない会話が続いた。小夜は株以外の話題を意識的に避けているフシがあった。


 …やっぱり、脈がないのかな。


 零央は投資に関する事柄に注意を向けて吟味する一方で、小夜の取る態度には落胆していた。いきなり恋愛感情までは望まないにしても、好意を寄せる女性からは手がかりぐらいは得たいところだ。が、小夜の言動にそれらしき気配は見受けられなかった。


 …まあ、仕方がないと言えば仕方がないけど…。


 自分でも納得していた。

 小夜と出会ってから、二人で共に過ごした時間は長くはなかった。加えて二人のあり方は株式投資を巡る師弟関係に過ぎず、弟子の出来が悪いとあってはなおさらだった。

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