第69話 約束の中身

「あんただったら、どうする?」


「お金が無いのに食べる物が必要になったら、ですか?」


 小夜が頷く。


「…分からないですね。想像もつかない」


 正直な気持ちを零央は告げた。零央には金銭も食べ物もどちらも無い事態の経験などありはしなかった。仮定して考えたこともない。小夜は優しく笑い返しただけだった。


「ま、あたしもそこまで追いつめられたことなんてないけどね。…そうだなあ。あたしだったらコンビニで万引きぐらいしちゃうのかな。で、慣れないことしたせいですぐ捕まるんだ、きっと」


 小夜の表情に自嘲の影が加わった。


「大事な人だって裏切っちゃうかも。きっと、こんなことを考えるあたしの中にも悪いモノはあるんだね」


「…そうでしょうか?」


 疑問とも反論ともつかない口調で零央は言った。


「…そうだと思うよ。さっき話したやつら見てるとそう思う。人間なんて弱いもの。自分の立場を守るためなら何でもするんだよ。人によって、その範囲が違うだけ」


「そうじゃない人もいるかもしれませんよ?」


「…たとえば?」


 足を止めた小夜がすがるような視線で見上げた。零央はすぐさま応じた。


「たとえば、りょうげんさんです」


「じっちゃん?」


 大きく零央は頷き、自信に溢れた顔で小夜を見返した。


「だってそうでしょう? 昔交わした約束を忘れることなく遺言にまで残してくださった。そのおかげで小夜さんが代わりにいらしてくれたから、ぼくは苦境から脱出できたんです。まだ試験は終わっていなくても、こうして次を考えることもできる。縁も切れていたに近い父との約束なんか反故にされてもよかったはずなのに、そうはなさらなかった。自分の立場を守ることだけに汲々とするような人間ならやらないし、できない」


 驚いたような顔をした後で、小夜ははにかんだ表情を浮かべた。


「あんがと」


 囁くようなお礼の言葉は、しかし、確かに喜びの感情が込められていた。零央はかねてから抱いていた疑問を口にした。


「伺ってもいいですか?」


「何?」


「りょうげんさんと父が交わした約束って、どんなものだったんですか?」


 答える代わりに小夜は無言で首を振った。


「知らないの、あたしも」


「でも、遺言は残されていたんですよね?」


 今度は小夜は首を縦に振った。


「遺言に書いてあっただけだから、あたしも詳しくは知らないの。約束の中身までは書かれてなかったし。ただ、あんたの父親の名前と、株について請われたら応えてやってくれって。それだけ」


「…そうなんですか」


 気の沈む気配を感じた零央は口を重くした。小夜の声音は少し寂しそうだった。口を閉ざしていた小夜は、ややあってからまた話し始めた。


「あたしも遺言読んでから初めて知ったんだ、約束のことは。じっちゃん、あんま自分のことは話さない人だったから。きっと、自分の代で終わらせるつもりだったんだよ、ホントは。でも、できなかった」


「残念です」


「ん」


 小夜は短く返事をしただけだった。


「でもね、あたしは約束の中身なんて興味無いんだ。もしかしたら大きな恩恵を受けたのかもしんないし、それとも他の人が聞けば笑っちゃうようなくだらない約束なのかもしんないし。想像で言えば、後の可能性がおっきいかな。じっちゃんってば、偏屈のくせに律儀だったから。だからさ、あたしは、そのじっちゃんの代わりに約束を果たせればそれでいいんだよ」


 一息に言葉にすると小夜は微笑った。穏やかなのに確かな意思を感じる、そんな笑い方だった。

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