第65話 相場師のいいところ
「…それじゃあ、りょうげんさんは高価な車とか豪華な家とかには興味がなかったんですか?」
「ないね」
小夜の答えは素っ気なかった。
「持たなくていいよ、そんな物」
スカートの中で脚を組み、膝の上で頬杖をつくと小夜は顔をそむけた。
しばらくの間、気まずい沈黙が二人の間にわだかまった。耐えかねた零央は疑問を口にすることで解消しようとした。
「それなら、どうして株式投資なんてしていらっしゃったんですか?」
「金に困らないためさ」
再び怒ったような顔を向けた小夜が言った。弱った心持ちに零央はなった。小夜の言葉が矛盾して聞こえていた。
「…それって、結局同じなのでは…」
言うと、小夜の表情がさらにきつくなった。
「同じじゃないよ! じっちゃんは派手な遊びや贅沢とは無縁な人だったんだから! ただ、生活する金を稼ぐためだけに株をやってたんだ!」
小夜の勢いに押され、零央は何も言えなかった。
「じっちゃんはいつも言ってたよ。やりたくないことは何がどうであってもやらず、ヤなやつとは顔を合わせるどころか、口さえきかずに生きていけるのが相場師のいいところだって。それが最高の贅沢なんだって。だから、大層な物はおれはいらない。そんな物があったって、嫌な思いをしながら生きてたんじゃあ何の意味もない。だから、おれは他人に何かを押しつけられることも、押しつけることもない生き方を選んだんだ、って」
強い光を宿した瞳で零央を見据え、小夜は続けた。
「こうも言ってた。権力に対抗するには金が一番なんだって。政治をやればいいのかもしれないが、それじゃあ結局、権力に取り込まれてしまうから、おれは政治はやらないんだって。政治をやらない自分が権力から身を守るためには金しか思いつかなかったって。それが、じっちゃんだ。そんな人間が高価な物になんか金使うわけないだろ?」
「権力から身を守るって…。りょうげんさんは何か悪いことでもしていらしたんですか?」
短絡した言葉は小夜の逆鱗に触れた。
「何でそうなるんだよっ!? じっちゃんは悪さをするような人間じゃなかったよっ! 悪いことすんのは世の中の方だろうがよっ!」
剣幕に慌てた零央は口の前に指を立てた。小夜の声は殊更大きかった。付近を数人の通行人が歩いており、二人のいる方向に顔を向けていた。失態に気づいた小夜はボリュームを絞り、囁くような声になった。
「生きてくのにルールを守るのなんか当たり前だろ? そうじゃないやつらも世の中たくさんいるけどさ」
ふてぶてしげな笑みを小夜が表情に混ぜた。
「見てみろよ、権力持ってるやつらのやり口を。賄賂取ったり、公金勝手に使ってみたり。権力使って利益の方向捻じ曲げるのばかり得意で、『和』やら『協調』やらに名を借りて馴れ合って、もたれ合って。気持ち悪いったらありゃしない。他のやつらだってそうさ。いたるところでくらーい人間関係作ってさ、自分のいる場所を背景にした大小の圧力にごり押しだろ? 下手すりゃ暴力に犯罪もどき。醜い姿で溢れかえってるじゃないか」
一息にまくし立てた後で小夜は口を噤んで顔を俯けた。ややあって言った。
「…ああいうの見るとさ、人間って悪いモノいっぱい抱えて生きてるんだなって思うよ」
また、気まずい沈黙が降りた。
「ま、そんなこと言ってるあたしも人間なんだけどね」
零央に向けた顔は明るさを取り戻していた。
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