第43話 バッファー

「もう一つの理由のチャートは下げきった様子がなかったから。まだ少し時間がかかるって感じだったよ。何となくだけどね」


「何となく…、ですか」


 微妙な零央の口調に小夜が反発した。


「株で感覚大事。どうせドンピシャじゃ分かんないんだから。実際、上がんなかっただろ?」


 返事を返した零央に小夜が訊いた。


「んで? 投資資金は? どんぐらい注ぐ予定?」


「五百万ほどで考えています」


 零央は即答した。


 銘柄を選定した時点でおおよその算段はつけていた。残った資金の十分の一相当だった。損失を取り返すには大胆に注ぐという選択肢もあったが、資金が減っているからこそ慎重に動く方を零央は選択した。選んだ銘柄が限りなく安全であることは分かっている。株価が資産価値まで戻れば、六倍から七倍程度は狙えるはずだった。しかし、もしも不適切な会計処理が行なわれていたりすると目論見はあえなく崩れ去る。その点にも注意は払っており、自信はあった。それでも、無理はしたくなかった。

 今回の投資についての考えを説明すると小夜が言った。


「上がったって前提で言えば、失った資金の半分以上が取り戻せるね」


「うまくいけばですけど」


「いくさ。あんたが売りと買いを間違えなけりゃね」


「売りもですか?」


「当たり前だろ? 株式投資ってのはね、売りと買いで一セットなの。前にも言ったよね? まず踏み出しである買いを成功させる。その上で売りまできっちりやって初めて利益は確定するんだ。両方しっかりやんな」


 薄れていた記憶を零央は呼び起こした。これまでの固定観念が頭にへばりついており、株というとひたすら買う印象が拭えていなかった。売りの大切さを改めて心に刻み込んだ。


「以前にも言ったように、細々とは指示しないから。買い方は自分で考えな。今回は慎重にやるみたいだけど一応言っとくと、資金に余裕を持たせるのって大事。不測の事態に対応しやすいからね。アリって普段は働かないやつがいるって言うじゃん? あれってバッファーなんだよね。普段から目一杯働かせとくと突発事態に対処できなくて破綻するんだよ。人の脳みそも一緒」


「ああ、そうなんですか」


 感心したように零央が言うと小夜が気恥ずかしそうにした。


「なんてね。実はあたしも詳しく知らないんだけどさ。じっちゃんがそう言ってたから、受け売り。ま、とにかく余裕大事」


 すぐに小夜は表情を引き締めた。


「くどいけど、もう一度言っとくよ。あんたが失敗した理由は二つある。信用で買ったことが一つ。そして、欲ぶっかいて枠を目一杯使ったことが二つめ。信用でなくたって、余裕が無いのは良くないから」


「…申し訳ありません」


「謝るのはいいから。…本来、投資ってのは余裕資金でやるもんだからね。極端な話、なくなってもいいお金。だから、目の色を変えて儲けようとなんてしない方がいい。あんたみたいに信用で借金するなんてもっての他」


 零央が返事をすると小夜は口を閉ざし、時折何か言いたそうに視線を上げる零央に気づいて訝しそうな顔をした。

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