第35話 桐矢一勢
「一勢兄さん」
零央が名を呼ぶと、その人物は立ち止まった二人と真正面から相対した。
一勢と呼ばれた男は背が高かった。長身の零央よりもわずかに高い。身につけているのは細いストライプのシャツときれいな折り目の入ったスラックスだった。ボタンは胸元の一つ以外は留めている。左から立ち上げて右に流した髪の毛は乱れることなくまとまり、隙の無い線を描いていた。ほつれた先端が右の額にわずかにかかっている。横に細長いメタルフレームの眼鏡は艶消しの黒みがかった素材でできており、特殊な材質だと見て取れた。レンズの奥の目が冷静な光を湛えて零央と小夜を見据えていた。顎筋は明確な線を示していたが、肉の少ない頬のせいで神経質そうに見えた。
「この女が父さんの言っていた相場師の孫娘か?」
「…そうです」
レンズの奥から小夜に対して冷ややかな視線を向ける一勢に零央は控えめな返事をした。一勢の言葉遣いが気にかかっていた。一勢が薄い笑いを浮かべ、小夜に声をかけた。
「見たところ、最底辺の私立だね」
「兄さん!」
零央は気色ばんだ。
「そうムキになるな。事実を言っただけだ」
「それが失礼だと言っているんです」
零央が視線を険しくすると穏やかな小夜の声がした。
「そうですね。確かに事実です」
視線を振ると笑った小夜の顔があった。
「でも、悪くない学校ですよ。少なくとも学校のレベルごときを理由に人を見下すような程度の低い人間はいませんね」
「―」
今度は一勢の顔が険しくなった。眼は笑っていない小夜は一瞬視線をぶつけ、笑みを深くすると会釈をした。
「それでは失礼します。お邪魔しました」
低姿勢を崩さない小夜は立ち尽くす一勢の脇を穏やかに通り抜け、零央は慌てて後を追った。
「すみません、小夜さん」
「いいって。あんたが謝ることじゃない」
前方を見据えて歩く小夜の声は心なしか低かった。横を歩く零央に視線も向けずに訊いた。
「あれが長男?」
「はい」
「歳から考えれば社会人か」
「大学を出た後、父の会社を手伝っています」
「どこ出たって?」
「…東大です」
「へえ」
小夜の口元が邪悪に歪んだ。
「テッペン取ったんだから他人を見下すのは当然の権利だってか?」
「あ、あの、すみません。一勢兄さんは、その、はっきりした性格をしてまして、ただ、その分少々遠慮がなくて」
「だから、あんたが謝んなくてもいいって」
「…すみません」
謝り通しの零央といつもより歩幅の大きい小夜は玄関まで辿り着いた。立ち止まった小夜は急に零央を見上げた。
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