第36話 桐矢無量

「あんた、この試験、必ず勝ち残ってもらうよ」


「?」


「今回の頼まれ事はクールにこなすつもりだったけど、私情ができた。あんたの兄貴に、相場じゃ学歴なんざクソの役にも立たねえってことを教えてやる」


 零央は困惑とおかしみを同時に感じていた。小夜は本当に威勢がよかった。改めて気性の激しさも感じていた。

 二人が靴を履き、広い玄関を渡ろうとしたところで先にドアが開いた。黒い影がドアの空間で浮き彫りになった。


 黒い影は横幅のある男だった。やや短軀な体つきが、逞しくも見えそうな男の姿をユーモラスにしていた。服装は黒皮のジャケットに黒いアーミーシャツ、黒いボトムに黒のブーツと黒ずくめだった。小脇に抱えた皮のセカンドバッグの色まで黒だ。

 体と同様に大きめな顔は肉づきもよかった。太い眉の下の目は窪んでおり、強い光を宿していた。ヘアグリースで両脇を撫でつけ、前髪を持ち上げた黒髪は毛先をぱらつかせていて野性味を感じさせた。アクの強い顔つきはある種男らしくも見える。


「無量兄さん」


 意外そうに零央が声をかけると無量と呼ばれた男は一声笑った。


「珍しいな。おまえが女を連れ込むなんざあ」


「そんなんじゃありませんよ。ほら、父さんが言ってたじゃないですか、株に詳しい知人がいるって。そのお孫さんです。出入りするって聞いてないですか?」


「ほお」


 瞬間苦笑する零央の説明を聞くと、無量は小夜に視線を移した。顔から足元までなぞるように視線を行き来させ、しつこく眺め回した後で口の端を歪めて笑った。


「なかなかいい女だな。どうだ? 今からでもおれと組まねえか? 零央なんか相手にするよりよっぽどいい思いができるぜ。金だけじゃなく、いろいろとな」


「兄さん!」


 独り笑う無量に対し、零央が尖った声を投げた。小夜の反応はさらに極端だった。


「おい。テメエのツラ、鏡で見たことあんのか? こちとら、初めて会った男に声かけられてホイホイついてくほど安かねえんだよ」


 辛辣な台詞を投げつけられ、無量は呆気に取られた顔をした。次の瞬間には顔色を変え、靴音を大きく立てながら足早に小夜に近づいた。


「あんだと、コラッ!」


「兄さん!」


 零央が二人の間に割って入った。無量と向かい合うように立ち、小夜を背にかばう。小夜は余裕の姿で薄い笑いを浮かべていた。


「今のは兄さんがいけない」


「―」


 零央と無量が間近で視線をぶつけた。無言の険しい視線の交わし合いはしばらく続き、吐き捨てるような声を出した無量が先に視線を外した。二人の横を通り抜けながら荒々しく履物を脱ぐと家の中に消えた。先の尖ったブーツだけが倒れた姿で床に残された。

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