【書籍化】銀狼は花の乙女に癒され、まどろむ ~身代わり侍女は冷酷皇帝の抱き枕~【WEB版】

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 新人侍女は同僚達の不満のはけ口


「ふん……っ、しょっ!」


 肩に近い高さまで生い茂った雑草を引き抜こうと、トリンティアは雑草の根本を掴んだまま、気合を入れて立ち上がった。


 だが、地面にしっかりと根を張った雑草はまだまだ抜けそうにない。


「ふん……っ!」


 腕の力ではなく、立ち上がる力を利用して抜こうと、もう一度屈んで引っ張る。


 少し、根本が浮いた気がした。

 そのまま、力をこめて引っ張り続けていると。


「ひゃっ!?」


 ずぼっ! と抜けた瞬間、消えた抵抗にたたらを踏む。踏ん張ろうとしたが間に合わず、トリンティアは抜いた雑草ごと尻もちをついた。


「いった……」


 呻いた途端、そばからくすくすと嘲笑が飛んできた。


「やぁだ、みっともない」

「ちょっとぉ。私達の部屋にまで、土や葉っぱを持ち込まないでよ?」


 声の主は同室の新人侍女の少女達だ。二人はお仕着せの服が汚れないよう、長いスカートを膝の後ろに挟むように座って、ぷちぷちと雑踏の葉っぱだけをちぎっている。


「もう、草むしりなんて最悪だわ。手は痛くなるし、草の汁で変な臭いがつくし……」


「草むしりなんて、下男や下女の仕事でしょ? なんで侍女として王城に奉公に上がっている私達がこんなこと……」


「王城勤めの侍女って、もっと華やかだと思っていたのに。毎日毎日、雑用ばっかり」


「私だって、王城ってもっときらきらしたところだと思ってたわ。まさか、こんなに荒れているところが多いなんて……」


 二人が口々に嘆く。


 口には出さないが、トリンティアも少しは気持ちがわかる。


 三人が今いるのは、銀狼国ぎんろうこくの王城にいくつもある中庭のひとつだった。そばに無人の廊下が見えるが、広い王城の中でここがどこに位置するのか、勤めてまだひと月ほどのトリンティアにはわからない。


 「庭」と言っても、かつては美しく手入れされていただろう木々や花壇は、約一年にも及んだ皇位争いの間、放置されていたらしく、今や雑草が好き放題にはびこっている。


 半年前に即位した新皇帝・ウォルフレッドは、王城の人手不足を解消するため、各地の領主に人員の供出を割り当てた。


 トリンティアも同室の少女達もそんな経緯で王城へ奉公に上がった者達だ。でなければ、孤児のトリンティアなど、絶対に王城の侍女になれない。


 トリンティアは自分を侍女として推薦してくれた血のつながらぬ姉を思う。エリティーゼがトリンティアを侍女にとサディウム伯爵を説得してくれなかったら、トリンティアは今もまだ故郷のサディウム領で奴隷に等しい扱いを受けていただろう。


「あなたを身代わりのようにしてごめんなさい、トリンティア。わたくしがあなたにしてあげられるのはこのくらいしかないの。わたくしがお嫁に行って、この家を出ていけば、あなたを守れる人は誰もいなくなってしまう……」


 『銀狼国の薔薇』ともたたえられる可憐な面輪に沈痛な表情を浮かべて、トリンティアの手をぎゅっと握りしめていたエリティーゼ。


「サディウム領を出られれば、きっと新しい出会いがあるわ。王城の侍女になれば、少なくとも今よりはましな待遇になるはず……。そしていつか――」


 トリンティアを妹として、唯一、大切に想ってくれるエリティーゼと別れるのは、身を裂かれるように哀しかった。


 けれども同時に、トリンティアを思いやってくれる義姉の優しさに応えねばと……。


 ほどなく想う人と結ばれ、サディウム領を離れていく姉が、何の憂いもなく旅立てるようにしなければと、そう、決意して王城へと来たのだ。


 そもそも、サディウム伯爵に命じられれば、下女であるトリンティアに拒否権など存在しないのだが。


 噂によると、新皇帝のウォルフレッドは、まだ在位半年にも満たぬというのに、陰で『冷酷皇帝』と渾名あだなされるほど、苛烈な性格なのだという。供出を断ればどんな罰を受けるかわかったものではない。


 それに、心の片隅では、こんな機会がなければ一生目にすることはないだろう王城に憧れる気持ちも少しはあった。


 ……実際にこの目で見た王城は、広さこそ領主の館が十は入りそうだが、貴族や官吏が通らぬ場所は、廃墟かと思うほど荒れ果てていたのだが。


 トリンティア達、新人侍女に課されているのは、そうした廃墟の手入れだ。


 想像以上に地味で大変な新人侍女という身分に幻滅しているのは、同僚の二人も同じらしい。裕福な商家の出だという二人は、トリンティア以上に落胆が激しかったらしく、ことあるごとに不平不満をこぼしている。


 気持ちはわかるが、できたらもう少し、口ではなく手を動かしてほしい。それに……。


「あ、あの……。根っこから抜かないと、草抜きになりませんよ? 葉っぱだけちぎっても、またすぐに生えてきてしまいます……」


 トリンティアはおずおずと二人に話しかけた。


 今、二人がぷちぷちと千切っているのはミントだ。すっきりした香りが、風に乗って漂ってくる。


 トリンティアの指摘に、二人は眉を逆立てた。


「なぁに!? 私達のやり方に文句があるっていうわけ!?」

「不満があるなら、あんたが自分でしなさいよ!」


 険しい表情の二人に詰め寄られ、たじたじとなる。だが、せっかく作業をするなら、二度手間にならないようにしたほうが、結果的に楽なのではなかろうか。


「も、申し訳ありません! で、ですが、ミントは繁殖力が強いので、ちゃんと根っこまで抜かないと、またすぐ草抜きをすることに……」


「うるっさいわね!」

「私達が間違ってるっていいたいわけ!?」


「い、いえ、そういうわけでは……っ」


 びくびくと震えながら首を横に振るが、火がついた二人はおさまりそうにない。


「だいたい、前から気に入らなかったのよね!」


「領主の養女って話だから、どんなのが来るかと思ったら。拾われっ子の下女上がりなんでしょ? 両親の顔も名前もわからないって話じゃない」


「そんな身分のくせに、たまたま私達と同室になれたからって、偉くなったと錯覚してるんじゃないの!? やめてよねっ! 下女なんて、本当なら私達とは口もきけない身分なんだから!」


「ち、違いますっ! すみませんっ、そんなつもりじゃ……っ」


 震える両手をぎゅっと胸の前で握りしめ後ずさろうとしたが、それより早く、背後に回り込まれる。


「下女のくせにこんな綺麗なリボンなんか結んじゃって! 生意気なのよ!」


 言うが早いが、後ろで髪をひとつに束ねていたレースのリボンをほどかれる。ばらりと広がったくすんだ枯葉色の髪が、風になぶられた。


「返してくださいっ!」

 大切なリボンと取られたとわかった瞬間、自分でも驚くほどの大声が出る。


「それは姉様にいただいた大切なリボンなんです! お願いですから返してくださいっ!」


 手を伸ばして掴もうとするが、ひらりとかわされる。


 同僚の顔に浮かんでいるのは、嗜虐的しぎゃくてきな歪んだ笑みだ。その笑みを見るだけで、ふたたび身体が震えだす。


「へぇ。そんなに大切なものなんだ。だったら、頼み方ってものがあるんじゃないの?」


「土下座して、返してくださいってお願いしなさいよ」


 ねずみをいたぶる猫のような笑みが、二人の顔に刻まれる。自分達が強者なのだという愉悦に彩られた笑み。


 大切なリボンを返してくれるのなら、土下座なんてなんということもない。

 トリンティアは素直に地面に膝をつこうとした。が。


「やだぁ。風が」


 わざとらしい声を上げて、同僚が掴んでいたリボンを放す。

 風にあおられたリボンが、泳ぐように宙を舞って飛んで行く。


「あ……っ!」


 トリンティアは弾かれるように立ち上がると、リボンを追って駆けだした。


「必死になって、みっともなぁい」

「追いつけるかしらぁ?」


 背後から二人の嘲笑が飛んできたが、答える余裕なんてない。


 視線は風に舞うリボンを見据えたまま、背の高い雑草を夢中でかきわけて走る。鋭い草の葉がすねやふくらはぎにこすれるたび、痛みが走るが、かまってなどいられない。


 不意に視界が開けたかと思うと、石柱が等間隔に並ぶ石造りの通路に出た。

 リボンは風にあおられ、さらに高く舞い上がろうとしている。


 トリンティアはためらうことなく、石の手すりに足をかけると跳び上がった。


 リボンの片端を掴んだ瞬間、ちょうど通路を曲がってきた一団を視界の端に捉える。避けなくてはと思うより早く。


「きゃあっ!」


 横から体当たりするように先頭を歩いていた青年にぶつかる。


 衝撃にたたらを踏んだ青年を巻き込む形で大理石の床に倒れ込む。尻もちをついた青年の上にのしかかるような格好だ。


 それでもリボンを放さなかったのは、執念以外の何物でもない。


「陛下!?」

狼藉ろうぜき者か!?」


 闖入者ちんにゅうしゃに青年に付き従っていた二人の男性が口々に叫ぶ。剣の柄に手をかける鋭い音が鳴った。


(へい、か……?)


 混乱した頭が、耳に入ってきた単語の意味を理解するより早く。


「きゃあぁぁっ! 皇帝陛下っ!?」

 同僚たちの絹を裂くような悲鳴が辺りに響き渡った。


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