カラスの瞳

常盤木雀

カラスの瞳

 ある日、学校からの帰り道、誰かの視線を感じた気がして振り返った。

 ひとつ前の曲がり角のあたりに、同じ制服を着た女の子がいた。よく見ると、それは同じクラスの野口さんだった。

 野口さんとは、あまり接点がない。振り返ってしまったものの、どうしようか悩んで、とりあえず笑って手を振ってみた。何か用事があれば反応があるだろうし、なければ手を振り合っておしまいだ。

 へらりと笑ってみたものの、野口さんの反応はない。遠すぎて表情は見えないが、特に近寄ってこないということは、何も用事はないのだろう。視線を感じた私の、自意識過剰。

 体の向きを戻して、私は気にしないことにした。



 翌日、野口さんは登校しなかった。

 前日のことがあったから気になっただけで、普段なら、休んでいることすら知らなかったと思う。本当に、接点がないのだ。


 野口さんは、よく知らないが変わった子で、いつも一人でいる。私とは違う小学校からこの中学に上がってきた子だから、最初は不思議に思っていた。

「野口さん、一人じゃない?」

 私たちが仲間に誘おうかと相談すると、必ず、彼女と同じ小学校から来た子たちが反対した。あの子は誘わなくて良いのだ、と。

「あの子は、一人が好きな子だから」

 そう言って、話を打ち切ってどこかへ行ってしまう。皆が皆、そうなのだ。

 私たちも、同じ小学校から来た長く彼女を知る子たちがそう言うのならきっとそうなのだろう、と、そのうち気に留めるのをやめた。


 その日の帰り、また視線を感じて振り返ると、カラスがいた。

「なんだ、カラスか」

 それでもカラスがあまりにじっと見つめているように思えて、私は野口さんにしたように、カラスにも手を振ってみた。カラスに手を振る怪しい中学生だが、人の出歩かない夕方の時間帯だ、気にしない。

 カラスはしばらくじっとしていたが、突然ばさばさっと羽を震わせた。

(手を振り返してくれたのかな)

 野口さんより社交的だ。そう思うと面白くなって、もう一度手を振って、カラスと別れた。



 それから毎日のように、カラスと出会うようになった。正面から相対したことはない。必ず、視線を感じて振り返ると、そこにいるのだ。

 そして、野口さんも欠席を続けていた。しかし私の意識から野口さんのことは消えており、その時は全く気付いていなかった。


 一週間が過ぎたころ、ホームルームの時間に思いもよらない話が持ち上がった。

「このクラスで、いじめがあったのではないか」

 先生の重苦しい声に、私は首を傾げていた。心当たりが何もなかった。

「野口さんがいつも一人でいるのを、先生は知っている。みんな、仲間外れにしていたんじゃないか」

 何だそれ、と思った。

 野口さんは一人が好きな子で、私たちが仲間外れにしたわけではない。私たちも最初は気にかけていた。第一、先生は気付いていながら、今さら何を言っているのだろう。もしかして、野口さんが欠席しているから、急に思いついて言い出したのだろうか。

 呆れと憤りの奥で、でも本当にそうだったろうか、と不安も湧き起こる。同じ小学校から来た子たちから聞いただけで、本当に野口さんが一人が好きなのか、直接聞いたことはない。だとしたら、野口さんは一人で悩んでいたのだろうか。



 その数日後、担任の先生が急に休んだ。ごみ漁りをしていたとして捕まった、と噂になった。

 この地域のごみ集積所で、ごみ袋を破いて、中身を引っ張り出していたらしい。本人は、カラスがやったのだと主張しているのだという。しかし、住人に目撃されており、若い女性のごみを狙ったのではないかと疑われたようだ。

 現場周辺の家の子から、地域や学校にあっという間に噂は広まった。

 先生はすぐに復帰したが、「カラスのせいにした先生」とこそこそ笑われていた。その中で、野口さんと同じ小学校から来た子たちだけが、神妙な顔をしていた。聞いても「何もない」と答えられてしまったが。


 その日の帰り道も、振り返るとカラスがいた。

「先生に濡れ衣を着せたのは君なの?」

 小さく問いかけたが、当然返答はなかった。

 カラスは返事をしないものだし、仮に答えたとしても、カラスなどたくさんいる。それこそ冤罪だろう。手を振って終わらせた。



 さらに数日後、同じクラスの久保さんが怪我をした。

 登校してきたら、手足に大きなガーゼが貼られていて、顔にもばんそうこうがあった。

「どぶに落ちちゃったんだ」

 皆に囲まれて心配されて、久保さんは困ったように笑った。

 久保さんは野口さんと同じ小学校出身で、授業で何人組を作るときには野口さんを受け入れていた子だ。小学校のころから、そういう役回りだったらしい。一人が好きな子なら同じ人が受け入れてくれた方が安心なのかな、と思っていた。

 昼休み、仲の良い子たちとおしゃべりしていると、久保さんたちのひそひそ声が少しだけ聞こえてきた。

「実は、カラスに追い立てられて落ちちゃって」

「いつもごめんね」

「仕方ないよ」

 何の話なのか分からないものの、なぜか会話が頭に残った。


 帰り道のカラスは、私をじっとみつめるだけだ。

 威嚇することも、攻撃することもない。ただじっとみつめている。手を振ると羽を震わせる。

 ――実は、カラスに追い立てられて落ちちゃって。

 久保さんの潜めた声。

 この日初めて、私はこのカラスを不気味に思った。


 毎日毎日、学校からの帰り道でだけ、このカラスは現れた。

 私の前に現れることはないから、振り向かなければ会わなくて済む。それは分かっていたが、どうしても振り返らずにはいられなかった。どうかカラス以外のものがいてほしい、と思いながら、恐る恐る振り向く日々が続いた。



 ひと月ほどそれが続いた。

 時々クラスの中で、誰かが怪我や失敗をした。そのたびに、小さな声で、「カラスが……」という話が聞こえた。その人たちは、野口さんと何らかの関係があった人ばかりだった。

 私たちの中では、野口さんの恨みなのではないか、とこっそり話していた。

「本当は、野口さんも仲間に入りたかったんじゃない? それでその恨み、とか」

「でも、それなら、助けてくれようとした先生とか、久保さんとか、狙わなくて良くない?」

「先生は動くの遅いんだよ! とか?」

「久保さんは?」

「うーん。毎回余る前に誘ってよ、とか?」

「えー、それ、逆恨みじゃない?」

 そんな話をしていると、それまでかかわりのない男子が近寄ってきた。

 その男子は、真剣な表情で私たちに言った。

「そういう話はやめた方が良いよ。聞こえるとか聞こえないとかじゃないから」

「そうだね、ごめん」

 確かに、不幸なできごとをいない人のせいにして話すのは良いことではない。私たちは反省して、話を切り上げようとした。

「なるべくかかわらないようにした方が良い。近寄らず、話さず、考えるのもやめた方が良いよ」

 忠告のような言葉を残して、彼は去っていった。

 私たちは意味が分からず顔を見合わせたものの、話を続ける気にはならず、解散した。



 毎日のカラスとの遭遇は、あるとき突然なくなった。

 怯えながら帰宅していたある日、振り返ることなく、振り返りたくなることなく、家に着いたのだ。

 私はほっとして、自室で少し泣いた。


 その翌日、登校すると、靴箱に野口さんがいた。まるで長期の欠席が嘘のように、普通に靴を履き替えている。

「おはよう」

 私は挨拶をしてみた。欠席中、やはり声を掛けた方が良かったのではと後悔していたのだ。

 野口さんは周りを見回して、それから不思議そうに私を見て、首を傾げた。

「私に話しかけない方が良いよ」

 それは、いじめが原因で拒絶しているのだろうか。私は苦しく思いながら、その言葉を否定しようとした。

「私にかかわると、呪われちゃうかも」

 うふふ、と楽しそうに野口さんは笑う。つま先をとんとんと床につけて上靴を履いて、床に置いたカバンを持ち上げた。

「何も知らないんだね。私、呪いとかおまじないとかが好きなんだ。今回ちょっと失敗しちゃって、学校も来れなかったんだけどね」

 笑っているのに、視線はまっすぐ私に向けられている。

「私の近くにいると、呪いの影響を受けちゃうかもしれないんだよ。だから近づかない方が良いの。先生が何か言ったのかもしれないけど、気にする必要ないよ」

 肩までのまっすぐな黒髪が、さらりと揺れる。

 野口さんは本当に楽しそうで、決して私に気を遣って言っているようには見えなかった。

「どうして。野口さんはそれで良いの?」

「何が? 私は私のやりたいことをするだけ。みんなに迷惑かけたいって思ってるわけじゃないから、避けてもらって全然かまわないけど」


 ――あなたは、もう遅いかもしれないけどね。


 こんなに会話しちゃった、と笑いながら、野口さんは私を置いて、教室へ向かっていった。

 呪いなんてない。非科学的で、そんなものは存在しない。そう思っているのに、野口さんの笑顔と、あのカラスが、頭から離れない。



 その後の中学生活のことは、あまり覚えていない。

 気づいたら高校生になっていて、通学路が変わって、振り返ることも怖くなくなった。

 しかし時々こうやって、中学時代の話をしようとしたときに、あの視線を思い出す。だから忘れていた方が良いのだろう。


<終>

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