プールサイド

@m_mmm_korr

第1話

雲1つ無い晴天の青空を仰ぐようにプールの淵で片足をぶらりとさせたままコンクリートに寝そべっていた。直射日光がジリジリと私の肌を焼いている感覚と地面からの熱がなんとも夏らしくてうんざりする。おまけに耳を澄ませずともプールを囲む木々からは蝉がみんみんと大合唱していて、全身に夏を叩き付けられているような気分になる。

プール近くのテニスコートでテニス部の練習の声が聞こえてきて、プールの中ではまた男子がホースを振り回してふざけて騒いでいるようだ。

内申上がるかなあなんて思いながら立候補した風紀委員が、まさか夏休みにプール清掃をやるだなんて。

ましては明日は水泳部の大会らしく、そんなの水泳部がやればいいじゃんと愚痴を零しそうになったが、それは皆同じだったようで不満げな顔をする生徒達を見て先生がプール清掃自体は毎年の恒例行事だからと話していた。

…そういや山中先生は水泳部の顧問だったな。

こんなことなら立候補しなかったのに、いやこれはもう後の祭りってやつか、と溜息をつき、目を瞑ってはぼんやり考える。

そんな思考を遮るように手元にある淡い水色の瓶

ラムネが小さくカランという音を立てた。

頭上へ持ち上げて、太陽の陽射しに瓶ラムネを透

かせると、しゅわしゅわと音を立てるラムネに瓶の

中の硝子のビー玉が揺らされてキラキラして綺麗

だ。

しかしその陽射しを遮り、誰かが寝そべる私を覗き込んだ。


「こんな所に寝そべって暑くない?大丈夫?」


顔の前のラムネを退かすと、目を凝らしても逆光で良く見えないがどうやらその声の正体は同じクラスの中谷くんのようだ。


「ら、ラムネがキラキラして綺麗だなと思って」

「なんだ、暑いの苦手だって言ってたから体調悪いのかと思った」


そう言うと腰に手を当てながら彼も自分の手元に

ある瓶ラムネを顔の前に持ち上げて興味深そうに見つめた。

私もすぐに身体を起こして乱れた前髪に指を通して整え、気まづさを誤魔化すように残りのラムネに口をつける。


どきり。

暑さが苦手なんていつ話したっけな、ほんの少しの会話の流れで話した記憶がやんわり蘇る。

ああ、そんな些細なことまで覚えてくれてたんだ。と少しそわそわして落ち着かない。

風紀委員担当の体育教師から差し入れの安い瓶ラムネが喉を駆け抜けていく。強い炭酸が暑さで溶けかけた頭をじんわりと冷やして、同時にピリピリと喉の奥をほんのり刺激する。

にやけてしまいそうな顔を隠し、強い炭酸に顔を顰めていると中谷くんがゆっくりと私の横に腰掛けた。そっと横目で彼に目をやると彼も瓶を持ち上げてラムネに揺れるビー玉を眺めている。


中谷くんはいわゆる水泳部のエースというやつで、明日にある大会でもかなり期待されているらしく優勝候補なんだとか。色素が抜けた薄ら茶色なふわふわした髪に、あまり日焼けしない体質なのか水泳部の割には焼けていないほんのり小麦色の肌に、くしゃりと笑う笑顔がよく似合っていた。

周りの男子に比べて大人っぽいは彼に、想いを寄せている同学年や後輩は少なくない。

私もその中の1人だった。

共通点と言えば去年までの2年間同じクラスだったのと、こうして委員会が一緒なくらいだろうか。

よく彼はHR前の朝に私の教室前の廊下で友達と話していて、よくおはようと声を掛けてくれて、そんな挨拶1つで私はさっきまで沈んでいた気持ちはさらりと消えて、浮かれては机に向かう足取りが軽やかにまでなってしまう。

悩む顔も笑う顔も、全部きらきらして綺麗でかっこよくて素敵で優しくてどこにいても彼が1番に目に入る。

中谷くんは、まるできらきらの一等星だ。

地球の石ころの私とは釣り合いもしない彼にもちろん何か行動に起こせるわけでも、この気持ちを忘れれるわけでも無く、流れる時に呆然としているうちにいつの間にか夏は3度目を迎えてしまった。

だからかそんな私にとっては彼の横にいるだけで特別で贅沢に思えてしまうのだ。




「そんなじっと見られると恥ずかしい」


長い睫毛が目立つ切れ長な伏せ目とこちらの視線

がちらりと交わう。

「あっ、えっい、いや別に、ごめん。

ラムネをまじまじ見てる中谷くんがなんかラムネ似合うなあって」


そう言うと中谷は目を見開いた。

その様子に自分で言ったことが自分でも訳が分からないことを口走り、後からなんだか恥ずかしくて顔に熱が集まるのが分かる。

心拍数がどくどく上がっていくのが分かり、彼に熱い顔がバレませんようにとふいっと顔を背けて膝を抱えるようにして、顔をうつく向くと耳に掛けていた髪がパラパラと落ちて来た。

風に揺られる髪が太陽の日差しで茶色く透けて見える。






「笹野さんはいつも面白いよね」



急な発言に彼の方を向くとふっと軽く彼が笑って残りのラムネに口を付けた。

彼が飲む瓶に閉じ込められた薄い青のグラデーションがかったビー玉を見ると、何だか中身を急にふと取り出したくなって、飲み終えた自分のラムネ瓶の飲み口の部分と硝子の部分を持って力を入れてみるが、案の定鍛えられていないひ弱な腕には難しかったようでビクともしない。

う、こんなに固かったけ、と呟きながら力を込めるがやはり女の子では非力なようだ。



「ビー玉、取り出したいの?」


彼はそれを貸せと言わんばかりに手を差し出た。

小さく頷いてそっと瓶ラムネを渡すと自分のラムネ瓶を横に置いて、子供っぽく笑って得意げにな表情を浮かべるが、「む」と声を漏らしながら何度も瓶ラムネを力いっぱいに回そうとするがなかなか開く様子は無い。


「無理?かな…後で先生に開けてもらおうかな」

「いや、俺が開けたいから待って」


そう彼は少し意地っぱりに体操着の裾を掴んで瓶ラムネに被せると、また力を入れる。

その時、きゅっと硝子が引っ掛かる気持ちいい音がして瓶が開いた。

彼は空いた瓶を見るなり、ふぅと安堵の溜息をついて、ビー玉取り出しすぐ横にある清掃用のホースを掴んで律儀にビー玉を洗ってくれた。



「あ、ありがとう」


濡れた冷たい手が少し私の手に触れてどきりとす

る。彼をちらりと見ると俯き気味の私の顔を覗き込むようにして目が合うと、にかっとはにかむ。

ん、いいえ、と言いながら目を細める彼にぎゅうと心臓を掴まれて少し苦しい。

手元の濡れたビー玉は、瓶の中に居た時よりも輝いて綺麗だった。ビー玉を指先で掴み、太陽にかざしては中を覗き込むと綺麗なグラデーションが私の視界を彩った。

ただの安い硝子の塊なのに彼から渡されただけで私にとっては世界一の宝石のように見える。

そうビー玉に惚けているとら彼は空を仰ぐように後ろに手を着いて、あーー…と大きな溜息を零す。





「俺さ、笹野さんのこと好きなんだよね」


「えっ」



彼の様子に不思議に思いながら見守っていると、いきなりの思いがけない発言に思わず身体が魔法にかけられたかのように固まってしまう。

その驚いた様子に、彼は照れくさそうに眉尻を下げてくすくす笑った。

周りの人達の騒ぎ声がうるさいのに彼の声だけは妙に聞こえて、何度も何度も頭の中で先程の彼の言葉が壊れたレコーダーのごとく再生される。

あの中谷くんが私を?どうして私なんか?

私に分かりっこないこの答えの解答欄はいくら頭をかけ巡らしても空欄のままで、きっと考えても無駄なのだろう。

彼の笑顔がそう言って訴えている。



「はは、いきなり驚いたって顔してる」



まだ頭を整理しきっていない私を置いていって彼は再び話を始め、ちょっとまって!と頭の中いっぱいに埋め尽くされるが身体は彼の魔法に石化されて動かず、彼を見つめることしか出来ない。

目の前がチカチカして顔を歪める。

ビー玉を覗き込んだ時のように彼がキラキラして綺麗で世界に彩が溢れた様に見えた。


それはさっき太陽を覗いた後だからか、彼に恋しているからかは私には分からない。





「付き合ってほしいなあと思ってるんだけど…さ」



ええ、もちろん。そう叫んで彼に抱き着いてしまいたい。

いやしかしそんなこと出来る勇気があればもう告白なんかとっくにしているだろう。

勇気の無い私は彼を見つめることしか出来ない。

いつも爽やかな彼の頬には珍しく汗が垂れていてそれを雑に肩の服裾で拭った。

彼はプールサイドに座りながらプール槽内にぷらぷらさせていた足を引っ込めると、私のほうを向いてあぐらをかくように座り、組んだ足首を掴んで背筋を伸ばすと私をじっと見つめた。

ああ、暑いなあ。熱いなあ。

こめかみから頬にかけて、たらりと汗が流れていく。



「な、なんでわ、私なんか…」


「なんでって笹野さんだから好き」




ひねくれた言葉に彼の口からは恥ずかしげも無く簡単に優しい素敵な言葉が出てきて、私の自己嫌悪や自己肯定感の低さなんかもろともかき消して、私のことを真っ直ぐに見てくれる。

私だけじゃなくて周りの人にそうやって向き合う彼のそんなところが好きなんだと改めて実感する。彼は膝に肘をついて、頬杖すると頭を傾けて、意地悪そうに口角を上げる。遮られてうっと息が詰まったように恥ずかしくて顔が熱くなって、なんかいやだ。




「わ、私…」



「あ、待って明日の試合終わってから返事聞きたい…つーかその…

振られたら結構凹む…し、

いや聞かない方が明日頑張れそう……っていうか」




彼は、言い訳だせえなと笑っている。

唖然としている私と彼とのその数秒間はまるで永

遠かのように長く感じた。

願うことならこの時間を掴み取って宝石たちと、一緒に鍵をかけて机の奥に閉まってしまいたい。

そんなことが出来たらどんなに素敵だろうか。

頭をぐるぐる回してみたが手の中にあるビー玉を大事にぎゅうと握り締め、結局ゆっくり頷くことしか出来ず、もどかしくじれったいこんな時間が愛しくて堪らない。


一等星みたいにきらきらして太陽みたいに眩しい彼に照らされて、身体が溶けて消えてしまいそうだ。




「全員集合~!」


反対側のプールサイドで先生の大きな声が聞こえてきて、一気に現実に引き戻される。

いや今までのも現実だけども。

ふっとガヤガヤした周りの音と蝉のうるさい鳴き声が耳にかえってきて、今日はそういやプール清掃に来ていたんだと思い出した。




「もう休憩終わりかあ」


ばくばくする胸を抑えながら咄嗟に慌てて勢い良く立ち上がろうとすると、横に置いていた彼の飲みかけの瓶ラムネが私の腕に当たり倒れしまい、ラムネがからんと音を立てた後、しゅわしゅわと淡い音を立てながら地面に吸い込まれていく。


「わっ、ご、ごめ」

「あはは、いいよいいよ」



慌てふためく私に、彼は吹き出すようにケラケラ笑って、ほらラムネで服濡れちゃうよ、と言いながら私の腕を掴むとグッと上に引っ張った。

それに従い、戸惑いながらもされるがまま立ち上がると私より少し背の高い彼と目が合う。

目の前でまたにかっとはにかんで、白い歯を見せた。



「ほら、先生呼んでるし、行こっか」


彼がプールサイドの段差をひょいと降りて歩きだし、私も倒れた瓶を起こして、青に反射した彼の背中を追い掛ける。

少しだけプールに張られた水がゆらゆら揺らめいて、きらきらしている。

当たり前のことなのに、君と話したたったこの数分間で目の前の景色が当たり前なんかじゃなくなって鮮やかに色付いていく。

きっと君は明日も太陽に負けないくらい輝いて、1番にプールのゴールの壁にタッチするんだろうな。





「まって、中谷くん」



私も中谷くんが好きです。


彼の背中に手を伸ばす。

それは私が勇気を出す1歩前。

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