あなたのうしろ

山吹弓美

あなたのうしろ

『その道で振り返ったら、消える』


 ちょっとした噂が学校内に広まったのは、夏の初め頃だっただろうか。夏休みに入る少し前だったかもしれない、と少女は記憶している。

 たった一文で始まったシンプルな噂には、あっさりと尾ひれがつく。

 曰く、その道とはこの街にある中高一貫校が通学路として使っている歩行者用の狭い道である。

 曰く、通学時間に振り返っても消えないのは、消える時間が夜更けと決まっているせいである。

 曰く、一人が消えたらその前に消えた一人が帰ってくる。


「ま、そういうわけだから」


 少女はクラスメートが構えるスマホの前で、顔をひきつらせている。夜、そろそろ部活動を終えた生徒たちの帰宅も終了する時間帯に少女と数名のクラスメートたちは、噂のある道の入口に立っていた。

 クラスの中で少女は孤立しており、その理由は今目の前にいる彼女を中心とするクラスメートたちであった。

 彼女たちの通っている中高一貫校では、中学からそのまま内部進学してきた生徒と、高校受験をして途中から入ってきた生徒との間に心理的な距離がある。クラスメートは前者、少女は後者。


「ちょっと道で振り返るだけじゃん。ちゃんと見ててあげるからさ」


 内部進学組は早くからその学校に馴染んでおり、自分たちこそが学内での主導権を握る存在であると考えている。中途入学組は数もさほど多くなく、故に区別という名の差別を受けていた。

 特に少女の在籍するクラスにおいて中途入学組は他におらず、故に彼女は孤立を余儀なくされている。

 無理やり入らされたクローズドのSNSでは罵声、悪口、ないことないことのオンパレード。もし誰かに見られたら、少女自身が悪事を働いているのではないかと思われるような文言もたっぷりと綴られており、また退会すればこの内容を人にバラすなどと言われている。未読もできない状況で、必死に読み流すだけでも彼女にはダメージが入るのだ。


「噂をきっちり確認してくれたら、考えてあげてもいいよ」


 そのSNSで彼女を呼び出したクラスメートたちは、そんなことを言ってきた。

 何を、どう考えるのか明示することもなく、『中途入学組よそもの』の少女に噂の確認を強要しているのだ。

 少女の親は二人共忙しく、あまり娘の話を聞こうとはしない。勉強を頑張っているか、試験の結果が良いか、そのくらいである。

 故に少女は、親に自身の状況を相談することができなかった。学内の保健室やカウンセラーを訪ねようとしたけれど、クラスメートの誰かが邪魔をするせいでそれもできない。担任教師はそもそも内部進学組の卒業生であり、少女をあからさまではないが差別している。

 学校にも、家にも、味方はいない。


「……わ、わかりました」


 だから少女は、クラスメートの言いなりになるしかなかった。逃げ場など、ないのだから。




 細い道は途中に一箇所、ぽつんと街灯があるだけの暗い道である。そこに少女はそっと一歩、踏み出した。


「わっ!」

「ひゃっ!?」


 途端、クラスメートの一人が後ろから声を上げた。驚いて少女は腰を抜かし、頭を抱えながらその場に座り込む。


「ははは、まだ一歩目じゃん」

「ほら、振り向かないであの街灯らへんまで行ってねー」

「……」


 はしゃぐクラスメートたちの声を背に、少女は涙目になりながら立ち上がった。そうして一歩、また一歩と進んでいく。


 ……何で、こんなことになるんだろう。

 何で、こんなところ歩いてるんだろう。

 振り返ったら、どうなるんだろう。

 あいつらがいるだけじゃないか。


 ぶつぶつと、背後には聞こえないほど小さな声で呟きながら少女は、街灯の下までたどり着いた。そうして、「はい、じゃあこっち向いてー」という脳天気な声に促されるように、振り返った。


「……」

「あれ、なんだ」

「何も出てこないねえ」

「つまんねー」


 クラスメートたちは自分や、スマホの画面を見ながら口々に文句を紡いでいる。だから、振り返った少女の視線が自分たちの背後に向けられていることには、気づかなかった。


「ちょっと、何見てんのよ。ほんと、つまんないんだから」


 そのうち一人が、少女を睨みつけた。不満げに声を上げながら、それでもスマホでの録画はやめない。だから、気づかなかった。

 かれらの背後に大きな口が、口だけがあーん、と広げられていることを。暗い夜の風景に、真っ赤な舌と白い歯並びがくわりと広がって、自分たちに覆いかぶさろうとしていることを。


「……」


 ぱっくん。


 少女が思わず口を抑えるのと同時に、その大きな口は音もなく、三人ほどいた少女のクラスメートにまとめてかぶりついた。かれらの視界は一瞬真っ赤な口の中に覆われて、そうして暗黒に沈んだだろう。

 ごくり、とどこからともなく音を立てて丸呑みにした口は、ぷはっと息を吐いた。それからしばらくもごもごとしていたそれは、ややあってぺっと何かを吐き出して、そのまま消える。

 ごしゃり、と水の混じった音を立ててぷんと生臭いにおいを放つそれから、少女は慌てて視線をそらした。鼻と口を手で抑えて、一瞬こみ上げた吐き気を何とか押し止める。


「……」


 おそらくは、クラスメートたちの前に飲み込まれたのであろうその何か。それを見ないようにしながら少女は震える足をどうにか動かし、口が消えた空間を必死に戻っていった。

 何かの横を通るのは気が引けたけれど、反対側に行こうとすれば『また』振り返らなければならないから。




 翌日からも、少女に対するクラスメートたちの態度が変化したわけではない。ただ、数人がいなくなっただけで教室の空気は和らぎ、少女は気が楽になったな、と思う。

 口に飲み込まれた者たちは、そのまま帰ってきていないらしい。警察に相談もされたようだが、少女を呼び出した以外にも夜遊びにでかけていたことがよくあったらしく発見の目処は立っていない。

 飲み込まれた者たちの後に吐き出された何かは、別のクラスの在校生だったらしい。最近良く家出するようになっていたらしく、捜索願は出されていなかったということだった。ネットニュースの片隅に一瞬だけ載せられた記事は、あっという間に消えていった。

 彼女たちが撮影した映像が、公開されることはなかった。スマホごと飲み込まれたようで、これはもう仕方のないことだ。


「ちょっと」


 そうして、また別のクラスメートが少女に話しかける。消えた彼女たちとはそこそこ仲が良かった人物で、SNSにないことないこと羅列して少女の退路を塞いだ一人だ。


「あの噂、知ってるんじゃないの?」

「何が、ですか?」

「細い道の噂。あいつら、あんた連れて行くって言ってたし」

「知らないです」

「ほんとに? 確認しようか、そしたら」


 どうやら彼女もまた、あの細い道で少女を振り向かせたいらしい。消えた彼女たちがやっていた、同じやり方で。

 SNSで集められたクラスメートを引き連れて、夜中のあの道に少女を連れ出して。


「嫌だって言ったら?」

「そしたら、SNSのこれ先生に見せちゃうだけだしー」


 この脅し文句も、実は消えた彼女たちと同じものだ。ワンパターンだな、と少女は思う。

 さて、今度あの口はこいつらを飲み込んでくれるものだろうか。それとも、自分が。

 どちらにしろ、入れ替わりに吐き出されるのは先に飲み込まれた彼女たちだろう。そのときには、あのスマホも一緒に出てくるだろうか。そこに残された映像には多分、口は写っていないだろうけれど。


「……分かりました」


 いずれにしろ、少女には選択肢はない。ただ、あの口をまた見られるのかな、と少し愉快な気持ちにはなったけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたのうしろ 山吹弓美 @mayferia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ