第29話:治療に出かけます

 空気まで凍りついたように、私たちはピタリと固まってしまいます。

 そして、まるで凍りついた手汗がこぼれ落ちるように、ことりとオパールが滑り落ちる。


 その音が私たちのスイッチを押しました。

 私はあたふたとベッドから離れ、ユーリさんは頭をぶんぶんと振っています。


「あ、えっと、ユーリさん?」

 ベッドで上半身を起こしているユーリさんを見てみると、すごく真面目な顔をしていました。

「ごめんな愛美。勢いで言ったけど、言ったことは本当なんだ。好きだよ愛美。ずっと傍にいて欲しい」


 え?えっ?ルナさんがユーリさんには他に好きな人がいるって……。私?えっ?


「愛美?」


 嬉しい、嬉しいけど、ルナさん……。


「ルナさんは、知ってるんですか?」

「あぁ、ちゃんと言ったよ」

「そう、ですか……」


 だからあんな、強がって見せたんですね……。

 私の胸が、キュッと強く締め付けられます。


「返事は、今じゃなくてもいいからな。いつでも……」

 私が俯いているのを見て、悩んでいると思ったんでしょう。倒れる前に、傍にいますからと言ってしまったことは、覚えていないみたいです。

 その言葉の通り、私の気持ちではずっと傍にいたいと思っていたのに、ここでそういうことはできませんでした。

「……はい」


 それから、二人で一階に降りました。一階にはまだ明るい陽の光が射し込んでいて、まるで気まずくなってしまった私たちを暖めてくれるようでしたが、私は口を開くことができませんでした。


 ユーリさんは寝癖を直すために、お湯を使わせて欲しいとマリーさんに言いに行きました。

 一階ではマリーさんがとてもびっくりした顔でユーリさんを迎えます。

「ユーリさん!行動なさって大丈夫なんですか!?」

 そして、慌てておでこを触りに来ます。

「大丈夫ですよ、愛美に治して貰いましたから」

「そう、みたいですね。体温が下がっていますし、元気そうですね」


 マリーさんが口をあんぐりと開けたまま、私の方を向いたので説明します。


「はい、私もユーリさんと同じ力を貰ったので、その力でユーリさんを治しました」

「そ、そうなんですか……」


 マリーさんはまだ口をぽかんと開いたままでした。


 まぁ、私たちは元異世界人っていうこの世のことわりから外れたような存在みたいですから、納得できないこともありますよね。


 その後、寝癖を整えたユーリさんは陽の高さを見て、今日も治療に出かけることを決めました。


「あの、私も、付いて行っていいですか?」

 人にお願いするのに、目を見て言わない失礼な私を、ユーリさんは責めることはありませんでした。

「もちろん。治癒魔法は失敗しても害になるようなことはないから、練習してみるといいよ」

「ありがとうございます」


 ユーリさんは優しい人です。本当に。


 マリーさんに治療に出かけますと伝え、私とユーリさんは村に出ました。


「今日は村の南側に行くからな?」

「はい」


 まず、村の中央広場に向かって歩き、そこから左に折れて、村の南部へと向かいます。


 太陽が地面の水分を飛ばして作った肌色の地面をザクザクと踏み締めながら、私たちは歩きました。

 太陽が真ん中に陣取っている空は、白々しい程に青色です。


 そんな、本来は心地いいはずのお天気に浮かれてか、行き交う村人たちはみんな元気です。

 その証拠に、

「おぉ!ユーリさん!今日は可愛い子連れてどうしたんだい!彼女?」

 と、鉢巻を巻いたおじさんが話しかけてきました。


 そう、見えるんですかね……。


「ははっ、そんなんじゃないですよデトーさん。僕の助手です」

「は〜ん。わかったよ、まぁ頑張んな!」

 鉢巻のデトーさんはユーリさん肩にポンと手を置いた後、私ににこりと笑って去って行きました。


「ごめんな愛美」

「いえ、謝るようなことじゃないですよ」


 そんな、茶化されてはユーリさんが謝るという会話が三回ほど繰り返された後、私たちは目的地に到着しました。


「愛美、神様に苦しみが見える『慈愛の目』は貰ったよな?」

「そんな名前は教えて貰えませんでしたが、はい。赤い印は見えるようになりました」


 神様に説明を受けた通り、寝ていたユーリさんが赤く光って見えましたから。


「そうか、ならあの家の窓から漏れる赤い光が見えるよな?」


 ユーリさんは少し離れた木の家を指差します。確かに、私の目に映らないはずの赤色が、じんわりとですが漏れ出ています。ルナさんの部屋もそうでしたが、この辺りにカーテンを付ける習慣はないようです。


「はい、見えます」

「こういう家から治療に取り掛かって、聞き込みしていくんだ。このあたりで病気や怪我に苦しんでいる人はいませんかって」

 ユーリさんはそう言いながら、赤い光が漏れる家へと向かって行きます。

 私はそれに付いて行きながら「なるほど」と頷くだけ。


 コンコンコン、とユーリさんが家の戸をノックします。


「すみませーん!ユーリという者ですが、病気や怪我に苦しんでいる人はいませんか?」

 すぐに戸が開きました。

「あぁ!あなたがユーリさんですか、よくいらっしゃいました……!」


 中から出てきたのは、三十代前半くらいに見える奥さん。少し豊麗線が濃くなっていて、やつれているようにも見えました。本当ならもっと若く見えるんでしょう。


「なるほど、病気のお子さんがいらっしゃるんですね?」

「よくお分かりで!お願いします!どうかエミィを治してください!」

 なぜユーリさんが寝込んでいるのは子ども、と言い当てられたのかわかりませんでしたが、そんなことは二の次になるくらい、奥さんの焦りようは普通ではありませんでした。


「落ち着いてください。あなたが気丈に振舞わないと、お子さんもそんなに酷いのかと思い込んでしまいますから」

「すみません……」

「安心してください、今すぐ直しますからね」

 ユーリさんは落ち込んで俯く奥さんに優しく微笑みかけ、安心させてあげようとします。


「ありがとうございます……こちらです」


 奥さんに家の中に案内されると、陽の光が射し込む窓の下で、布団に横になっている少女がいました。


「この子がエミィです。三日前から熱が引かないんですよ……」


 奥さんが悲しそうに見つめる少女は、眠りながらも、苦しそうです。


「なるほど……。ちょっと簡単に診察してみますね」

「お願いします……」


 ユーリさんはおでこを触ったり、喉の辺りを触ったりして触診していきました。

 最後に、「喉をみたいので、口を開かせますが、いいですか?」と言いました。

「えっと、はい」

 奥さんは何が行われるのか、わかっていない様子でしたが、治療の一環だと思ったのでしょう。受け入れました。


「ありがとうございます」

 そう言った後、ユーリさんは「ちょっとごめんな」とエミィちゃんに一言謝り、口を開かせました。

 エミィちょんがふがふがと苦しんでいたのは、ほんの十秒程度のこと。


「愛美、流感だ」

 診察が終わった後、ユーリさんは私の方を向きました。

 流感……一般的な呼び名ではありませんが、つまりインフルエンザですね。


「それは治るんですか!?」

 奥さんが聞き慣れない病名に平静を失います。

「大丈夫ですよ。見たところそこまで重症化もしていませんし、すぐに助けますから。愛美、やってみて」


「え?私ですか?私なんかユーリさんが初めてで、まだよくやり方わかっていませんよ!?」

 いきなり指名されて私も平静を失いました。私には重役すぎますよ!


「大丈夫だよ。今から俺が横で指示を出すから」

「そんな……」

 それに、私が良くても奥さんが……。

「本当に大丈夫なんですか!?」

 と困惑が怒りに推移し始めています!


「大丈夫ですよ、僕はこの人に一度救われていますから」

 ユーリさんは奥さんを諭すようにゆっくりとそう言って安心させようとします。

「村で評判のあなたがそう言うなら……」

 なんと、奥さんは納得してしまいました。


 二人の目が、私に集中します。


「ユーリさん、ちゃんと教えてくださいよ?」


 ふぅと長めの息を吐き、私は諦めました。


「まかせろ」


 ユーリさんは嬉しそうに笑いました。

 私は嬉しくはないですよユーリさん。心臓ばくばくですよ?


「じゃあまず、力を送りやすいように患者に近づいて」

「このくらいですか?」

 すぐ側に、手を伸ばせば触れられるほど近づきます。


「そうそう。それで掌を身体にかざして」

「はい」

 言われた通りに、両手を広げてかざします。

「それで、治れ治れって念じながら、自分の掌と患者が繋がるイメージを持つ。繋がりが意識できたら、力を送り込むんだ」


 繋がるイメージ。掌と。

 目を瞑ると、エミィちゃんの身体が赤く光っているのが、まるでスクリーンに映し出されたサーモグラフィーのように瞼に映っているのが見えました。

 自分の手は青く見える。


 繋がる、イメージ……。

 すると、自分の掌を覆う青色と、エミィちゃんの赤色が表面で混ざり、紫に変わりました。

 繋がった!

 その後は、治れ、治れと念じながら赤を中和しようとその青を流し込みました。


 すると、エミィちゃんの身体を覆っていた赤が次第に青く変化していきます。

「その調子だ愛美」


 ユーリさんの言葉に自信を貰った私は、そのままエミィちゃんの身体に巣食っていた赤を、すべて青く塗り替えることができました。


 今、エミィちゃんはすやすやと、穏やかな寝息を立てています。


「あぁ、本当に安らかな寝顔。ありがとうございます!」

 奥さんは深々と頭を下げて、私たちにお礼を言いました。

「いえいえ、これが僕らの義務ですから」

「本当になんとお礼を言っていいか」

「いいですよ、そんなに喜んでくれているんですから、それだけで充分です」



 私たちはお礼の代わりにこの辺りの怪我人や病人の状況を聞き、移動することにしました。

「本当にありがとうございました!」

「はい、どういたしまして」


「あなたもありがとうね」

「え?私、ですか?」

「そうよ、あなたが娘を治してくれたんだから」

「そう、ですか……」

「よかったらまた来てね?もてなすからね」

「ありがとう、ございます」


 こんなに感謝されたのは始めてですね……。

 そんな初めての感覚を味わっているわたしに、ユーリさんは微笑みかけてくれました。


「よかったな」

 よかった、ですか……。確かに、そうですね、なんだかあったかい気持ちです。そう気づくと、私も笑顔になれました。

「はい!」

「よし!この調子で治療していくからな!」

「はい、頑張りましょう!」


 約束の夕方まではまだまだ余裕があります。まだ未熟ですが、今日は頑張って治療していきましょう!


 私はすっかり前向きな気持ちに変わっていました。

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