第26話:系

「どうした? そんなぐでーっとして」

 夕方になり、治療から戻ったユーリさんがダイニングの机に突っ伏す私を見て眉を下げています。

「ごめんなさい、見苦しかったですね」


 ふらふらと起き上がってキチンと座りなおします。


「いや、そういうわけじゃなくてな。愛美がしんどそうにしてるから大丈夫なのかって」

 頭を掻きながらそう言うユーリさん。

「失礼しますね」

 その横からマリーさんが出てきて、コトリとテーブルにお皿を並べる。


「あ、いえ、大丈夫です。病気とかではまったくないですよ。ね?マリーさん」

「はい。昼頃は大変、お元気でしたからね」

 お皿の配膳を続けながら笑顔でそう答えたマリーさん。毎日あれだけの掃除をしていてこんなにケロリとしているマリーさんの体力が怖いですよ、私は。


 そう思って苦笑いをこぼしていると、ユーリさんが付いていけてなかったみたいで、説明を求めてきました。


「どういうことなんだ?」

「実はですね。今日はお屋敷の掃除を手伝おうと思ってマリーさんに仕事を貰いに行ったんですが。重労働を強いられまして……」


 屋敷の廊下を隅々まで磨いたり、階段の埃を拭き取ったり、お風呂を磨いたり……。大変でした。


「へ、へぇ。それは大変そうな……」

 私の顔から滲み出る苦労を推し量ったのでしょう。ユーリさんは頬を引きつらせています。

「ですが、同時にマリーさんを尊敬しました。毎日あれだけの掃除を当たり前のようにこなしているんですから」

「ふふっ、どうも。痛み入ります」


 お皿を右手に掲げ、使用人のスカートをひらりとなびかせながらはにかむマリーさんは、この一瞬だけ、一人の可愛い女性なんだという一面を見せてくれました。


 そして、テーブルの上に大体の料理が揃い始めると、お風呂から上がってきたルナさんと、仕事にひと段落つけたセドルフさんがやって来ました。


「ありがとうマリー」

 私たちの反対側で、マリーさんが引いた椅子に座るセドルフさん。

 それをみていいなと思った私はルナさんのために隣の椅子を引いてあげました。


「あ、ありがとうございます愛美さん」

「いえいえ」


 そして、五人が揃うと、食事は始まります。


「ルナよ。今日は久しぶりにフラン君が来ていたらしいな」

 スープを掬うスプーンを手に、なんでもないように話題を持ちかけたセドルフさん。


「はい、引きこもっていた私が外に出歩くようになった、という噂を聞いて屋敷まで押しかけて来ましたの。まったく、行動力だけは昔から変に立派なんですから」

「はっはっ。何はともあれ、そのような友人は財産だ。大切にするんだぞ、ルナ」

「大切に、ですか」


 ふぅーと長い息を吐いて眉をハの字にするルナさん。


「へ、へぇー。ルナさんにそんなお友達がいたんですねー。会ってみたいなー」

 うっ。我ながら下手すぎる大根芝居。マリーさんと一緒に立ち聞きした罪を隠すために芝居を打ったんですが、逆にバレましたかね?


「あんなのに会っても面白くないでしょうが、そうですね……」

 素直な人。人を疑うことを底なしに知りませんね……。

「明日は一緒にお母様のお墓参りをする予定ですの。よろしければ愛美さんたちも一緒にどうですか?」


 そういえば、レナードさんへの挨拶はまだしてませんでしたね。いい機会です。


「私は是非ご一緒したいです!」

「俺も、行っていいのかな?」

「もちろんいいですの。ね?お父様?」

「そうだな。レナードはうるさく騒がれるのは嫌いだったが、楽しいのは好きだったよ。ユーリ君たちならうるさくはしないだろうから、きっとレナードも喜ぶだろう」


 昔を思い出しながら、しんみりとそう言ったセドルフさん。横にいるマリーさんがその左手を両手でそっと包み込む。

「大丈夫だ。苦しみはしない」

 だけどその手を払うことはなく、セドルフさんも右手のスプーンをおいてマリーさんの手を握り返す。


 ラブラブですね。もうすっかり見慣れてしまった光景ですが、二人から振りまかれる甘いオーラが、食事の味を変えるのは変わりません。

 塩を足しましょうか……。


 そう思ったのですが、その必要はありませんでした。


「お父様、マリー。二人とも娘の前でいちゃつかないでください。せっかく美味しい食事の味が変わりますの」

「ルナ?」


 いつもは寛大なルナさんが今日は冷徹な牙を見せつけ、セドルフさんとマリーさんの温度を下げてしまいます。


「すみません、ルナ様」

「ルナですの。まったく、二人は寝室が一緒なんですから、いちゃつくならそこでお願いしますの」


 ルナさんがそう言うとパッと二人の顔が赤くなり、揃って俯いてしまいました。

 まぁ、なんとなく察しますよ、はい。


「どうしたんですの?」

「ルナさん」

「ルナ」


 私とユーリさんは揃ってルナさんを見つめ、ゆっくりと首を振りました。


「触れちゃダメなところですよ」

「だな。俺も、家族とは言えプライベートは必要だと思う」

「??」


 まったく気づいていないルナさんですが、それでいいんです。

 私とユーリさんは二人で目を合わせてから、クスリと笑いあいました。


「え?どういうことですの?」

「そのうちわかりますよ」

「はぁ……」


 そんな感じで、美味しい夕食を終えた私は、ユーリさんの次にお風呂を頂くことにしました。


 猫になってから入ったお風呂は、最初は良かったんですけど、二回目から、なんだか毛の間に水が入るのが不快に感じられてしまっていました。

 ですが、今は人肌ですから、お風呂はとても気持ちいいものになってくれています。


 ちょっぴり長めのお風呂に入ってさっぱりした帰り道、二階に上がったところでユーリさんに呼び止められました。


「どうしましたか?ユーリさん」

「いや、その。ちょっとな」


 開いた部屋のドアにもたれかかったまま、ユーリさんは少し寂しそうな顔をしています。

 ははーん。わかりましたよー?

 最近、私がルナさんと一緒に寝るようになったから遊ぶ時間が減って寂しいんですね?


 私はてちてちとユーリさんに歩み寄ってその腕を掴み、部屋の中へと引っ張ります。


「ほらほらユーリさん。遊んであげますから、そんな顔しないでくださいよ」


 ユーリさんを部屋の真ん中まで引っ張ってから手を離し、自分でぴっしりと整えたベッドの上にドボンと飛び込んでゴロゴロと転がります。


「こらこら、シーツがクシャクシャになるじゃないか」


 そう言って私を止めようとする手を、ベッドや机の上を足場して身軽に躱します。


「こら!危ないぞ!?」

「大丈夫ですよ。猫の遺伝子入ってますから」


 根拠のない戯言でユーリさんを挑発した後は、部屋の中を立体的に駆け回る追いかけっこが始まりました。


 ベッドから机へ、机から箪笥へと縦横無尽に飛び回る私に、ユーリさんはまったく手が出せないでいますね。


「ふふっ。ある日の追いかけっこと逆ですね」

「場所も広さも全然違うけどな!この!」


「ふにゃん!?」

 ちょうどベッドに飛び込んだところで、足をユーリさんに掴まれてしまいました……。

 ごろりとベッドに寝転がり、降参を示します。


「ふふっ、捕まっちゃいましたー。これから攻守交替ですか?」

「いや、無理だよ。俺が部屋を飛び回ったら机やら箪笥やらが潰れるからな」

「ふふふっ。そうですね」


 楽しくて、目を瞑って笑った後、目を開けてみると、やっぱり寂しそうな顔をしたユーリさんがいました。


 そんな顔をされたら、猫の時の癖でつい、抱き着いてしまいます。

 すると、背中にそっと手が。

「どうしたんですか?ほんとに」

「……実はな。愛美が今日、マリーさんの手伝いをしたって聞いてからな、愛美がこの村に残る気なんじゃないかって思い始めて、ちょっと寂しいなって思ったんだ……」


 ユーリさん、そんなことを……。

 でも、他に好きな人がいるんじゃ?


「あ、悪い!」

 私の背中に回していた腕を離し、バッと距離を取ったユーリさん。


 やっぱり、人型になった私が抱き着くのはNGなんですね……。


「いえ、私こそごめんなさい……」

 調子に乗ってしまったことを反省し、耳をぺたんとさせたままで謝り、「それじゃあお休みなさい」と部屋を後にしました。

 胸を締め付ける何かから逃げるように。


 ルナさんの部屋に戻ると、ルナさんはベッドの上に三着の服を並べ、「うーん」と唸っていました。


「どうしたんですか?」

「あ、愛美さん。明日どの服を着ていか迷っているんですの。久しぶりにお母様に会いに行くんですからね。とびっきりのお洒落をして行きたいんですの。選んでくれません?」


 服を前に目をキラキラとさせる、乙女で可愛らしいルナさんの姿に、私の胸を締め付けていた糸も、緩む。


「そーですね〜。ルナさんにはこっちの服が似合うと思いますよ」

 薄い、ピンクのような服を指差してルナさんに示します。

「そうですか?この真っ赤なのは派手過ぎませんの?」


 え?真っ赤?

 あ、そっか。暗いところがよく見えると思ったら、目も猫なんですね。猫は赤いものの識別が苦手なんだそうです。

 うーん、確かにルナさんに真っ赤は合いませんね。別のにしましょう。


「じゃあこれですかね?」


 今度は薄い青紫色の服をチョイスしました。ルナさんの瞳の色に似た色の服。

 これならルナの髪とも合うしいい感じなんじゃないですかね?


「そうですか。愛美さんもこれだと思いますか……。よし!決めましたの!これです!」


 ルナさんは私がチョイスした薄い青紫色の服を選んでくれました。


「服も決まりましたし、明日に備えて寝ますの!」

「そうですね。私、今日は物凄く疲れました。ふぁぁ〜」


 大きなあくびを一つし、ルナさんより先にベッドに寝転がります。こうすると後から包み込むようにルナさんが来てくれるんですよ。


「じゃあ、ランプ消しますね」

「はーい」


 ふっと白色のランプを吹き消す音が聞こえて、瞼を透ける光がほとんどなくなります。

 そして、ふわりと、暖かくて柔らかい感触が私を包み込んでくれました。


「むふふー。気持ちいいです」

「変な声出さないでくださいよ愛美さん」


 そう言いながらも、ルナさんは優しく頭を撫でてくれます。


「だって気持ちいいんですよー。むふふー」

「もう、子どもみたいになって」


 いやいや、こんな母性の塊みたいな人に優しく包み込まれたら誰だって子どもになりますよ。


「お母さん、お休みなさい……」

「私はお母さんじゃないですの!……って」

「すぅすぅ」

「もう……」


 否定したかったルナだったが、その突っ込みを聞く前に愛美が寝息を立て始めたため、諦めて自分も寝ることにした。


「お休みなさい」

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