第25話:ボロ雑巾

 布団から出たくなくなるような肌寒い部屋の中、多少の名残惜しさを感じながら、私は布団からもぞもぞと出ます。


 私が人化した日から二日経つと、私たちはすっかりと元の生活に戻りました。治療に村を駆けるユーリさん、 部屋のお掃除に精を出すマリーさん、何やら忙しいセドルフさん。……ルナさんは何してたんでしょうね、今まで。


 あ、そう言えば一つだけ変わったことがありました。


「おはようございます、愛美さん」

「んんっ〜。おはようございます、ルナさん」


 勉強机のような机に座ったルナさんが挨拶してくれたので、背伸びをしながら返しました。


「ぐっすり寝てましたね。私が布団から出ても全く気付きませんでしたの」


 そうです。人化した私はもう、ユーリさんと一緒に寝ていません。ユーリさんは別にいいって言ってくれたんですが、そこはやはり乙女の管轄外になると言いますか。

 とにかく、一緒に寝るのは無しにして、ルナさんの部屋に置いて貰っているわけですね。


「いやぁ、お恥ずかしいです。私の睡眠ってかなり深いものみたいなんですよ」

 少し恥ずかしくてほっぺを掻きながらそう言います。

「確かに、三日前なんて一日中寝てましたね」

「それは関係なくないですかー?」


 三日前に私に起こった事は、私が人化した時の夕飯の席でユーリさんに説明して貰っています。ユーリさんが、私と同じ転生者だなんて、びっくりしましたよ。


「あの時は本当に心配しましたの」

「心配してくれたんですか。ありがとうございます」

「心配しないわけないですの」


 ルナさんはそう言って、席を立ち、私をそっと抱きしめる。温かくて柔らかい、お母さんみたいな感触は、宇宙のどんな生物でも落ち着かせてしまうような強力な抱擁力を持っています。

 私も例に漏れず、とろんとした顔でそっと抱き返してしまいます。


「ルナさ〜ん、このまま寝てもいいですか〜?」

 喉をゴロゴロ鳴らす代わりに、つい甘えた声を出してしまいます。

「愛美さん、あなた人化しても睡眠時間は変わりませんね……」

「ルナさんが悪いんですよ〜」

 もう一押し、頬をすりすりとしながら言うとルナさんは溜息を吐きながらも受け入れてくれました。


「わかりましたの。愛美さんが寝るまでは一緒にいてあげますから」

「は〜い」


 私とルナさんは一緒にベッドに入り、ふかふかの、まだ温もりを帯びた布団を被ります。


「ふにゃ〜」


 この瞬間はたまりませんね〜。

 ですが、もう一つ、何かが欠けている気がします。贅沢なことに、ぬくぬくとした布団、それとお友達の二拍子が揃っているのにもかかわらず、私は何かが足りないような気がしてしまいました。


 ですがそれもほんの一時のこと。

「よーしよーし、ですの」

 ルナさんは私が子供にでも見えるのか、頭をゆっくりとなでなでしてくれます。


 何か、を考える暇もなく、私の意識は、ぬくもりの、なかに、しずんでいくのでした。




 ♢♦︎♦︎♢♦︎♦︎♢




 目が覚めると、やはりルナさんはどこかに行ってしまっていました。ずっと私と一緒に寝ているわけにもいけませんからね。


 あっと、そう言えば今日はまだ、ユーリさんに会っていませんね。


 ベッドから降り、ルナさんの部屋をてちてちと歩いて扉を開け、ユーリさんの部屋をノックしに行きます。


 コンコンコン。

「ユーリさーん」


 返事はありません。どうやらもう村へと治療しに行く時間みたいですね。

 うーん、遊び相手がいないのはなかなか暇ですね。かと言ってずっと寝ているわけにもいけません。


 その時ふと、私の目の端に、宙に舞う細かい毛が映ります。

 ––––猫の毛ですね。

 猫の動体視力でそう判断した私は、そっとその毛を受け止め、あることを決意します。


 そのために、一階に降りて見ると、ダイニング兼リビングから、話し声が聞こえて来ました。


 マリーさんがいるのかな、と思ってダイニングの入り口に近づいて見ると、なんと、ちらりと見えたのはルナさんの後ろ姿と見知らぬ男性でした!


 つい、バッと入り口の影に隠れてしまいます。


「ありがとうございます、このような場を設けて頂いて」

「いえ。それより、そんな堅苦しい言葉遣いはやめてくれませんの?」


 ちらりと見えた男性は、かなり背が高く、座っていてもルナさんより頭一つ分ともう少し程高い様子でした。もしかするとユーリさんより大きいかもしれません。

 この村でよく見かけるような、無地でできた布の服を着ていたので多分ここの村人でしょう。


「いえ、そういうわけにもいきませんよ。私は一村人で、貴女はこの村の長である村長のご令嬢なんですから」

「……私はそんな堅苦しい人を家に招いた覚えはありませんの。昔と一緒でいいですの」


 ルナさんとあの男性はお友達なのでしょうか?

 だとしたらルナさんが不機嫌なことにも頷けます。ルナさんの声はいつもよりも少し低く、不機嫌であることを示していました。

 久しぶりに会ったそんな方に堅苦しい言葉遣いをされては、不機嫌にもなりますよ。


「ほんとにいいの?君の方が僕より身分が上なんだよ?」


 ピクッと私の耳が動く。

 この人は口調がいきなり変わっただけじゃなくて声まで少し高くなってしまいました。びっくりです。


「……そんなこと気にしてたんですの?」


 ルナさんの声がもう一段階、低くなりました。あの時の、お花畑の時の声です。

 あわわ、どうしましょう。二人の関係性がなかなか見えてきませんが、ルナさんが今にも氷の女王へと変化しそうなのはわかります。


 出て行こうか迷ってオロオロしているとどこからやってきたのか、隣にいたマリーさんが肩をポンと叩いて私を制しました。

 驚いてビクンと体が跳ね上がります。


「マリーさん!?」小声で驚いて見せると、マリーさんは「邪魔してはダメですよ、旧友の再会なんですから」といって人差し指を唇の前で立てて見せました。


 本当に大丈夫なんでしょうか?そう思ってダイニングを覗いてみると、

「だって……」

「はぁーー。もう、考え方は大人になってもその口癖はちっとも変わってませんの」

 と、大きな溜息を一つ吐いたものの、先ほどとは打って変わって落ち着いたルナさんの声が聞こえてきました。


 隣で、「お二人は幼少期からあんなご様子なんですよ」というマリーさんの声に顔を一度向けて頷いた後、再びダイニングに視線を戻します。当初の目的をすっかりわすれて。


 そう言えば、マリーさんて、二十代くらいに見えますが、本当はいくつなんでしょう。

 そんな、一人で考えても答えの出ない問いをぽあぽあと考えながら二人の話しを立ち聞きしてしまいました。


「ルナねぇもその口癖は変わってないでしょ?」

「ちょっと待ってください。その呼び方はやめましょう?呼び捨てでいいですの!」

「えぇー?『昔と一緒でいいですの』って言ったよ?ルナねぇは」

「言葉の綾と言うものですの。その呼び方は別です」

「なんで?」

「なんでって、私はあなたの姉じゃないからですの」

「そうだけど、子どもの頃はほんとのねぇちゃんみたいに虫捕りとか木登りとか教えてくれたよ?」


 今、ワイルドな昔のルナさんが垣間見えた気がします。へぇ、ルナさんが……。


「そんな女らしくない思い出を思い出すからやめて欲しいんですの!!」


 ガタッと音を立ててルナさんが席を立つ。


「あははっ。わかったよ、やめるから落ち着いて、ね?」

「その前に呼び方を変えると言ってください」

「わかったって。変えるよ、変えます」

「なんと呼びますか?」

「……るな」

「それでいいんですの」


 何もないところに向かって棒読みで名前を呼んでもOKなんですね、ルナさん……。


 それを聞いて、私の隣でふふっと笑うマリーさんの手には掃除用の叩きがありました。

 あ、私はマリーさんに掃除させてくださいと言いに来たんでした。


「あの、マリーさん。この屋敷の掃除を手伝わせて貰えませんか?」

 隣のマリーさんに、手を合わせてお願いしてみます。

「いえ、そんな。貴方たちは大切なお客様ですから、そのようなことをさせるわけにはゆきません」

 マリーさんは微笑を浮かべたまま、ゆっくりと首を振りました。ですが、ここで食いさがるわけにはいきません。


「今さっき私の毛が宙に舞っているのを見たんですよ。この時期って抜け毛が多いですから、屋敷を汚している根源である私が掃除しないわけにはいきません!」


 ずいと一歩近づき、マリーさんに熱意を伝えるべく、燃える闘志を湛えた目で訴えかけます。


 マリーさんは私の燃える目をじっと見つめた後、「わかりました。ですが、お客様とはいえ、『掃除』するというなら、その間は私の部下という扱いになりますが、よろしいですか?」

 ニコリと笑うマリーさんの笑顔には、どこか影が落ちている気がしましたが、私はその熱意のまま、「はい」と言ってしまいました。


「よろしい。では、私に着いてきなさい。レクチャー致しましょう」

 その時、マリーさんの細く弧を描いている目の間から、怪しい光がギラリと見え、私の身体にゾクゾクっと鳥肌が立ちました。同時に腕がガシッと捕まれ、逃げ道を失います。

「あなたがボロ雑巾のようにならなければいいですね」

「にゃ!?」


 私はその一日、ボロ雑巾のようにこき使われました。

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