第21話:無力

 地を蹴り、一瞬でゴーレムとの距離をゼロにする。攻撃の為ではなくてすり抜ける為だ。目的はあくまで祠の内部に入ること。

 でも、そう上手く行くはずもなく、振り下ろされたゴーレムの拳が行く手を阻む。


 ごう――と音を立てて迫る石槌。


「くっ!」


 体を捻り、なんとか躱す。

 ゴーレムの拳が脇腹の辺りを掠め、地に刺さる。

 ズンッ、と身体の芯に音が響く。


 真横に突き刺さった拳を無視し、祠の内部へ飛び込もうと前を見据えると、もう一体のゴーレムがゴールキーパーのように立ちはだかり、行く手を阻んでいた。まるで巨大な絶壁。隙は見当たらない。


 その鉄壁とも思える守りを前に、俺の足は一瞬止まる。その一瞬が命取りになった。

 拳を地面に突き刺していたゴーレムがもう片方の腕で俺をなぎ払おうとしていた。


 緊迫した状況の中で俺の思考は停止し、身体は宙に逃げ場を求めた。

 それでなぎ払いは躱したものの、宙に浮いた身体では次の攻撃は躱せない。


 しまったと思ったと同時、鉄壁が一変し邪魔者に鉄槌を下す鎚となる。


 重力よりも速く、2体目のゴーレムが攻撃を繰り出す。ゴールキーパーがボールを弾き飛ばすように、その掌を俺に向けて振るう。

 ビュウ––––と空を割いて迫る鉄槌。ダメだ躱せない。歯を食いしばり腕を交差し衝撃に備える。


 そして、バリン!!

 衝撃。身体の中で嫌な音が聞こえる。


「ぐあっ!!」


 圧倒的な衝撃。意識が一瞬だけ飛ぶ。


 意識が戻った時、俺の身体はヒラヒラと紙屑のように宙を舞っていた。見えるのは群青に移り変わる空。


 ––––あ……!まずい!愛美が!


 背中に背負った存在を思い出し、ハッとする。このままでは猫が潰れる。

「はぁ!」

 何としても愛美を守る為に、ギチギチと軋む身体を無理やりに捻り、背中を空に向ける。


 そして、墜落。


「ぐぅっ……あ!」


 体内の痛みに生命の危機を感じ、俺を吹き飛ばした本体を見据える。幸いにも、ある程度の距離を取れば襲ってこないようだった。


 だけど、

「ゴフッ!」

 微かな夕日に照らされ、黒く染まりつつある草原に赤黒い色が散る。背中を庇ったせいで、どうやら折れた肋骨のどこかが内臓に刺さったようだった。


 チカチカと点滅する脳の回路。意識。

 吐血か……。

 薄れ行く意識の中で、目の前の光景は脳の回路に直接訴えかける。


 お前は神に貰った『異世界で生き残るに十分な力』を過信し過ぎていたんだ、と。


 お前はこの世界に来る前から何にも変わっちゃいないんだ、と。


 お前の力じゃ何も救えないんだ、と。


「くそっ、くそっ、くそっ!がふっ!」


 でない力を振り絞ろうと声を上げるけど、出たのは血だけ。


 あぁ、確かに俺は何も変わっちゃいなかったんだ……。


 走馬灯のように思い出されるのは前世の記憶……。



 ––––咳き込む患者、白衣を着た俺。


 都会の大学で医学を学び、卒業した後はそのまま都内の病院で助手を務めた。そして、修行を積むこと二年。俺はかねてからの夢だった個人営業の病院を地元に作った。

 でも、その頃だった。労咳が流行ったのは。


「ごほっごほっ」


 病室に響き渡る咳の音。

 清潔に保たれている、七つの白いベッドに、虚しくその音が染み入る。

 埋まっているベッドは一つ。入院患者は一人だけ。まだ小さな子どもだった。


「ユーリ先生。私の病気、ごほっ、いつ治るの?」

「そうだなー、アユミちゃんが治るんだ、治るんだって信じてたらきっと治るよ」


 ある高名な剣士が若くして労咳に倒れたことも、まだ記憶に新しい。だけど、そんな情報は絶対に伝えなかった。


「そう?なら私、頑張るよ。ごほっ」


 労咳患者は隔離する。

 それが労咳患者に対する扱いだったが、俺は、そんな非人道的なことはできないし、そんなことをすれば精神的に病気に負けてしまう。俺は、精神的に負けなければ労咳だって治療すれば治るんだ、と考えていた。


「頑張れ!病気に負けるなよ!」


 他に患者がこない限り、ずっと、毎日、そう言い聞かせて彼女を励ました。


 だけど、病魔は確実に彼女を蝕んでいく。

 日に日に肌の白みが増し、熱のせいか、頬は赤みを帯びていく。目は、今にも涙が零れ落ちそうに、てらてらと水気を含んでいく。


「ユーリせんせぇ」

「どうした?しんどいか?」

「私の病気、うつらないの?」

「……大丈夫だよ、マスクしてるからな」


 ……確かに労咳はうつる。だけど、菌を取り込まなければ大丈夫。俺はそう自分に言い聞かせていた。


「ユーリせんせぇ」

「どうした?喉が渇いたのか?」

「喉が、熱いよ。ごほっごほっ!」

「っ……!」


 吐血だ。ここまで病が進行すれば……。いや、そんなことはない!ちゃんと医学を修めて来たんだ!きっと治してみせる!俺はそう自分に言い聞かせてから、口を開いた。


「大丈夫、大丈夫だから。うがいして?」

 上半身をそっと支え、コップの水を差し出し、洗面器を取り出す。

「がらがらがら」


 俺が持ってきた洗面器にぺっと赤く染まった痰を吐いた後、彼女はゆっくりと話し出した。


「ユーリせんせぇ、ごほっごほっ」

「今は喋らないで、安静に」

「ごほっ。私、もうダメかもしれないの」

「そんなことはないからな!心を強く持って!」


 彼女は目を虚ろにしたまま、頷かない。


「せんせぇ、病気って、強いね」


「アユミちゃん?」

「ユーリせんせぇ、眠いよ」


 ハッとし、脈を確認する。

 大丈夫。弱いけど、そこまでじゃない。


「ごめんね、ゆっくり休んでいいよ」

「うん」




 彼女はそのまま目覚めることはなかった。


 何が間違っていたのか、わからなかった。

 いや、明らかに、知識が足りなかった。

 足りない知識を、精神論で補おうとしていた。

 人の心に寄り添い、懸命に治療する。

 心の面と身体の面、両方から治療すれば、どんな病でも治せると、過信していた。


「ごほっごほっ」


 アユミの最後を看取ってから、俺も咳が出るようになった。


 自分の力を過信した報いだったのかもしれない。


 その自分の症状に、真っ先に結核が思い浮かんだ俺は、一人で山に篭った。その後、風の噂で聞いたことだけど、村の中で、今まではほんの僅かだった結核患者が明らかに増えたそうだ。


 きっと俺のせいだ。


 俺は一人で山から下りないことを誓った。そして、一人、修行僧のようにとはいかず、寝たまま足りなかったものを数える。


 智力?能力?努力?念力?

 はっ、すべてだろ。力が足りなかったんだ。小さい子一人救えないほど、力が足りなかった……。


 ましてや自分が助かるわけがない。俺は命を諦めた。


 そして、俺は一人、結核で死んだ。


 どんな病でも治せる力が欲しい、欲しかった。とそう願いながら––––。



 転生という、神の力を受けても、俺は非力だった。惚れた人すら救えな––––。

「…………!!」

 身体に電気が走り、びくんと震える。脳の回路が繋がる。

 嫌だ嫌だ嫌だいやだ。いやだ!!


 なんで失わないといけないんだよ!!まだ失くしてなんかない!!


「失くしたくないんだよ!!」


 血を吐きながらも立ち上がる。大丈夫だ。俺にとって怪我なんて何でもない。


 身体に青い光を纏わせて全てを治す。


 大丈夫だ。行ける。ダメージを受けたら離れればいい。

 俺は一つ、力を得たんだ!

 何度も何度も何度も繰り返してやる。あそこを突破するまで!


 辺りを照らしていた青い光が止み、代わりに群青が支配する。


 先程よりも速く、もっと速く。渾身の『力』を込めて、俺は地を蹴る。




 ♥︎




 夜になっても帰ってこないユーリを心配したルナは、ユーリが泊まっている部屋にいた。そして、そこでユーリの書き置きを見つける。


『北の祠に行って来ます。ユーリ』


 ––––北の祠?どうしてユーリさんはそんな場所に?


 神世界への門と言われる祠。だがそこには、毎年の供物を備える祭壇しかなかったはずである。ルナはそれを思い出し、ユーリの行動を不思議がる。


 ––––とにかく、嫌な予感がしますの。


 女の勘がルナに働く。

 今すぐに祠へ行きたいルナだったが、セドルフやマリーに見つかってしまうと確実に止められる。夜の外出は危険だからだ。闇が支配する草むらには何が潜んでいるかわからない。


 ––––でも、行かないときっと後悔しますの。


 やらずに後悔よりやってみる。それがルナのポリシーだ。

 決心した後は部屋に戻り、ランプを手に取る。そのまま、そろりそろりと階段を降りて玄関へと向かった。


 玄関まではつつがなく隠密行動ができたルナだったが、ランプを手に持ち、扉にもたれかかったサリエバの姿に思わず声を上げてしまう。


「サリエバ叔父さん!?」

「よぉ、ルナ。散歩にいかねぇか?」


 ––––お父様ですの。


 ルナは今日一日、ユーリがいないことで落ち着きがなかったようだ。それに気づいたセドルフがサリエバに話を持ちかけたのだった。「ルナはユーリくんの行き先を知っているはずだから、一緒に行ってくれないか?」と。


「散歩ですか、いいですね。北の祠まで散歩したいと思いますの」

「北の祠かぁ、それはまた遠い散歩で。もう遠足じゃねえか」


 サリエバはその青い目を細めて微笑む。ルナの、先程までの緊張が少し緩む。


「いいじゃないですか。そもそも誘ったのは叔父さんですの」

「……しゃあねえなぁ。行ってやるよ。……ありがとうは?」


 ––––やっぱり、この人は何でも知ってますの。照れくさいですけど、たまになら、それもいいですの。


「ありがとう、ですの」

「おう!」


 そして、ルナとサリエバは月夜に繰り出した。

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