第18話:夢の崩壊
眠ってからしばらくすると、身体がふわりと浮くような感覚と共に、意識が覚醒します。
パチリ、と目を開ける。
そこは、奥行きも高さもわからない白が、私の存在を薄めようとするかのように広がる、いつもの夢。いつもの夢、と言ってもやはり、この光景を見ていると嫌な気分になってきます。
「カフェみたいな感じにできますか?」
そう言って頭の中にカフェを思い浮かべます。
すると、思った通りの場所に、周りがすぅーっと色付いてくれました。まるで白い霧に覆われていただけかのように。
現れたのは、バーのような長いカウンターと、その向こうの椅子二脚。バリスタは私、もちろん専用のスーツです。
そして床は、焦げ茶一色でアンティークな感じにまとめています。
壁は秘密基地的な雰囲気を醸し出すために黒色。照明は周りの色で暗くなりすぎないように少し明るめに設定しております。
なんだか本物っぽい気になってきましたわ。
こほん。
さて、どうしてカフェにしたかと言うとですね、今日は話し合いを中心にしたかったからです。夢の中でも良き相談相手はいますからね。
それに、カフェって相談場所にぴったりじゃないですか?これまで私も、探偵の依頼を受けたり、旅行先を決めたり、友達の別荘へ行く予定を立てたり、様々なシーンを見てきました。小説の中で。その知識を集約した結果のカフェなのです。
ともあれ、お客さんがいないとカフェは成り立ちませんね。まぁ、何事にも言えることですが。
それでは、気分も乗ってきましたので、カフェ・ド・アイのお客様第1号を招待致しましょう。ちなみにカフェの名前は今思いつきました。
「ユーリさーん。いらっしゃーい」
てんてんてん……。
––––シーン。
くっ、ユーリさんは二日連続お休みのようですね。誠に残念でなりません。しかし切り替えて次はルナさんです。
「ルーナさーん。遊びましょうよー!」
「きゃ!」
ガタンとカウンターに向かい合った椅子に現れたルナさん。来ましたね!
「いらっしゃいませ。お嬢様」
給仕用のトレイを胸に、アニメで見た執事を真似てピシッと決めます。
「えっ、えっ?ここはどこ?あなたは誰ですの?」
パニックであたふたし出してしまったルナさん。あぁ、早く落ち着かせてあげないと。今にもこけちゃいそうですよ。
「落ち着いてくださいルナさん。私です、愛美ですよ」
「えっ、えっ?愛美さん?愛美さんってちっちゃな愛美さん?」
……このままだと幼児まで退化してしまいそうな勢いですから、落ち着かせるためにゆっくりと頭を撫でながら説明していきます。はぁ、この夢、どこまでリアルなんでしょう。
「そうですよ〜」
ナデナデ。
「ちっちゃな愛美さんが夢で大きくなっただけですよ〜」
ナデナデ。
「夢、ですの?」
ようやく話が飲み込めてきたルナさん。あと一歩ですね。
「その通りですよ〜。あなたはさっき、私を抱いてベッドに入ったでしょう?」
「確かに……そんな記憶がありますの」
そこまで行けばもう大丈夫ですね。
「今の私は人の姿ですが、愛美です。わかりましたか?」
「はい、ここが夢の中ならそんなこともありますの」
「はい、それに、こんなこともあります」
そう言って私は「コーヒーを二人分、ミルク付きで」とお願いしました。
するとカウンターにことり、と二つのティーカップ、銀色のミルクピッチャー、そしてガムシロップが現れました。便利です。
「夢って、すごいですの」
コーヒーの、心に染みるような香りが漂う中、ルナさんが目を白黒とさせています。
そして、自分でもやってみようとして「甘いパンをお願いしますの」とお願いします。
ですが、なんの反応もありません。
これは私の夢なんで、私にしかできないんですよ。前にユーリさんがやってみて無理でしたから。
「私には無理みたいですの……」
ユーリさんと違って諦めの早いルナさんは少し落ち込んだ様子を見せましたが、すぐに切り替えて私にお願いします。
「愛美さん!甘いものは出せませんか?」
「ルナさん。夢の中でも物を食べたら太るって聞きませんか?」
「聞きませんの。太るんですか?」
「脳が物を食べたと勘違いしますからね。太るんです」
「そ、そんなぁ……」
ガビーンと頭にタライでも落ちてきたかのように落ち込むルナさん。もしかして、そのボディは食べることで培われたものなんでしょうか?お腹はほっそりとしてましたが、その代わり栄養は胸に……。
自分のを見てみると、少し膨らんでいるだけで、ルナさんのとは比べものになりません。敢えて例えるとしたら、山と坂ですね。
「ルナさんは食べても栄養がそこに詰まるみたいですから、食べますか?」
じとーっと山を見つめ、山の主に話しかけます。
「ど、どこに詰まるっていうんですの!」
「わかってるんでしょうにー」
ぶぅーと、膨らまないものの代わりにほっぺたを膨らまします。
まぁ、今の私は本職、猫。人間の身体が膨らんだところで関係ありませんからね!
「愛美さんは十分ありますよ?」
「そうでしょうか?」
自分のを触ってみると、ふにっと柔らかい感触はしますが、指が吸い込まれるような心地良さはありません。
「それに、とても綺麗ですの」
綺麗、ですか。それは、嬉しい褒め言葉ですよ。俯いて、自分のに褒められたぞっと聞かせてやりました。
「いや、そこじゃなくてですね……。愛美さん全体が綺麗なんですの」
「なんだ。そうですか……」
それは、お世辞としても行き過ぎですね。小さい頃はよく、親戚のおばさんたちに、『愛美ちゃんは可愛いね〜』なんて言われてたんですけど、入院してからは『可哀想にね〜』しか、聞かなくなりましたから。
親戚にも可愛いと言われないなんて、相当でしょう?綺麗なんて夢のまた夢です。
「全然信じてませんの」
「それは置いといてですね、ルナさん。今日はこんな素敵な雰囲気の場所を用意したんですから、恋バナと行きましょう?」
私はコーヒーに甘いガムシロップとミルクを注ぎ込み、ルナさんに差し出しながらそう言います。大人なモカの香りの中に、甘い匂いが混ざります。
「ありがとうございます。恋バナ、ですか。そうですね……」
なんだか乗り気でないようなルナさん。どうしたんでしょうか。少し見ていると、コーヒーを一口啜り、ほうっ一息吐きました。
それを見届けたあと一歩、私の分を作りながら伺います。
「どうしたんですか?」
「どうしたってことはないんですの。ですけど、その、ユーリさんって子どもっぽいところがあるんでしょう?」
「子どもっぽい、ではなくフレンドリーですよ」
ここは譲れません。ユーリさんは子どもでなくフレンドリーなんです。
「そうでしたの。その、フレンドリーなところを見てみないと、告白するかどうかは決められませんの」
「付き合ってからお互いを知る、というのは無理なんですか?」
ルナさんはすぐには答えず、コーヒーを口に含みます。
私もそれに習って一口。
「……私はもし、ユーリさんに受け入れてもらえれば、旅に同行するつもりですの。その途中で二人の仲が不安定に揺らぐなんて、危険でしょう?」
確かに、ルナさんは日本とは違う世界に住んでいて、もちろんユーリさんも違う世界に住んでいます。
そうなれば、日本のように、付き合ってからお互いを知る、というのが難しい場合もあるのかもしれません。ここは、大人しく同意するべきなのでしょう。
「そうですね……。それまでに、できるだけお互いを理解しておいた方がいいですね……」
一緒になって、よりお互いを知る、という恋愛の
「はい、ですから私は、ユーリさんと過ごす残りの日を、できるだけ濃いものにしようと思ってますの」
「もちろん、できるだけ協力しますよ!」
と言うと、私がした二度の過ちを思い出してしまいました。
「あ、邪魔しないようにもします……はい」
私は申し訳ない気持ちからしゃがみ込みます。そして、カウンターから少しだけ顔を覗かせ、座っているルナさんを見上げてそう言いました。
「ふふっ、本当に気にしないでいいですの。むしろ私が暴走する前に止めてくださったのに感謝したいぐらいですの」
「暴走、ですか?」
「はい、暴走ですの」
暴走、というと、思いが高まりすぎてしまって相手を押し倒し、あーしてこーして賢者になるあれですか?ってこれ、私が暴走してますね、はい。
どうにもですね、小説で見てきたあれこれを、実際に見てみるとですね、辛抱たまらなくなるわけですよ。わかります?
わかりませんよねごめんなさい。
「暴走についてはよくわかりました。はい」
心の中でたくさん吟味しましたとも。私はカウンターから頭だけを出し、コクコクと頷きます。
「はぁ、そうですの?」
カウンターにアゴを乗せた私に視線を合わせ、ルナさんは首を傾げます。私の異常な反応を不思議に思ったんでしょう。
さて、この会議は、ユーリさんとの時間を密にする、という一つの答えが出ましたので、これにてお開きにしましょうか。
「ルナさん。今日は急にお呼びして申し訳ありませんでした」
「あ、いえいえ。最初はびっくりしましたけど楽しかったですの。飲み物も甘くて美味しかったですし。是非、また呼んで欲しいですの」
「はい!また呼びますよ!」
「ふふっ、ありがとうございます」
ルナさんは優しく三日月を作り、にこりと微笑んでくれました。
「では、また明日会いましょう!」
「はい、また明日ですの」
そうしてルナさんは、霧の中に消えていくように、すぅーっと居なくなりました。
さて、私も目覚めますか。
目を閉じ、猫の身体をイメージして起き上がる……。
……あれ?
今、目を覚まそうとしたんですが、どうしてか身体がふわりと浮いた感覚のまま戻りません。
そして、私が段々と不安になり始めたころ、追い打ちをかけるように景色が白く染まり始めた。
黒い壁からは白いモヤが染み出し、こげ茶の床は氷が広がるように白く染まる。
そして私を飲み込もうと迫ってくる。
壁は手を伸ばすように、床はジリジリと這い寄るように。
「あ、いや、やめて、あっ!」
逃げ場はない。ここは狭いカフェだから。
床を伝う白い氷が、壁から染み出たモヤが、私を取り込み、拘束する。
「いやです! 助けて! ユーリさん!!」
声は響きもせず、白い空間に染み込んだ。
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