第17話:隠してくださいよ!?

 コトン––––。

 お風呂場特有の、桶の小気味いい音が浴室に響く……。

 ユーリさんはその桶を手に取り、泥だらけの私に湯を掛けます。

 ザバァァァーー。


「にゃぁぁ」


 ニャァっと笑ったんじゃありません。感情としては逆です。弱々しくにゃいたんです。


「そのままおとなしくしろな」


 ユーリさんはお風呂場で丸くなる私に、ジャバジャバとお湯を掛けます。

 お湯の勢いが和らいだ時に、目を開けて見ると……そこには六つにれた肌色の大地が……。


「にゃあ!?」

「こらこら、暴れるなって!」


 暴れるなってじゃないんですよ!ユーリさん!隠しましょうよ!!

 私は安全な場所を確保し、必死にアゴを突き出して上を向きます。せめて視界を上に、上に、と。目を閉じだとしてもダメです!

 目の前に……あるというのがダメなんです!

 恥ずかし過ぎるんです!!


 あぁ、どうしてこうなってしまったんでしょうか……。それはやはり、ルナさんを怒らせてしまったせいなんでしょうね……。


 話は大体一時間前に遡ります。


 ♢♦︎♦︎♢♦︎♦︎♢♦︎♦︎♢



「こらー!また泥だらけじゃないか!」


 てへっと頭を掻いて見せた私に、二つの視線が突き刺さります。

 ……ごめんなさい、つい。


 ルナさんを見上げると、恐ろしく冷めたような顔をしていました。本当にごめんにゃさい。また邪魔してしまったんですね……。


「ユーリさん、少しいいですの?」

「あ、はい、どうしましたか?」

「今日は私、お風呂は使えませんから、泥を洗い落とすのはユーリさんにお願いしますの」

「え?しかし、僕では––––」

「今日は私、女の子の日ですの」


 ユーリさんに皆まで言わせず、遮るルナさん。その真顔が怖い。


 そしてそれを聞き、ピシッと固まるユーリさん。あぁ、ルナさん。その女の子の秘技を使わせるほどに怒らせてしまったんですね……。これはもう観念するしかありません。


「にゃあん」


 身体の芯がすぅーっと冷えていくのを感じながら『私は大丈夫ですよ』と言います。するとルナさんがすかさず「今『大丈夫です』と言いましたの」とユーリさんに通訳します。


「そうか、お前が大丈夫なら俺もいいぞ?」


 ユーリさんはルナさんの圧に押され、表面に被った猫が剥がれ落ちてしまっています。


 そんなユーリさんに大丈夫の意を表す為、近くに歩み寄ります。危機的状況下に置かれた生命は、どうやら言葉が通じなくとも協力し合えるようです。ユーリさんは私の前足を取り、服が汚れるのもいとわずに抱き抱えてくれました。


 そうして無言のまま屋敷へ帰り、今に至るわけです。




 もう暴れても仕方がにゃいので逃げるのは諦めました。

 その代わり、なるべく破れた大地から下は見ないようにして、必死にアゴを突き上げます。


 ですがそれだと、ユーリさんの肉体美をしっかりと堪能できてしまいます。

 あぁ、細身だと思っていたユーリさんは、こんなにも秘めた力を持っていたんですね……。


 桶で湯を汲み、持ち上げる時に筋張る前腕部、隆起する上腕二頭筋、そして胸筋。

 前屈みになると、破れた大地が脈動するのも素敵……。

 何より、ユーリさんの黒髪が、水に濡れて、普段見られない形に変化しているのがこう、グッと来ます。……これはこうふ–––ザバァァァ。


 はい、すみません。


 ユーリさんはそのまま何度にゃんどかお湯を掛け、私の身体についた泥を洗い落としてくれました。私の心臓がトクトクと鳴っているのがばれたでしょうか?だとしたら恥ずかしいです……。


 そして次は石鹸で身体を洗います。

 驚いたのはこの時ですね。ニャン生初のことが起こりました。


 ユーリさんは私を一人の乙女おとめとして扱っていにゃいようで、にゃんと私を膝の上に乗せて泡立て始めたのです。

 まぁ、私を一人の乙女として扱うっていうのが難しいんでしょうね。


 目の前の曇った鏡に映るのは、ぼやけた私たち。そのぼやけた輪郭りんかくが、白いモコモコでさらに曖昧ににゃっていきます。そして、輪郭の判断がつかなくなった後、お湯で泡をにゃがします。


 ユーリさんは頭も真っ白にしていたようで、お湯を掛ける場所が少し外れ、鏡にかかったモヤが洗い流されました。


 そして綺麗になった鏡に映ったのは、裸のユーリさんに抱かれた私……。それ以外の何者にゃにものでもありませんでした。

 膝の上には私がいるので、見てはいけないものは見えてませんが、やはりその、刺激が……強すぎます。オーバーヒートです。容量オーバーですよ––––ポフン。プシュ〜。


 それからの私は、ぽっーとしたままで、ユーリさんにされるがまま、抱かれたまま湯船に浸かったり、一緒にバスタオルに包まったり、あんなことやこーんなことを……。

 あ、やましいことはなにもないですよ?多分。


 そのままぽっーと惚けたまま、夕食までを過ごしました。


 ようやく意識が戻ってきたのは、ルナさんに真顔で、「この後私の部屋に来てください」と言われた後です。

 お風呂で温まった身体の芯に氷を当てられたように、キュッと身体が強張りました。


 ですがユーリさんはあろうことか、「僕はこれから薬の調合を始めますので、今から預かって貰えませんか?」と言って、私をルナさんに差し出しました。


 私を売ると言うことでしょうか。私を見捨てるんでしょうか。クレイジーユーリさんめ。もし死んだら呪ってやります。それはないでしょうが。ないですよね?


 そっとルナさんの顔を伺うと、形式的なだけの微笑みを浮かべていて、さらに背筋が冷えました。このままでは湯冷めしてしまいます。


 ですがその冷えた背筋を、ルナさんの暖かな体温が包み込んでくれました。

 あぁ、一応柔らかくて暖かいんですね。

 人間的な暖かさを感じた私は、幾らか身体の力を抜くことができたと思います。


 二度目のルナさんの部屋に入ると、ルナさんが真顔のままで私をそっと降ろしました。


 次にルナさんは「どうぞ」とベッドを指し示します。座れと言うことでしょう。

『……ありがとうございます』

 言われた通りちょこんと座ると、その横にボスんとルナさんが座りました。ドキリと、心臓と身体が跳ねます。


 ランプの灯りしかない部屋の中でわたしと対面して座ったルナさんには、刑事ドラマの「吐けよ!!」のシーンさながらの迫力がありました。


「単刀直入に聞きますの。あなたと話す時、ユーリさんはどんな口調ですか?」


 バンッと机があったら叩きそうな感じでルナさんは詰め寄ってきます。顔に影ができてそれにとても恐怖心を煽られます。

 あ、ユーリさん。これはダメですね。私、さっさと喋っちゃう、臆病な容疑者です。


『ユーリさんは、いつもは敬語を使わずに、フレンドリーな感じで話します』

「例えばどんな風に?」

『待っててくれたのかー。ありがとうなー。とか、可愛いなぁ〜とか言います』


 頭のなかで事情聴取したことをまとめているのでしょうか。ルナ検察官はしばらく黙り込みました。

 そして、幾らか時間が開いたあと、おもむろに口を開きました。


「そうですか……いつかそんなユーリさんも見てみたいですの」


 やっと、にこりと笑ってくれたルナさん。

 ようやく冷たい雰囲気が取り払われた瞬間でもありました。


「にゃふー」


 緊張が解けたのはいいんですが、私はまだルナさんに謝っていません。ルナさんが先程まで冷たい雰囲気を帯びていたのは明らかに私のせいですから、それは謝らないといけません。


『あのルナさん。ごめんにゃさい。今日も邪魔して、怒らせてしまって……』

「え?怒ってなどいませんでしたよ?」


 ポカン、と何を言っているのかわからないと言うと顔をするルナさん。

 私もポカン、ですよルナさん。


『にゃ?怒ってにゃかったんですか?』

「はい。全然、初めから」

『じゃあどうしてあんなに怒ったような顔をしてたんですか?』

「怒った顔してたんですか!?私」


 コクコクと頷く。


「ごめんなさい。私、ビックリしたり、考え込んだりすると表情が硬くなるって子どもの頃よく言われていたんですの」


 と言うと、あれはビックリしたり考え込んだりしてただけって言うことですか?


『そうだったんですね。とりあえず、怒っていなかったと聞いて安心しました』


 強張らせていた身体から、すべての力が抜けていくのがわかりました。

 同時に、とてつもない眠気に襲われます。


「ごめんなさい。勘違いさせたみたいですの」

『いやいいですよ。元はと言えば私が悪いんですから』


 そう言ってこてんと寝転がると、部屋の戸がノックされました。


「ユーリです。薬の材料である、ユメミサそうがきれたので、取りに行ってきます。今日中に戻ってきますが、子猫が眠そうだったら寝かしてあげてください」

「わかりましたー!」

「どうも、頼みます」


 その後、階段を下りる足音が聞こえました。


「だそうですの、愛美さん」

『私、もう眠いです』

「じゃあ今日は一緒に寝ますの!」


 枕投げを控えた修学旅行生のように目を輝かせ、身を乗り出すルナさん。当然、暖かそうなクッションも存在を主張します。

 あぁ、気持ちよさそうなベッドが……。


「きゃ!」

「にゃふーー」


 少し乱暴に飛び込んだ私を、母性のクッションが抱きとめてくれました。母の温もりを感じます。


「もう、愛美さんは甘えん坊さんですの」


 私を抱きとめたままのルナさんは、ランプの火をふっと吹き消し、ベッド入ります。

 布団の中で抱きとめられている私の意識は、そのランプの灯火のように、ルナさんの力でいとも簡単に闇に沈んでしまうのでした。

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