第16話:つい、やっちゃったんですよユーリさん
ぐにぐにっと頬に当たる柔らかい物。その感触で俺は目を覚ました。
目を開けると、俺の頬をぐにぐにする猫の手が。その傍には、心配そうに俺を見つめるタイガーアイ。
「あ、ごめんな。寝過ごしたか?」
「にゃーん」
低い声で子猫は鳴き、ぽふっと俺の頬をタップする。可愛いから迫力は皆無だけど、責められているのがなんとなく伝わってくる。多分、そんな気持ちにさせるほど長く寝ていたんだろう。
「悪かったなー」
傍の子猫にそっと手を伸ばすと、子猫は俺の手に頬を擦り付けて、甘えた様子をみせる。俺もそれに答えてアゴを撫でる。
「ゴロゴロゴロ」
目を線のように細め、子猫は気持ちよさそうにノドを鳴らす。
可愛いな、まったく。癒されるよ。
こうやっていると、濁った心が洗われていくみたいだな。
昨日は、夢を見なかった。それは薬で自分を無理やり深い睡眠に落とし込んだからだろう。
これでいいのかもしれない。
たけど、どうやら粒の大きさが少し大き過ぎたようで、いつもより長く眠りに落ちていたようだ。そこは改善する必要があるな。
そのまま猫とじゃれていると、部屋の戸がノックされ、ルナの声が聞こえてきた。
「あの、ユーリさん。大丈夫ですの?」
どうやら、寝坊してしまったことで、ルナに気にさせていたらしい。戸を開けると、眉をハの字に下げたルナがいた。
「すみません、ちょっと寝坊してしまったみたいで」
頭を掻きながらルナにそう答える。
「寝坊って、もう昼過ぎですよ?本当に大丈夫ですの?」
「昼過ぎ……?」
「はい、昼過ぎですの」
そう言って一歩詰め寄り「風邪引きましたか?」と額を触りに来るルナを「病気に関しては大丈夫です」といなす。
驚いた。俺は昼過ぎまで眠ってしまったのか……。
「すみません、少し薬の実験をしてて……」
「薬、ですか?」
「はい、魔法だけではどうにもならないことも稀に有りますからね」
「なるほどですの。でも、身体は大切にしてくださいね。その……心配しますの」
確かに睡眠薬を試飲して昼まで起きないなんてことがあったら心配するよな……。
頭の方を。
そう考えると笑えてきた。
「ははっ、確かに心配しますよね」
そう言うとルナは目を白黒させてきょとんとした。何か変なこと言ったかな?
「……どうしました?」
「あ、いえ。なんでもないですの。それより、今日の夕方からは大丈夫ですの?」
「はい、大丈夫ですよ。こちらとしても是非行きたいですし」
そう答えると、ルナはパッと顔色を明るくし「そうですか!ではユーリさんがお帰りになったら呼びに行きますの!」と言ってくるりとターンを決め、去って行った。
ルナが去って行き、バタンと戸が閉まると、交代だと言わんばかりに子猫が飛び乗ってきた。
「にゃにゃ」
……何だこいつ。ニヤニヤ言ってるぞ。それに、こういう、妙に頬が吊り上がった顔はどこかで見覚えが––––あ、思い出した。
昔、村にいたエロオヤジの顔だ……。
「そんなピエロみたいな顔したらダメだろ?」
エロオヤジかよっと。
「うにゃ」
そう言って頬肉をぐいぐいっと矯正してやった。
よし、オヤジ顔じゃなくなったな。
そのまま悠長に遊んでいたら村人の治療が進まないので、猫の顔を矯正した後は村人の治療に向かうことにした。
途中、屋敷を出ようとしたところでルナに「何も食べないで出るのは体に毒ですの」と焼きたてのパンを貰ったので、それを齧りながら村の東部に向かう。
この村に来てまだ日も経っていない頃は重症人もいて、村の空気が重かったけど、今はそんな空気はなくなっている。
むしろ、歩いていると爽やかな風が足を軽くしてくれるみたいだ。
井戸の周りで楽しそうに井戸端会議を開く奥様方、収穫した野菜を売り歩く青年、追いかけっこする少年少女。
世界が回っているのを間近で見た気分になった。
そんな清々しい情景を見ると、俄然やる気が出てくる。
村の東端に着くと、村に来た時に見た見張り台がいくつか見える。その中の一つに、サリエバさんの姿があった。元気に働けているようで何よりだ。
そんなことを考えながらも、家を何件も回り、怪我人や病人を治療して行った。ここいらは治療が必要な人が少なかったみたいで、一応ノルマは達成できた。
ノルマとは、ここからここまでの場所を治療する、という感じで自分に課したものだ。その方が日によってばらつきが出ずにいいと思っている。
そして夕方。
屋敷のドアノックを三回叩けば、ルナがすぐに出てくる。
朝は気付かなかったけど、ルナはひらりとした、上品なワンピースを着ていた。
「ユーリさん、お帰りなさい。疲れていませんの?」
「大丈夫ですよ。子猫も、さっきまでぐっすりだったんですが、今は元気で遊ぶ気満々ですから」
「そうですか!では早速行きましょう!」
「にゃん!」
歩き出すと、さっきまで騒がしかった猫が、途端に大人しくなる。花畑で遊ぶ為にエネルギーを貯めているのだろうか。
腕の中の猫を見下ろしていると、ひらりとした黄色のワンピースが視界にちらりと入る。
「その服、綺麗ですね」
「え、私、ですの?」
「そうですよ。他に誰がいるんですか?」
「……ありがとう、ございます」
ルナはこちらを振り返り、ぎこちない笑みを浮かべた。夕日を浴びて、一輪の黄色い花のようにも見える。
「その服で花畑に立ったら、花の妖精のように見えると思いますよ」
「ふえっ!?」
素っ頓狂な声を上げたルナは、わなわなと震えて立ち止まる。
俺、何か変な事言ったかな。
そう思って首を傾げる。すると、腕の中の子猫が腕をトントンと叩く。見下ろせば、ゆっくりと首を振る子猫がいた。
ルナがまた歩き出すのには少し時間がかったけど、何も問題はなさそうだったので、そのままついて行く。
そして花畑に着いた時、意外な人物に出会った。
「おぉ、ルナ!と、ユーリさんじゃねぇか!!」
「叔父さん!久しぶりですの!」
ルナが嬉しそうに声を上げる。
「こんばんは、サリエバさん」
叔父さんと呼ばれたのはサリエバさんだ。
サリエバさんはこちらに手を振り、サファイアのような青色の目を輝かせ、小道を駆けて来る。
足を怪我していたサリエバさんだけど、しっかりと治療できたみたいで、元気に走っている。治療に自信がなかったわけではないけど、元気に走る姿を見てなかったから気にしていた。
駆けて来るサリエバさんに俺たちも歩みより、互いの距離がうまったところで口を開く。
「サリエバさんはどうしてここに?」
「あぁ、姉貴の墓がこの奥にあるからな。月一の墓参りに来たんだ」
「サリエバさんはお母様の弟、私の叔父ですの」
確かに、耳の形が二人とも似通っている。それに、サリエバさんの綺麗な青色の目を薄めたら、ルナの瞳の色になる気がする。
血が繋がっていると言われたらなるほど、となる要素はいくらでもあった。
ただ、サリエバさんのような彫刻じみた筋肉はルナにはないけど……。
「なるほど、サリエバさんはレナードさんの弟だったんですか……」
屋敷を訪問した時、マリーさんがサリエバさんの名前を聞いて、すぐ納得したわけがわかった。
「ケッコー歳は離れてるんだが、一応そうだぜ。それにしてもルナ、お前大きくなったなぁー!」
サリエバさんはルナの頭をわしわしと犬に対するみたいに撫でる。最近は会っていなかったみたいだけど、この様子から仲が良いことが伝わってくる。
「もう!やめてくださいよ!私はもう子どもじゃありませんの!」
ルナはそう言って頭の手を振り払い、バッと距離を取る。
「確かになぁ、お前も大人になって……男と一緒だもんなぁ」
「そ、そんなんじゃありませんの!!」
「……」
確かにそんなんじゃない。かといって、ここで慌てて否定すれば逆に怪しまれるだろう。それに、否定はルナがしっかりとしてくれている。俺はじぃっとサリエバさんを見つめるのに徹した。
「ハッハ!まぁ、俺はこれで帰るからよ。仲良くな、お二人さん!」
「もう!全然わかってないですの!」
サリエバさんはルナの声を背に、手をひらひらとしながら帰って行った。
全然わかってないようだった……。
「すみませんユーリさん、叔父が……」
「いえいえ、気にしてませんよ」
「そう言っていただけるとありがたいですの」
それから猫を降ろし、遊ばせる。
「今日は泥だらけにならないで下さいよー!」
駆けていく猫の尻尾にそう言っておく。
「にゃん!」
猫はちゃんと返事を返してくれた。
「可愛い後ろ姿ですの」
ルナは猫のお尻が好きなようだ。
「そうですね。僕もそう思いますよ」
「ところで、ユーリさんは、動物全般が好きなんですか?」
動物、と言っても色々ある。魔物と総称される凶暴な奴らや、人間の役に立つ奴らなど、列挙すればキリがない。
その全般が好きか、と言われたら全般ではないな。節足動物は嫌いだから。
「全般が好きなわけではないですね。可愛いのが好きです」
「可愛いのが、ですか。私はそれに拘らず、動物全般が好きですの」
「どうしてです?」
好きに理由はいらないだろうけど一応、聞いてみる。
「そうですね。理由があるとしたらすぐ仲良くなれるから、ですの」
「すぐ仲良くなれる、ですか?」
ルナはメルヘンな性格の持ち主だろうか。
「はい、私は高レベルな言語理解スキルを持っていますから、動物の言葉でも理解できるんですの」
「それはすごいですね!やはり、素直だと動物からも好かれるんですね」
なるほど。子猫がルナと一緒に仲良く風呂に入ったりするのも納得だ。
すごいけど、とても、羨ましい……。
「そうですか?ありがとうございます」
そう言って両の指を絡め、照れるルナ。
やっぱり、今日のルナの服のせいで、花みたいに見えるな……。
花の方へとずれていく思考を無理やり停止させようと口を開く。
「桜、という花はご存知ですか?」
「え?サクラ、ですか?」
無理やりに話題を変えたので、ルナはきょとんとした顔をしてしまった。
ちょうど沈みゆく陽の光が、青みを帯び、ルナの服は桜色にも見えるようになっている。……つい連想しても仕方ないか。やっぱり今は花から離れられない。
「はい、今のルナのような、なんとも言えない美しさを秘めた花ですよ」
「わ、私が美しい、ですの?」
ルナの顔が桃色に染まる。そうそう、幾つもの花びらが重なるところはこんな風に、桃色に見えるんだよな。
「はい」
「そ、そんな。恥ずかしいですの。私なんかそんなにですのに……」
ルナの顔が桃色にから赤へと移り変わる。
ここで俺の意識は戻って来た。
おおっと、変なことを口走るところだった。
「その……私はまだサクラは見たことないですが、いつか、その……ユー……」
ルナがこれから何を言おうとしているのかも気になったが、もっと気になるものが視界に入った。
「こらー!! また泥だらけじゃないか!!」
お前もわかってなかったんかい!!
ルナの後ろには、泥だらけの猫がてへっとでも言うように頭を掻いて座っていた。
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