第14話:夕焼けの お花畑と ユーリさん

「くぁーう」

 あくびを噛み殺し、伸びをする。

 いつも通りの爽やかな朝だ。


「愛美か……」


 愛美、というのは最近俺が出会った神様の名前だ。

 どうやって神様に会うのか、と言われると、その方法は俺にもわからない。

 寝ていると、いつの間にか神様のところに召喚されていた、というのが出会ったきっかけなんだ。


 あっと、そういえば寝るときは一緒だった子猫がいない。

 部屋の扉はちゃんと閉まっているので、外には出ていない。

 部屋の中にいるんなら、呼んだら来てくれるだろう。そう思って呼んでみる。


「おーい。どこに隠れたんだぁ?」


 シーン……。


 返事は返ってこない。


 あれ?ベッドの下にでも潜り込んでそのまま寝たのかな?

 猫は狭い所が何かと好きだからあり得る。


 この部屋には一人用のベッドと、書物をする用の机しか置いていないシンプルな部屋だ。

 隠れるならベッドの下くらいしかない。


 寝ているのをわざわざ起こすのは悪いな。そう思って静かにベッドの下を覗いた。


「うわっ!」


 びっくりした!

 ベッドの下を覗いたら目を赤く光らせた猫がいた。


「にゃん……」


 ん?……いつもの感じと違うな。

 申し訳なさそうに、というより悲しそうに猫が鳴いた。


「どうしたんだ?」


 俺は猫の脇を掴み、持ち上げる。


「うわー……。変な色ついてるじゃないか」


 猫には、毛の色が明るい部分に、焦げ茶色っぽいシミが出来ていた。

 ピンク色の肉球と、その上、人間でいえば手の甲の辺りだ。


 なんか変なものでも落ちてたのかな?

 しっかり掃除が行き届いているこの家では考え難いけど、猫が汚れているのは事実だ。

 虫かな?取り敢えず風呂に入れよう。


「風呂に入って綺麗にしようなー」

「にゃん!?」


 猫を抱き上げたまま、そう言うと猫がジタバタと活きのいい魚みたいに暴れ出す。

 昨日はルナと一緒に入ったらしいのに……。


「にゃんにゃんにゃん!!」

「こらこら暴れるなって!!」


 ビチビチと暴れる子猫を無理やり押さえつけては、どちらかが怪我をする。

 仕方ないか、そのうち不意打ちでもして洗おうっと。


 そう考えて猫を降ろそうとした時に、戸がノックされ、子猫とともにパッとそちらを見やる。


「ユーリさん、ルナですの。えっと、少しいいですか?」

「はい、いいですよ」


 そう答えると、戸が開いた。

 猫を降ろすと、現れたルナに飛び移る。

 ……なんか、取られた感じがする。


「あらら。どうしたんですの?」

「僕がお風呂に入れようとすると嫌がるんですよ」

「……あ、なるほど」

「何がなるほどなんですか?」


 一人納得したような顔をするルナに、訳を教えてくれと質問する。


「ユーリさん。この子は女の子ですの。女の子が男性とお風呂に入るのは普通じゃありませんよね?」

「……確かにそうですけど、人間ではないんですよ?」

「人間ではないと言っても自我はありますの。恥ずかしがり屋な子がいてもおかしくはないでしょう?」


 確かに。なんとなく納得。


「そう、ですね。では、朝からで申し訳ないんですが、その通り汚れているのでお風呂に入れてあげてくれませんか?」

「いいですよ。ちょうどお風呂に入ろうかと思ってたところでしたの」

「それなら良かったです。ではお願いしますね」

「はい!任せてくださいですの!」


 良かった。

 俺はホッと一息吐いた。

 あれ?


「……どうしましたか?ルナ」


 ルナがまだ部屋から出ようとしない。まだ何か言いたそうな顔でこちらを見つめている。


「あの、その……」

「ゆっくりでいいですよ?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 すぅー、はぁーと深呼吸した後、ルナは切り出した。


「今日の夕方に、村の花畑を一緒に散歩しませんか?」


 散歩……。

 子猫の散歩か。楽しそうだな。


「はい、是非行きましょう」


 綺麗な花畑で猫と戯れることを想像し、つい頬が緩んでしまったが、運良くルナはそれに触れなかった。


「やた!じゃあ今日の夕方にこの屋敷で待ち合わせですの!」

「はい、わかりました。楽しみにしておきますね」

「はい!」


 ルナはそう言うと、楽しそうにフンフンと鼻歌を歌いながら部屋を出て、階段を下りて行った。


 ルナも相当な猫好きだな。あれは。


 気が合う友人と巡り合ったような気分になり、すこし嬉しかったけど、俺は旅の医者だということを思い出して気を引き締め直した。

 どうも可愛いものが絡むと弱い。

 こればっかりは俺の性分なので、そう簡単に変わるものじゃないだろう。

 そう考えて諦め、その時その時に気をつけることにした。


 さて、子猫をルナに預けたので、今日は一人だ。

 朝食を頂いた後も、帰って来る様子はない。女子はなんであんなに長風呂なんだろうな。


 子猫はルナがきちんと面倒を見てくれそうなので、俺は一人で村人の治療に出かけることにした。


 村に出ると、すっかり猫とセットのイメージが定着してしまったようで、「ユーリさん、今日はかわい子ちゃんと一緒じゃないのかい?」とすれ違ったお婆ちゃんに言われた。

 その質問が来る度に、「自分の毛皮を汚してしまったんで今はお風呂の中ですよ」と答えて回った。


 そして、そんな質問を受けながらも、腕の裂傷や火傷、なかなか治らない風邪など、危なくなる可能性があるものを優先的に治療していった。


 一つの治療にそんなに時間はかからないけど、なにせ数が多い。雑談にも付き合わされることがあるので、今日治療できたのは五十人程だった。

 まだまだ日にちはかかりそうだな。


 約束の夕方になり、その日の治療はそこで切り上げる。

 切羽詰まった状況でない限り、治療は夕方までにしている。

 半分は緊急事態に備える為、でもあるけど、もう半分は単純に身がもたないという理由だ。


 屋敷に着くと、もうすでに子猫を抱いたルナが待っていてくれた。


「すみません、待ちましたか?」

「い、いえ、大丈夫ですの」

「にゃん!」


 猫は早く行こう!って顔してるから、結構待ったんだろうな……。夕方って言っても人によって時間ずれるだろうし。


「じゃあ、行きましょうか。案内をお願いします」

「あ、はい!こちらですの」


 そう言ってルナは屋敷の裏の方へ、俺たちを連れて行ってくれた。


「綺麗な場所ですね」

「えぇ。私のお気に入りの場所ですの」


 目の前に広がっていたのは、夕陽に照らされた色とりどりの花。

 時折、風に乗って花びらが舞う。

 どこか幻想的な雰囲気が漂う場所だ。


「その子を降ろしてやってくれませんか?」

「あ、はい」


 ルナは子猫をそっと降ろす。

 すると、子猫は嬉しそうに花畑を駆けて、蝶々たちと戯れる。


 花、花……高嶺の花。

 あぁ、愛美は、あの人は高嶺の花だ。どうしても俺では届かないな。そもそも人間と神だ。あまりに身分が違いすぎる。

 そして、向こうも気まぐれで俺を呼んだんだろうから、俺がこうやって物思いに耽っているのは間違いなんだ。

 そうやって俺は浮き出てきた想いを、心の奥に押し込んだ。


「あ、あの。ユーリさん?」

「……なんでしょうか?」


 ルナの目がこちらの目を見る。

 ……心の奥に入り込もうとする目だ。

 心の奥を見透かされそうで、俺はつい猫の方を見てその視線をかわしてしまった。


「よければ、私の思い出話しを聞いてくれませんか?」

「……はい、もちろんですよ」


 こちらが話しを聞くのなら、大歓迎だ。

 俺は安堵の気持ちから、頬が緩むのを感じた。


「ありがとうございます。まずですね、このお花畑を作ったのはですね。お母様とお父様なんですの」


 ルナは走る猫をゆっくりと追いかけながら、そう言った。俺も、その横に並ぶ。


「あの二人が、ですか?あ、言い方が悪かったですね、すみません」


 若い頃は戦闘で名を上げた二人だったから、そんな可愛いエピソードが出てくるとは思わなかった。

 意外とロマンチックな人なのかな。


「ふふっ。いえ、その通りですから。あの二人が、ですの」

「どうして、作ろうとしたんでしょうか」


 レナードさんは、語り継がれる歌から浮き出てくる豪快な人物像からすると、到底そんな乙女チックなことをするとは思えない。

 セドルフさんも、また然り。


「それはですね。お花の冠とネックレスを作る為だったんですの」

「お花の冠とネックレスですか?」


 乙女?ロマンチックを通り越して乙女な人たちだったのか?


「はい、私をあやす時に怖がって泣かないようにって、自分たちを花で飾ろうとしたみたいですよ」

「はははっ、なるほど。身内に不器用なセドルフさんらしいですね」

「そうでしょう?私もこの話をマリーから聞いた時はお腹を抱えて笑いましたの。ほかにもですね––––」


 レナードさんのお茶目な一面や、セドルフさんが風邪をひいてレナードさんに甘えまくった話など、その後も、ルナは面白いエピソードをたくさん聞かせてくれた。

 あの人のことも、頭から離れてくれるくらい、楽しい話をたくさん。

 ルナがレナードさんとセドルフさんのエピソードを楽しくできるというのも嬉しかった。


「ありがとうございます。ここに呼んでくれて。とても楽しかったですよ。僕だけでなく、あの子も」


 少し離れたところでジャンプを繰り返している猫を眺めて、俺はそう言った。

 そろそろ日も沈んできたので、帰る頃だろう。


「それは、良かったですの。とても。あの、ユーリさん。もう一ついいですか?」

「なんですか?」


 ルナと目を合わせると、少し潤んで、星空のようにキラキラしていた。

 どんな感情がこもっているのかわからない、不思議な目だ……。


「えっと、ユーリさん、私––––」

「にゃんにゃんにゃー!!」


 ルナの言葉を遮り、猫がはしゃいだ声を上げた。ひらひらと舞う蝶々に、狩猟本能が刺激されたのだろうか。


「こーらー!。あんまり蝶々をいじめたらダメですよー!」

 猫にそう言い聞かせた後、続きを促す。


「で、なんと言おうとしたんですか?」

「あ、いえ。その、また、ここに来てくれますか?」

「それは、この村を離れてからですか?それとも、僕がこの村に残っている間に?」


 一度村を離れたら、また戻ってくるとは保証できないな。

 そう思っての答えだった。


「あ、はい。あなたがこの村に残っている間にですの」

「それなら是非、また来たいです」


 そう言うと、ルナは目を三日月のように細め、嬉しそうに笑った。

 家族に対しての憂いが無くなった今、思い出話しをするのが楽しいんだろうな。

 そう思った。


「あ、でもこれからは僕が屋敷に戻ってきた時に声を掛けてくれたんでいいですよ?今日は随分待ったんでしょう?」

「そうですね、実は待ちましたの。では、これからはお言葉に甘えて、屋敷で声を掛けますね」


 こうして俺とルナの思い出語りの日々が始まったのだった。

 俺は聞き役だけど。


 空が紫色に変わり、三番星まで見えてきたので、帰るよと猫に伝える。

 すると、泥だらけの猫が帰って来て、驚いた。

 せっかく朝洗って貰ったのに、と申し訳ない気持ちでルナを見ると、嬉しそうに「また私が洗いますね」と言ってくれたので任せることにした。


 今日はとても楽しくて、しばしあの人のことを忘れることができていた。

 このまま忘れ去ることができたらいいのにな。

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