八十話――面談も後半へ。そして合否


「イジャベラ・トトリカさん」


「ひゃいっ」


 先の一件もあり、声が微妙に裏返ってしまったイジャベラだが姿勢を正し、ニークウィニーサをまっすぐに見つめる。ニークウィニーサは無表情に見つめ返す。かなり冷たい反応だというのにイジャベラは怯まなかった。それもこれも誰かさんのお陰で。


 シオンと事前に喋っていてこういう人間ひともいるんだ、世の中~。というある種の耐性が備わっていたのだ。イジャベラが怯まないことにニークウィニーサはひとつ満足そうに笑い、書類に視線を落とし、少しだけ時間を置いて、レモニアのと同じ問いを述べた。


「志望動機をお願いします」


「はい。私は祖国で人間扱いしてもらえません。その戒律がいやで上京し、かねてから憧れ続けた夢を叶えたいと思い、武術科が最も豊富で厳しいと聞き、受験しました」


「ありきたりですね」


「はい」


 イジャベラの志望動機をバッサリ切り捨てたニークウィニーサだったが、イジャベラはその冷たさにさえ堪えず、元気に返事をした。これにはニークウィニーサも首を傾げる。


 かなり冷たく切ったというのにどうしてこのような返事ができるのか、を訝しんで。なのに、当のイジャベラははにかむように笑って実は……というのを明かしてくれた。


「本当はもっと小難しいこと言おうと思っていました。でも、ツキミヤさんを見て、話をして思ったんです。このひとは自分に誇りを持って本心を言っている、って。そんなひとを見たあとで自分の繕ったような志望動機の説明がバカバカしく思えてきてしまって」


「ツキミヤさんに感化された、と?」


「そうかもしれません。実際はもっとずっと遠くて眩しいひとなのですが、きっとその眩しさに少し、ほんのちょっとだけでも近づきたいと思ってしまったんです、私」


「……。では、将来にどのような夢を?」


「はい。エリディスト共和国はまだ〈魔の物〉の被害が深刻です。私も父を殺され、亡くしています。だから、誰かが私のような思いをしないでいいように強くなりたい。武術に今のところ自信はありませんが、一番大きな目標は王族騎士隊本部への入隊です」


「……そうですか」


 ふっ、とニークウィニーサが微笑む。今までの威圧的な笑みではない。やっとまともな受験者が現われたことを歓迎するかのような、喜ぶかのような笑み。ただただ美しい。


 他の教員たちもイジャベラを見て頷き、メモを取る者もある。シオンは確信。イジャベラは受かる。教員たちの反応以上に彼女の自信に満ちた笑みには強さがある。


 最難関のニークウィニーサも微笑みのまま、イジャベラに趣味や好きな本、格言などを聞いて、ひとつ大きく頷き、彼女の面談を終えた。表情は柔らかく、温かみがある。


「トレジ?」


「……」


 だから、次の、というか最後にまわされるシオンの書類が来ないことを疑問に思ったようでトレジに声をかけている。だが、トレジはなにか信じられないものを見たように愕然として硬直している。シオンはなにも言わない。そこに書いたことを唯一知るが故に。


 トレジはしばし固まり、まるで「違う、こんなのは嘘だ」と示すよう首を緩く振る。


 やがて、ぎゅっ、と目を固く瞑り、現実を拒否するかのよう苦悩の顔となる。整った顔に浮かぶ苦痛。悲愴。自身へのすさまじい憤怒がぐつぐつ煮立っているのがわかる。


 ニークウィニーサはもちろん、シオンもイミフ。そんな激情を表すほどのことを書いた覚えはない。それも赤の他人で面談官役の教員、もっと言うと教頭の信任が厚く自身も厳格を形にしたようなトレジが……。正しくイミフ。間違いもなくイミフだ。


「……どうぞ、教頭」


「どうしたのです?」


「御覧いただければすべてが……っ」


「トレジ……。預かります」


 言うなりヌベゼアから渡された書類に目を通していく。居住地や名前などといったどうでもいいところは飛ばされ、魔力の属性比重は少し彼女の興味を引いたようだが、トレジが絶望にも似たナニカを抱いたのがそこではない、とわかっているので次々めくる。


 そして、最後のページ、志望動機が書かれている箇所でニークウィニーサも硬直した。


 だから、なんでだ。とシオンは思ってしまうのだが、ニークウィニーサはトレジ同様、以上に衝撃を受けた顔で泣きだしそうになっている。涙は気配もないが心は泣いている。手に取るようにわかってシオンはなおのことイミフを膨らませられた。なぜ、と。


「どうして」


「イミフ」


「どうして、このようなことをっ!?」


「……それ以外の望みを却下された為」


「だ、誰が? 誰があなたの……っ」


「言ってもわからぬし、知らぬ者だ」


 ニークウィニーサ以上に冷たいシオンの言葉でニークウィニーサは息を飲んだ。シオンは自分のことなので気づいていないが、とても悲しい目をしている。憎むに憎めず自身を憎悪するかのような瞳。強く、脆い目は過去を見ている。遠くない、過去を。


 ニークウィニーサの知らない、誰も知らない誰かを憎みたい。でも憎めない。それすらも許されない、と思い込み、思い詰めて傷つきながらも大地を踏みしめていく。恐ろしい歩みの力強さだが、それは諸刃の剣。強く逞しい反面、おおいなる危険を孕む。


「あなたにとっての正義、とは?」


 シオンは自分で自分が危うい存在だと気づいているので別に諸刃の剣と言われようと揶揄されようと構わない。なので、ニークウィニーサがした質問はイミフ。


 いきなり正義とはなにかと訊かれて即答できるひとはいない。まあ、シオンを除いて。


「正義とは無だ。形などなく、欠片の愛情で証明できる不確かで尊いモノ。私にはない」


「あなた、あなたに愛がない?」


「ない。与えることも与えられることもありえない。だから言っている。尊いモノだと」


「……違う」


「? 違わぬ。私はもう愛してもらえず、愛することの恐ろしきを知っているので不用意に誰かを愛することなど怖くてできない。昔に比べてずいぶんと憶病になった」


「そんなことをどうしてっ!?」


「なにをむきになるか?」


「それは……。まだ十五で、そんな惨いことを考えるなんてどうして、と思うのは普通ですよ、ツキミヤさん。なぜなのです、なにがあったからそんなことを考えてそんな」


 どことなく言い繕い感があるもニークウィニーサは必死でシオンの恐ろしく悲しい思考に立ち向かってくる。それこそ、クィースが謎の根性で仲良くしようとするかのよう。


 どうも初見から好意を持たれている気がするも、ニークウィニーサは最難関校の教頭。シオンはたかがシオンでしかない。覆らないシオンの思考に刃もなにも入らない。


 凍ってしまった心を溶かすことなどできないのだ。シオンが信じない真実の愛でもない限りは。一生凍ったまま。半端に溶かせばシオンは溶けだした冷水で溺れて死ぬ。


 そういうふうにできている。カヌーがきっとそう仕組んでいる。だから、誰に対しても距離を開ける。だからよくしてくれているあの三人も姓で呼んでいる。溺死が怖い以上に踏み込まれて傷に触れられるのが怖い。見たくもない心の汚泥はシオンの罪。


 ココリエを悲しませた。ココリエの手を汚してしまった。彼に涙を流させた。


 そして、なにより世界一大事だった妹を死なせてしまったことに大罪を見ている。ヒサメ。シオンの最愛であり、最も近く、なのに遠い遠い理解者。彼女ほどシオンを理解し、理解しようとする者はない。故に、失ってしまったシオンは空っぽだ。抜け殻も同然。


 愛情の容器は壊れていた。もう、今となっては壊れた破片すら見つけられない。木っ端微塵になりてシオンのそばから永遠に去った。それで世界が止まってくれたら、と願った時期もあるが世界はシオンの悲しみを置き去りにし、まわり続けた。上乗せの絶望。


 数を刻む。だが、誰かがいつか数えるのをやめて零に戻る。戻ったそれをシオンは数えられない。資格がない、と思い込む。自分には世界の一員でいる資格すらない、と。


 どうしても認めてあげられない。自分、という存在を。今まで唯一認めて愛してくれていたヒサメはもう、ここにはいない。あの戦国で幸せになってくれればいい。


「凍っている。凍えている。凍てついているのは自覚している。不器用であるのも知っている。それでも、私はまた繰り返すのがいやだ。誰かが不幸をかぶるのが耐え難い」


「あなた自身はどうなるのです?」


「別に。誰も想うことなきこの命。誰の心にも残らず留まらず消えていくのを願うのみ」


「そん、な……っ」


「……。神様なんて大嫌いだ」


「え?」


「私にこう在れ、と強いた。素直に聞かねばいいと言われればそれまでだが、でも……結局、絶対者は間違えないから。証拠に私は在るべき姿に背きかけ、それだけで多大な不幸を生んだ。生みだしてしまった。後悔すら許されず、どうすることもできない」


「……全能者のパラドクスを」


「知っている。抱えられぬ石を生みだし、抱えられぬ時点で全能者ではない。でも、私の幸福は世界の毒になりかねない。だからこそ、その志望動機なのだ、教頭殿」


「……ん、とを。……私、ちは」


「む?」


「……」


 ニークウィニーサは弱々しく呟き、やがて深く息を吐いてシオンを見つめた。青金石ラピスラズリの、宝玉の目がシオンを射抜くが、シオンは微動もしない。諦め。人生への、命への明確な諦めが為に。どうすることもできない。それがありありと伝わる。


 誰もシオンを救えない。無償の愛すらも届かない。無上限に無条件に愛してくれる者でも現れない限り、彼女は自分を認めてあげることすらできないのだ。だからこそ……。


「わかりました」


「そうか」


 これで落ちたな。と、シオンは心中で世話をしてくれた三人に謝る。最初から見込みはない。なかった。だってシオンに希望はない。絶望だけに突き動かされて生きている。


 ああ見えてクィースはひとの感情に聡いところがあると思われる。なので、シオンの絶望に気づいている可能性がなきにしも非ず、とか思っていると咳払いが聞こえた。


「合否を言い渡します。ツキミヤさん、トトリカさん、おふたりに編入を許可します」


「……ん?」


「本日はこれまでです。職員室で履修届をつくり、区役所には編入届をだしてください」


「……あれ?」


「はい?」


「私も、か?」


「ああ、ツキミヤさんには編入学式の際、ちょっとした役を頼みますのでお心構えを」


 いや、そこじゃない。シオンが訊きたいのはそこではない。そもそものところ、編入してもいいのかどうか訊きたいのに、ニークウィニーサはにっこり笑い、以上の質問を封じてトレジに目配せし、見送りを任せ、次の組を呼ぶのもついでに頼んだ。


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