五十話――夜の林で


 パックジェ地区に夕暮れがやってくる。それはやがて青い闇になり、夜となりゆく。


 この地区は首都に近くとも田舎臭い一角で主にお土産市の企画で観光客、ないし地元民でも珍しいもの好きの関心を確保している。なので、飽きられないよう、次々新しい企画を練っている。今月の東方諸国家文化を中心とした土産市は成功の一途だ。


 だが、市を管理している地区のお偉い方は油断せず次の企画を練るのに市場を歩きながら広報担当と話をしている。市に出店していた者たちはもうほぼ全員が撤収していて市は静かなものだ。だが、その中にひとつ片づけすらしていない店が一軒残っていた。


 商品こそ片づいていたが、他の店が骨組みだけ残している中、その店は台の上に布を敷いたままで、なぜか百二ル硬貨が一枚乗ったままになっていた。


 店のほとんどが暗闇に呑まれて人影はないように見えた。なのに、突然、闇の中からすっ、と伸びてきた節くれ立った指が硬貨を摘まみ、持ちあげて月明かりに翳した。


 すると、まるで月が見計らったように明かりを投げ入れ、手の持ち主を照らしだした。


 薄くなった白髪。茶目のどこにでもいそうな老婆。しかし、広報担当も区の管理者も老婆に、もっと言うと彼女がいる店にも気づかず素通りしていき、市場にひとが絶える。


 きらり、と硬貨が光る。それを見つめる老婆は一度目を閉じ、椅子から立ちあがった。すると、そこにもう、老婆はいなかった。代わりにいたのは若い女。可愛らしい少々ファンシーなワンピースに身を包んでいる女は小さくため息を吐き、呟く。


「大きくなられましたな」


 鈴を転がすような声が誰かの成長を喜ぶように小さく音を紡ぐ。月光降り注ぐ中、女というか若い娘は肩から提げているものに触れ、ついで自分の髪を緩く梳いて整えた。


 淡い、白を多分に含んだ亜麻色髪。丸みを帯びているがどこか鋭い緑の瞳。肩にかけられている革の帯の終点、先ほど女が触れたものも見える。鉄扇だ。それもかなり使い込まれているのか、握りの部分がすり減っている。頑丈ながらも使い込まれた明らかな武器。


 服や髪の手入れ具合から乙女らしい雰囲気を想像しがちだが、どう見ても完全に彼女の雰囲気は武人、それも歴戦を乗り越え、数多の戦を経験してきた強者のそれだ。


「シオン、お嬢様……っよくぞ、ご無事で」


 女は昼間相手をしていた娘の名を呟き、無事を喜んだ。彼女の連れたちが言っていた名だが、女性はシオンに並々ならぬ想いを持っている、とその短い言葉で知れる。


 愛をこめた言葉。愛しい家族への愛溢れる声にある歓喜と憂いは混ざって複雑な色。


 複雑な声を残して女性は屋台の裏口へ向かってそっと扉を開けて外へ抜け、一直線に背後の林に入っていった。


 もうとうに夜が来ている。と、いうのに夜行性の動物が一匹として動かない不気味な林に入った女性は奥へ奥へと向かう。そして、ある地点で足を止めた。


 光が入らない闇に支配された場所。夜目に慣れていても女性の影すら見つけられない。


 そんな場所で足を止め、なにを思ったのか女性は誰かに語りかけるように声をあげた。


「のう、アルア、アシェルートや」


「ギルルルゥ……っ」


「妾は話して差しあげるべきぢゃっただろうか、お嬢様に。あの御方に……すべてを」


「ワぁ、わカりまぇん。私にハ」


「ぷっ、お前はほんにナシェル語が下手ぢゃな。もはや異次元の言葉ぢゃて」


「戯れヲ、ユト。大君に言いつケましお」


 可愛らしいへたくそ発音なのに持ちえる威厳と威圧感がすさまじいアシェルートとやらにユトと呼ばれた女はだが笑いを堪えるような音を零す。暗い闇の中アシェルートがむっとするのを感じても女性は笑いを引っ込めない。ばかりか、さらにくすくす笑う。


「ユト」


「ふふ、これしきで怒るでないわぃえ、アルアや。一族の名が廃る、というものぢゃぞ」


「ムぅ……」


「さて、本題ぢゃ。わからぬ。なぜ封印されていた体がここで目覚める? いくら弱呪化しようとも狙い澄ましたようにこの腐敗国に現れるとはなんたること。摩訶不思議ぢゃ」


 ユトの独白。わからない、と言い、ナシェンウィル、この巨大国家を腐敗などと言ったユトは解封がなぜここで起こったのか不思議そうにしているが、どこか焦りが滲んでいるのを鋭く感じてアシェルートが厳しい声をだす。その声は半分以上吼え声だった。


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