階段

志村

0

僕は階段を登る。一段一段、恐る恐る。

どうして登っているのか、どうして恐れているのか、思い出すことができない。だけど、どうしても登らなければならないと、心が僕に命じている。

だから僕は階段を登る。一段一段、恐る恐る。



 凍える手をコートのポケットに入れ、白い息を吐き出す。毛玉が少しできたマフラーは誰から貰ったのだっけ…

 ここは廃れたビルのようだった。足元には、ガラスの破片や、崩れ落ちた柱の残骸が、燃え尽きたように横たわっている。幸い僕はブーツを履いているので、瓦礫やガラスに足をやられることはなかった。

目の前には、暗闇に向かってまっすぐと階段が伸びている。余計なことは考えるな、ただ前を見て登れ。心が僕に投げかけてくる。



 しばらく登って行くと、大きな広間についた。広間の先には、真っ直ぐな階段が、暗闇に続く階段が再び待ち構えていた。

 僕はただ、そこを目指す。

その一段目の階段がはっきりと見え始めた時、その脇に白いワンピースを着た少女が立っていることに気がついた。


どうしてこんなところに、などという常識的な疑問を抱くほど、僕はまともではなかったようだ。気がついたその時、思わず尋ねていた。


「あの、この階段の先にはなにがあるのですか?」

「あなたは、どうしてこの階段を登ろうと思っているのですか?」

少女は表情を変えることなく、言葉を放つ。

質問に質問で返されてしまったということは、こちらが答えれば答えてくれるのだろうか。

「わからないんです。それどころか、自分が何者なのか、自分の名前さえもわかりません。ただ、どうしても登らなきゃいけないと、その気持ちだけははっきりと覚えているんです。」

「そうですか…。」

少女は悲しそうに答えた。

「それで、この階段の先に何があるのか、あなたは知っているのですか?」

さあ君の番だというように、僕は少女を急かした。彼女は悲しそうな表情のまま、

「この先には、あなたが望んだものがあります。」

そういうと、少女は僕の横を通り過ぎて、階段を降っていった。




僕が望むものって…一体なんだろう。


僕は階段を登りながら、先ほどの少女の言葉を思い返していた。

僕が今最も望んでいるのは階段を登ることで、その先に僕が望んでいるものがある。

だから僕は階段を登っているのか。

だけど、どうしてこんなに恐る恐るなのだろう。


 ビルに風が入り込み、それが僕の太ももを撫でた。急激に冷やされた僕は、驚いて足を見下ろすと、ズボンは穴だらけで、その隙間から見える膝や脹脛は傷だらけで、出血もしていた。

しかし、それを視覚によって認知しても、痛みは湧き上がらなかった。寒さによる感覚の鈍化なのか、それどころではない心境によるものなのか、どちらにせよ、死んでしまうような出血量ではないから大丈夫であろう。



 また少し大きな広間についた。先程の広間と構造は同じで、広間の奥に僕の求める階段があった。そして、今度は白衣を着た男がそこにいた。


近づいていくと、彼もこちらに気がついたようで、こちらの方を向いた。僕は何を問いかけるか。その問いこそが、愚問だった。

「あの、この階段の先には何があるのですか?」

出会い頭に尋ねた。

「おいおい、突然出会って、突然質問とはなかなかユーモアのある子だね。だけど、自己紹介くらいはしてほしいかな。」

「すみません。僕、自分の名前がわからないんです。それに、自分が何者なのかも。」

「そうだったのか、それはすまなかったね。ならば、どうしてここに?」

「わかりません。」

「そうなのか、いつからその状態なんだい?」

さっきの少女とは違い、すごく踏み込んでくる。少し驚き戸惑ったが、こっちの方が普通かと思い直す。

「それもわからないんです。気がついたらここにいて、階段を登らなきゃって。」

「なるほどね。」

「あの、この階段の先には何があるのでしょうか。」

白衣の男は少し考え込む。

「僕にもわからないんだ。僕もさっきこの建物に入ってこの建物の調査をしていたんだ。」

「調査…?」

「ああ、僕はね、霊を研究している人間なんだ。人に自己紹介をさせようとしておいて、申し遅れてしまったね。」

そういうと、彼は名刺を差し出してきた。そこには大学名と金村慎一郎という名前が書いてあった。彼は大学教授らしい。

「良かったら一緒に階段の先まで同行しようか。僕も階段の先に何があるのか知りたくなってきたよ。」

職業柄抗えないのか、それともたまたまこういう性格なのか、彼のことは何も知らなかったけれど、少し心強いと思った。

「それなら…宜しくお願いします。」

そう言って握手を交わした。彼は強く握り返してきた。


そこからはこれといって何かが起こるわけでもなく、ただ階段を登った。所々広間もあったが、誰も現れることなく、僕たち2人は階段を登って行った。

金村さんは、階段を恐る恐る登る僕を励まし続けてくれた。そして、記憶が少しでも戻ればと、色々な話を、問いかけをしてくれた、何も思い出すことはできなかったけれど、僕の心はどんどん軽くなって行った。


そして遂に、階段の終わりが見えた。

終わりの先には扉があった。屋上への扉だ。


「この先が、階段の終わり。僕の望むものがある場所…。」

「望むもの?」

そういえば、金村さんに少女の話をしていなかった。

僕は少女との会話を掻い摘んで話した。金村さんは驚いた表情で聞いていた。

「そんなことがあったんだね。その少女はどんな外見だったんだい?」

金村さんは少女の詳細をとても知りたがった。


「…じゃあ、尚のこと、この扉の先に行けば思い出せるかもしれないね。」

いくつかの質疑応答を終えて満足したのか、金村さんは階段の先に目を向けた。

「そうですね。行きましょう。」

そういうと、僕たちは階段を登った。




僕は階段を登る。一段一段、恐る恐る。

どうして登っているのか、どうして恐れているのか、思い出すことができない。だけど、どうしても登らなければならないと、心が僕に命じている。

だから僕は階段を登る。一段一段、恐る恐る。





 扉の先は、ありふれた屋上の風景だった。しかし、廃れたビルなだけはあって、フェンスが崩れ落ちており、かなり危険な状態であった。

辺りを見渡してみても僕が望んだものらしきものは見当たらなかった。少女の言ったことは嘘だったのだろうか。そもそも、彼女はなぜ僕の望むものを知っていたのだろう。


不意にビルの下を眺めたくなった。僕はビルの端へと歩みを進める。金村さんの危ないぞという言葉を気にも止めず。




 ビルの端へ辿り着き、しゃがみ込み、見下ろそうとした。何が見えるのだろう、何か思い出せるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。

その時、横に人の気配を感じた。

驚き、振り向くと、そこには、先ほど出会った少女が立っていた。

「あなたは…。」

階段を降りていかなかったか?いや、そもそもどうして僕は気がつかなかったんだ?





「来ちゃったんだね、壮太くん。」






その言葉で、その表情で…

僕は全てを思い出した。

彼女を守りたかったこと。

守ろうとして、自分の手を罪で染めて行ったこと。

他人の幸せを奪ってまで、彼女を守りたかったこと。

…守れなかったこと。

諦めて、ここに向かったこと。

意味を失って、ここに来たこと。




そうか…






「僕は、犯罪者だったのか…。」







次の瞬間、背中に強い衝撃を受け、僕の体は落下していた。遠くなったビルの屋上で、金村が高笑いしているのが見えた。



恨めしい人間に命の終止符を打たれたことにすら、何も感じなかった。どうでも良かった。




だけど…

あんなに悲しそうな表情だったけれど…

君のことを思い出せなかったけれど…

最期に君に会えて、君と話せて、思い出せて良かった。




赤い灯が眼下に広がる。

それはまるで彼岸花のようでありながらも、

薔薇の花のようでもあった。




地上までの刹那、


僕は静かに目を閉じて、君だけを想った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

階段 志村 @mao-desu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る